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平成26年1月15日号から12月15日号

更新日:2014年12月15日

平成26年12月15日号「市報きよせ」掲載

ついに、やってくれました清瀬市消防団。ありがとうございます、バンザーイ! です。11月9日、消防119番の日に「清瀬市消防団OB会清瀬119会」を立ち上げてくれました。その役割使命は、いつ襲ってくるかもしれない大震災に備えて万が一の時に、清瀬消防署と連携した現役消防団の災害鎮圧活動を後方から支援していく、消防経験者の人海戦術部隊です。会員の数は何と! 122人です。
こんなに心強いことはありません。震災直後に対処すべきは火災と建築物倒壊です。いち早く火を消し、人を助け出す。これに向けて更に明確な体制が整ったということです。こんなにありがたいことはありません。
僕も32年間消防団員でしたので現場ではさまざまな体験がありました。30歳くらいの時だったでしょうか。夜中の2時頃の火災サイレンにやっと起きて、行かなければと思い消防小屋に走っているとき、ポンプ車は出てしまい、そこで自分の車で追いかけました。すると橋を渡り、所沢市に入って行きました。かなり走ってやっと火災現場の近くにたどり着きました。車を止めて2分くらい歩いて現場に行ったのですが、既に鎮火していてすぐに自分の車に戻ったところ外車が止まっていて怖い形相の人が待っていました。「通れねーだろうが!」「すみません」「こっちにこい!」と、胸倉を引きずられた時、消防団の仲間が通りかかり一緒になって謝り続けてくれ、捨てぜりふを残して強面の男は去りました。
何なんだ! 熟睡していたのに無理やり起き上がって、仕事ではないのに「消防団の班長だ。行かなければ」と思い、しかも市内ではなく市外の火災に出掛けてきて、あれで骨でも折られていたら天下の笑い者だ。車の止め方が原因だが、無理して出掛けて行かなければこんな目にはあわなかった。何なのだろう…。
今思うに、こうした惨めな体験や冷や汗をかいた現場体験が、逆にボランティアの消防魂がどれだけ尊いかを教えてくれたに違いない。
年末3日間恒例の夜間警戒を消防団がしてくれます。感謝感謝感謝です。市民の皆さま、良いお年をお迎えください。

平成26年11月15日号「市報きよせ」掲載

3つ目のびっくりは、10月2日に、「聖徳太子」が市長室に来てくれたことです。鎌倉時代作の16歳の上宮太子像です。何でこんな極めて不思議な事が起こったか。きっかけは「悲田処」です。飛鳥奈良平安時代に聖徳太子や光明皇后が設置したと言われる、困窮者・飢病人を救うための悲田院の地方版は悲田処です。それが野塩地域市民センターあたりにあったからこそ、清瀬は医療福祉、世界を結核から守るまちになったのです。完璧な証拠はまだ出ていませんが、「清瀬には医療医学のシンボルである蛇が『ふせぎ』『結核研究所玄関のWHO(世界保健機関)のマーク』『水天宮日枝神社の藁の蛇』と3つ飾られている。そして、聖徳太子の子どもの時のお名前をいただく『上宮病院』も清瀬にあった。こんな巡り合わせがぴったりと合うまちは他にはない。清瀬の医療福祉の原点は奈良時代あたりにある」などと言いまくっていたら、上宮太子自らがおいでになってくれたのです。つまりは、所有者である上宮会が清瀬の市長室に置いた方が太子も喜ばれるだろうとしばしの間、貸してくださることになったのです。
先日いただいた、東京病院付属リハビリテーション学院同窓会「清始会」の記念誌には「びっくり!」がたくさん書かれています。「リハビリ療法は結核の外科治療の効果から、日本では清瀬から始まりました。当時清瀬はちょうど、幕末の松下村塾のような感じで全国からそれぞれの希望を持ったつわものが集まって…『清瀬リハ』は教員の留学制度や社会人入試などに常に時代の先端を走っていた。…『清瀬はリハの東大よ』。それが清瀬を目指すきっかけとなった。…」。
はてさて地元としての清瀬市民は僕を含めて全く知らなかったことです。「清瀬は困っている人や、病の人を助けてきた実に尊いまちだよ。やっと分かったか。しかし、財政は大変だろうから応援に来たよ」ともしかしたら、清瀬の窮状も察してくれて、皆で助け合おうと来ていただけたか? だから先日、誠意を持って対応していた職員が突然、刃物で脅されたけれども事なきを得たのに違いない。困っている人を太子と一緒に精一杯支えていきましょう。

