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平成27年1月15日号から12月15日号

更新日:2015年12月14日

平成27年12月15日号「市報きよせ」掲載

 年頭に「ひつじ年だから未来が開いていくでしょう」と語りましたが、本当に大きな未来が現れました。2033年の1200年祭です。
 先月、第4回東京病院祭に行きました。テーマは「もっともっと知ろう 東京病院」で、私はあいさつで「現状の東京病院の医療提供内容などについては大田院長先生からお話がありましたが、私が知っていただきたいのは東京病院の歴史です。東洋一の結核サナトリウムのまちとなった原点は東京病院統合前の、昭和6年開設東京府立清瀬病院です。その後に最大で15の病院・5千以上のベッド数となり、そうした結核との戦いが、今では結核研究所、BCG研究所などにより清瀬は世界を結核から守るまちになりました。では、その清瀬の原点はどこにあるのか。昨年春の野塩センター周辺の発掘調査で古代の建物群が現れ、構造的に落差のある特異な掘立柱建物跡の構成が悲田処である可能性を強めたことが遺跡群発掘調査報告書にまとめられました。悲田処は奈良平安時代の医療福祉施設です。833年にその悲田処が野塩にあったことも推定できるのです。従って、悲田処1200年祭を2033年に、東京病院と協力連携しながら開催したいのです」という趣旨の話をいたしました。
 上記の歴史があり、複十字病院と看護大学校の間にある日本看護協会看護研修学校に5年以上の現場看護師さんたちが毎年200人入学し、認定看護師となっていきます。
 先日ケースリポート発表会が開かれました。脳梗塞で倒れた90代の女性がすっかり生きる意欲がなくなっていました。しかし、頬を触り「ここがだめなのよ」というつぶやきを、習慣だった化粧をしたいとの思いだと捉えて、洗面の時にその手に化粧水をたらしてあげたら、ぬり始め、日を追って元気になっていき、カラオケも歌うようになったなどと報告がありました。
 さて、清瀬第二中学校の50周年式典にも参列しました。生徒たちが歌い切った「大地讃頌」の歌声と歌う姿の「美しさ」に魂を揺さぶられ、歌い切った瞬間に大拍手を送りました。年の瀬に、医療介護福祉を発展させていく、清瀬の大地の尊さを皆で祝福しましょう。

 

平成27年11月15日号「市報きよせ」掲載

 小さきものをあなどるな。力、小さいわけではない。ノーベル賞の大村教授のお言葉、「微生物から勉強させてもらった。微生物の力を借りただけです」。数億人の命を救った力を、小さき命から借りたという真実、これは人生の指針になります。
 以前、幼稚園の園長だった時にはよくミミズを助けました。夏の強い日差しが当たる狭い道に出てきてしまったミミズを「何で出てきたの。干からびちゃうよ」とつぶやきながら、小枝に引っ掛けて日陰に戻してあげていたのです。
 その時に、「助けてあげたのだから、子どもたちを守ってください」と念じました。とにかく、幼き子どもたちを預かる園長としては、常に子どもたちをお守りくださいと念じていたのです。大村先生の関わった微生物が数億の人々を救ったことからすれば、ミミズさんもきっと子どもたちを守ってくれていたかもしれません。
 さて、時の流れに合わせたかのように、小さきものの愛と勇気がテーマとなった映画が、10月から全国の劇場で公開されています。「GAMBA ガンバと仲間たち」という3DCGアニメーションの映画で、小さなネズミたちが力を合わせ巨大な敵に立ち向かう壮大な冒険物語です。
 しかも何と、その監督が清瀬市民です。下宿囃ばやし子保存会の増田会長の娘婿、河村友宏さんです。自然が豊かで落ち着いた雰囲気が創作に集中できると清瀬に移り住みました。
 さて先日、市内松山地区にある障害者就労