平成26年10月15日号「市報きよせ」掲載

「びっくり!」がこの1か月に3回ありました。時の流れで順番に書きます。1つ目は手紙です。便せん12枚に自筆でびっしりと書かれてありました!
「認知症で乱暴になってしまった父親を1人で介護してきて、疲れきって何度も父親と一緒に死のうと思ったこと(えーっ!)。でも、あるケアマネとの出会いから、お医者さんの処方する薬で認知症の症状が落ち着き、今は親切な訪問看護師さんに癒され、小柄なヘルパーさんにも一緒に優しく介護してもらって生き返った気持ちになり、感謝の気持ちでいっぱいということ。へとへとの毎日を続けてきて、やっと市長に手紙を書けた。この感謝の気持ちを市長から関係者に伝えてほしい」という内容でした。
想像を絶する介護生活の親への愛とご苦労を思い、早速関係者を訪ね、お礼を申し上げました。「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」そのものの話であり、深い感銘を受けました。
2つ目です。結核予防会顧問の島尾先生が卒寿を迎えられ、都内のホテルでお祝いがあり、招待されました。会場に入ると、えーっ、秋篠宮妃殿下がいらっしゃる! そのお背中1メートル位の所を通過して、何と一番の上座に案内されました。そして、その丸テーブルには日本医学会高久会長、武見参議院議員、日本学士院杉村院長、錚々たる方々が同席でした。
過分極まる席で気持ちあたふたでした。改めて島尾先生の経歴を確認させていただいたら、結核研究所長、結核予防会理事長、予防会会長、WHO執行役員、WHOから2度の表彰、そして6か国語を話されるなど、まさに世界のドクター、すごい先生が清瀬にいらっしゃったのです。本当にどぎまぎしながらも工藤予防会理事長(前複十字病院院長)か
ら「清瀬が世界医療文化遺産を目指していることもしっかり話してよ」と念を押されたので、「島尾先生との尊い出会いにより、清瀬の結核の歴史を教えていただいたことが、極めて突然のごとく思いついてしまった世界遺産発想のすべての始まりでした」などなど、日本中から参列された約20人の先生方に訴えることができました。ありがたいことに拍手もたくさんいただきました。その晩は興奮から冷めずなかなか寝付けませんでした。
※今号の市長コラム「3本の木とともに」の続きは、11月15日号へ掲載します。

平成26年9月15日号「市報きよせ」掲載

セミは神様のお使いか?私には見えなかったのですが、先日の防災訓練で約500人の前で訓練開始のあいさつを次のように話した時に、話す直前にセミが背中に留まり、話し終わったらすぐ飛び去ったのです。それを後ろから見ていた粕谷市議会議長を始め何人かの目撃者から教えてもらいました。
「総合防災訓練に日曜日のお休みのところ、また早朝よりご参集いただきまして誠にありがとうございます。広島での土砂災害の大惨事、誠に痛ましい限りですが、自然のどう猛な刃はわれわれ人間社会に、結束して事に当たることが人類生き残りの条件だという事を、執拗に迫ってきていると感じざるを得ません。私たちが非常時に当たっては素早く小異を捨てて大同団結し、おのおのがその持てる力を最高に発揮していけば被害を最小限で抑え、お互いに命を救い合い、再び平和な日常を回復させることができます。私たちが可能な限り備えを万全にし、和を持って一体となって対処していくことが『夢・希望』を守ります。訓練の主体的なる参加と関係者の防災訓練へのご尽力に心から感謝しまして、あいさつといたします」。
きっとセミも最後まで訓練を見ていてくれたことでしょう。
今夏、セミとの出会いが他にもありました。実は市長になる前に、板橋の後継者がいない幼稚園を頼まれて引き継ぎました。そして、その60年前の幼稚園創立者は島根県にある後鳥羽上皇をお祭りされている吉田八幡宮の神主の出身なのです。
以来毎年、「子どもたちをお守りくださいましてありがとうございます」とお参りしているのですが、この8月、苔むした石段を一段上ったら、「ギーッ」という鳴き声がして石段からセミが私の左胸に飛びついてきたのです。そして目と目があって、「お出迎えご苦労さま」と言ったら、さっと飛び去りました。
不思議なことがあるものだなという余韻がまだ残っているところへ、再び防災訓練でセミが現れたのです。「一寸の虫にも五分の魂」、人間は無数の命の力を借りてともに生きています。あの盲導犬の背中を刺した人、反省しおわびしないと恐ろしい天罰が下るでしょう。英語でdog(犬)を逆に書くとgod(神)です。

平成26年8月15日号「市報きよせ」掲載

 8月16日(土曜日)から、「清瀬ひまわりフェスティバル」が始まります。約10万本のひまわりのなかにどっぷりつかっていると、暑くても何かうれしくなってきます。きっと10万本のエネルギーが体のなかに入って来るのでしょう。
そして、このフェスティバルには、地上のひまわりに加えて、天空、宇宙空間に浮かぶ気象衛星ひまわり7号のプラスワンがあります。このひまわりが送ってくる地球大気、海水面温などの情報を、中清戸にある気象衛星センターに鎮座する世界3番目といわれるスーパーコンピューターが処理して、天気予報を作成しています。清瀬とひまわりは気性(気象)が「こぴっと」合っているのです。だから、清瀬抜きでは日本の天気予報は成り立ちません。フェスティバルに合わせ、8月23日(土曜日)に気象衛星センター施設が公開されますので、ぜひお立ち寄りください。
ところで先月、清瀬抜きでは語れないことをまた1つ関係者から教えてもらいました。今から30年前の毎日新聞の記事です。「清瀬市に住む医師、小林治人さんは、わが国初のリハビリ専門家養成校である国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院(清瀬市梅園)の副院長として、学院の基礎を築いた、リハビリ医学のパイオニア」。何と! 日本のリハビリテーションの理学療法、作業療法は清瀬から日本中に普及していった大切な歴史を清瀬は自覚していませんでした。先人、先輩の皆さま申し訳ございません。
20年前の平成6年、小林先生の追悼集に、当時の札幌医科大学矢谷令子教授は、以下の言葉を寄せています。「(小林先生の記念碑には)『来れ友よ 此処に汝夢今もあり』と刻まれています。今になってしみじみと思います。この記念碑を据えられたことの意義の大きさを。これから幾世代もの卒業生に、そして日本の国の人々に、日本のリハビリテーションのあけぼのの発生地(清瀬)を記念した遺跡が残されたことは本当に成されてしかるべきことであったのです。」
残念ながら、看護大学東側のリハビリテーション学院はそのパイオニアとしての役割を終えて、6年前に閉校されました。その跡地は東京病院から清瀬市がお借りしていますので、そこに学院があった証しとして、記念碑とそれを取り囲むように植えられた、小林先生が寄贈した菩提樹は、今後もしっかりと残していきたいと思います。

平成26年7月15日号「市報きよせ」掲載

続いて「ひ」は、奈良・平安時代の医療介護福祉施設の「悲田処」です。清瀬の野塩地区に833年に作られていた可能性が非常に高くなりました。かつての発掘調査で大きな柱の跡と棟瓦が出土し、「続日本後記」にある悲田処ではないかと確信されました。今また近くで発掘調査がされており、明らかに平安時代の大きな集落の跡が確認されています。
日本を、世界を結核から守ってきたまち、清瀬にふさわしい医療歴史の原点だと思います。更に、悲田院、悲田処の創設者は聖徳太子とも光明皇后ともいわれていますが、清瀬には聖徳太子の別称をいただく「上宮」病院があります。清瀬の歴史は至る所で符号が合うのです。
さて、「ふ」です。「ふせぎ」「複十字」「フロジャク神父」のふです。ふせぎだけを解説します。江戸時代後期に清瀬の下宿で疫病がはやり、村人が観音様に「助けてください」と祈願した時、大蛇が現れて「私が病魔から村人を守ります」と誓ったとされ、爾来、村の入り口の双木に藁わらで編んだ16メートルの大蛇を掲げ「ふせぎ」と名付け、今に続いています。旧約聖書、ギリシャ神話にも登場する医学の神様を象徴する蛇と見事に符合します。
そして昭和6年、その下宿に住んでいた小島村長が猛反対した清瀬の村人たちを説得し、東京府立清瀬病院が開設されました。
そして現在、医学医療のシンボルである蛇と杖つえが結核研究所の玄関にWHOのマークとして飾られています。だから、「へ」はもろに蛇です。
さて、最後に「ほんとう?」と思われる結核との符号の一致です。薬が開発される前は「大気・栄養・安静」が結核への対処でした。実はこの3つに「きよせ」が埋め込められています。「たいき・えいよう・あんせい」、3つ目に清瀬が浮き上がります。不思議ですね。ここまで符号が合うとこじつけとは言えません。結びのついでにもう1つ、複十字のマーク、ちょっと横に傾ければ「キ」です。そして、清瀬の市章のデザインは(カタカナの「キ」をモチーフにしたもの)です。
以上、これほどのシンクロニシティがそろえば、間違いなく清瀬は本物ホスピタルです。だから、「手をつなぎ こころをつむぐ みどりの清瀬」の尊さを世界にお伝えしたいのです。

平成26年6月15日号「市報きよせ」掲載

私が公益財団法人結核予防会から依頼され書き上げた「ずいひつ」が、全国約1万5千か所に送付されている機関誌「複十字」の5月号に掲載されました。大変光栄、かつ恐縮なことに、巻頭見開きには秋篠宮妃殿下のお姿とお言葉が掲載されており、私の文章は真ん中15ページにありました。以下の内容です。 
清瀬は「はひふへほんものホスピタル」というテーマで話を進めます。 
「えっ、本当!」。私が清瀬の世界医療文化遺産に向けて勇気を持って第一歩を踏み出した時、感じた思いです。それまで、東京病院合併50周年、国際結核研修50周年記念式典などに招いて頂き、島尾先生他諸先生方から結核の歴史のお話を伺ってきました。それが伏線となって、富士山の世界遺産報道に触れた時、突然の如く、結核との苦難・困難・悲願の尊い清瀬の歴史は世界医療文化遺産に値すると閃いてしまいました。 
しかし、皇室が関与されることに地方自治体が動いては問題になるのではと思い、まずその点について結核研究所に確認しなければと、「これから出かけます」と市長公室で挨拶した時のことです。 それは人権擁護委員の就退任式の席上でしたが、返礼のあいさつに立った女性が「ウチの主人が喜びます」と応じてくれたのです。何とその方は結核研究所森前所長の奥さまだったのです。私も担当部長もその消息は知らなかったことで、初めて動いた瞬間に間髪いれず反応があったことに見えない力が応援していてくれていると力強く感じました。 
さて、冒頭の言葉のまずは「は」の意味です。松尾芭蕉以来の俳人ともいわれる療養俳句を生み出した石田波郷の「波」です。「遠く病めば 銀河は長し 清瀬村」。清瀬と結核療養の縁を凝縮させています。

注:今号の市長コラム「3本の木とともに」の続きは、7月15日号へ掲載します。

平成26年5月15日号「市報きよせ」掲載

「清瀬は利他のまちです」と毎朝5時に約40~60人が集う「倫理実践によって共に生きる仕合せを目指す―朝起き会」で先日、宣言してきました。状況によっては自分のことだけ、自分の利益しか考えられない人も当然いるでしょうが、しかし、清瀬の持つ自然、風土、歴史は間違いなく「利他のまち」だと思うからです。この確信を更に強くしてくれたのが梅園にある「看護研修学校」です。4月の入学式で初めて同校を訪れましたが、いやーびっくりしました。入学生の態度がまるで消防団の出初め式のようにさわやかな緊張感にあふれ、誠実さ一杯だったのです。
そしたら何と学生とはいえ、現場経験5年以上のベテランである看護師さんたち約200人が、更なる現場力の向上を目指して認定看護師の資格取得のため、1年間の研修費を納め全国から来ていたのです。だからこの学校の校歌、極めて使命感にあふれています。
「手を離せない 手は手であるまえに支えだから 目を離せない 目は目であるまえに祈りだから 苦しみの人の苦しみをみて…むすばれている同じいのちの痛みの根元で…いのちの謎に惧(おそ)れつつ わけ入ろう われらこの求められる手を 手を離さない」。
「手を離さない」という題名の校歌はまさに「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」のスローガンと同じ心です。そしてこの優しい心を培ってきた自然を代表するのは柳瀬川です。柳瀬川の流れは人間を育て、4千500年前から縄文時代の集落を形成させ、今につながる清瀬の原点を築きました。
しかし近現代、便利さだけを享受した人間は一時母である柳瀬川を悪臭ただようドブ川にしました。それを復活させたのが公共下水道と水再生センターです。今から33年前、下宿地区の人々が何代も続いたであろうご先祖様の家屋敷を譲って、9市70万人のフン尿を浄化するセンター建設に協力したのです。
利他のまち、清瀬の歴史の尊さ、先祖先人先輩を大切にすることが清瀬の未来を作りだすと僕は信じます。

平成26年4月15日号「市報きよせ」掲載

めちゃめちゃすごい!ありがたい!消防団と市民の力が「命」を救いました。志木街道で3月29日未明、交通事故で車が横転し、運転手は車中に閉じ込められたままエンジンから出火したのです。居合わせた人がまず消火器で対応した後、飛び起きてきた現場近くの第1分団副分団長、家族などがスタンドパイプを使って消火栓からホースを延長して放水、火災を鎮圧し、ドアをバールでこじ開けて運転手を助け出しました。常日頃の訓練の大成果、まさに大快挙です。
さて、次も武勇伝です。台田にお住まいの78歳のAさんは掛かってきた電話に振り込めサギを直感し、すぐさま警察に通報、犯人が指定した場所に警察と出向き、犯人を見事捕まえました。これもある意味では犯罪に染まっていく一人の人間の心を救ったとも言えるでしょう。
次は婦人伝です。「自然を守る会の者ですが、あるご婦人のことを市長に報告します。清瀬カタクリまつりをお手伝いしていた時、その方は空堀川の広い河原を何時間もごみを拾っておられました。その手慣れた様子から判断して普段からなさっていると思い感心いたしました。道路の上から『腰は痛くありませんか』と声をお掛けした所、『少しね』と笑っていらっしゃいました。」とのメールには、その方がごみを拾う写真が添えてあり、美しい心が現れている姿に僕はとても感動しました。
さて、結びに「悲田処」伝です。間もなく発掘調査が終了しますが、今回も縄文時代から平安時代にかけての大きな集落の跡が現れました。医療介護福祉施設の奈良・平安時代版の悲田処が秋津駅の近くにあった可能性があります。だから世界を結核から守る医療のまちに清瀬はなったのです。その医療医学のシンボルは旧約聖書、ギリシャ神話が伝える「杖に巻きつく蛇」です。それと相似する双木に巻きつく約16メートルの藁わらで編んだ大蛇を5月3日に下宿で飾ります。江戸時代後期から続く、病魔から村人を守る「ふせぎ」という行事です。ぜひお出かけください。

平成26年3月15日号「市報きよせ」掲載

「向こう三軒両隣」の地域の力を市内あちらこちらで目にしました。歩行・交通の安全のためや、お年寄りの家の前など、市民の皆様の自発的な雪かきのご協力、本当にありがとうございました。
当然市職員も早朝に雪かきに出勤させましたが、40年から50年に一度の大雪のため、市内全域への細やかな対応ができず、お叱かりもいただきました。誠に申し訳ありませんでした。十数年位前までは市内の土木建設会社の今村組が除雪用の機材を所有していて、大雪の時には自発的にほとんど無料で幹線道路を除雪してくれていましたが、長いデフレ不況で年間数百万かかる機材の保持が難しくなったため、市内に本格的な除雪車はなくなりました。しかし、ありがたいことに今回除雪車がなくても今村組や市内の土木建設会社5社が無料で雪かきにあたってくれました。
私自身は中里の100メートル位続く危険な坂道を、園長時代の幼稚園の職員達とともに除雪しました。幼稚園職員が近所の農家から借りてきて操作した、農業用のミニブルドーザーの威力は小さくても大したものでした。改めて、災害に対する機械力の必要性を痛感しました。
今、開催中の3月市議会でも、市内各地の被害の状況や、除雪への対応、事前の備えなどのご指摘をいただいておりますので、しっかり検証・反省をして今後の雪を含めた自然災害への対策に更に万全を期してまいります。
結びに、「怖い自然」ではなく、優しくてユーモアがあって素敵な自然の話題です。2月に「清瀬の野鳥」の写真集が発行されました。市内写真家の佐々木義雄さんが十数年にわたって撮影してきた清瀬の野鳥の姿を、「自然を守る会」の協力を得て写真集にしたものです。ページをめくっていくと、119種類もの個性のある鳥たちの姿と、何とも言えないしぐさに心が癒いやされていきます。有名なカワセミの美しさだけではありません。スズメだって本当に愛らしいのです。清瀬は野鳥にも愛されています。

平成26年2月15日号「市報きよせ」掲載

「新たな万能細胞『STAP細胞』開発の成果が1月30日付の英科学誌『nature』に発表され、海外の研究者からは『革命的だ』『また日本人科学者が成果』と称賛する声が上がった。」とのニュースに日本中が元気になったと思います。開発のリーダーは若干30歳の、かっぽう着姿で実験するムーミンが大好きな小保方晴子さんです。女子力、とんでもなく凄すごいですね。未来が一気に明るくなりました。
さて、清瀬市の明るい未来に向けて、平成26年度予算案の編成作業が終わりました。3月の市議会に提案し、ご審議いただくことになりますが、予算案に盛り込んだ事業をいくつか申し上げます。
平成26年度は、消費税の増税がありますので、市民の皆さんがより安心して暮らせるよう各施策に積極的に取り組み、一般会計の予算総額は276億8千500万円、対前年度比で15億1千5百万円、5.8パーセントの増となりました。
まず、子育て支援では、保育園待機児童ゼロを目指して、市立第1保育園に0歳児クラスを新設する他、私立せせらぎ保育園(中里一丁目)、どろんこ保育園(松山三丁目)の開設を支援し、認可保育園の定員を114人増やします。また、私立幼稚園の園児保護者負担軽減の拡充を図る他、中・高生の居場所づくりとして下宿児童館を再整備します。
健康づくりでは、「歩く」ことが健康の第一歩ですので、「美しくウオーキング」として、ウオーキング教室やイベントを開催します。また、乳がん・子宮がんの検診推進事業を国の補助金が廃止されても継続して行う他、各種がん検診の65歳以上の自己負担金をなくします。
農商工振興では、昨年好評だった「きよせニンニンスタンプ事業」に対する補助を倍増し、消費税増税により消費が冷え込まないよう地域の活性化を図ります。また、研究や工夫を凝らしながら都市農業を営む農家の支援を拡充します。この他、要援護者への緊急医療キットの配布や全小・中学校での放課後補習授業の実施など、厳しい財政状況ではありますが、行財政改革に努め、各施策にメリハリを付けた予算案としています。

平成26年1月15日号「市報きよせ」掲載

今年はアルファベットの清瀬の「K」と「P」にこだわっていきたいと思います。というのは、東京都を代表して11月の皇居での新嘗祭に清瀬の農家が粟を栽培して献上します。清瀬の農業歴史の中で初めてのこの上ない慶事、弥栄です。「あわ」にPをつければ「パワー(Power)」になります。そんなことからPへの思いが生まれてしまいました。
清瀬の「清い」は英語では「ピュア(Pure)」です。「小さな」は「プティート(Petite)」です。そして「きれい」は「プリティー(Pretty)」。ピュアでプティートだけどプリティーな「きよせ」を誇りにしたい、私たちのまち清瀬に大いなるプライド(Pride)を持ちたい。
年明けにそんなことを考えていたら、清瀬けやきホールの指定管理者の運営を委託している(株)アクティオの社長が年頭挨拶に来訪されて、実に嬉しい報告をしてくれました。昨年10月の「フォレスタ・セレクションコンサート」というコーラスグループのコンサートに、何と北は青森県から、西は広島県と兵庫県から、更には鹿児島県からお客さんが来てくれたというのです。びっくりするとともに、清瀬の存在感(プレゼンス:Presence)が高まってきていると改めて確信しました。
さて、その存在感ですが、木原誠二外務大臣政務官が清瀬について積極的に行動発言して頂いており、近々、結核研究所に外務省国際保健政策室と国際文化協力室(ユネスコ関連)のお2人が来訪してくれるのです。
清瀬と結核研究所が世界を結核から守るために、この51年間いかに貢献してきたかを現場確認するためだと僕は思っています。清瀬を世界医療文化遺産にするための重要な前進の一歩です。ちなみに、外務省のホームページに、木原外務大臣政務官を世界エイズ・結核・マラリア対策基金のベン渉外・パートナーシップ局長が表敬した際の様子が紹介されていて、「木原政務官から、日本の結核研究所は治療・予防対策に知見を有しており、世界にその取り組みを発信していきたい旨を紹介しました」と掲載されております。

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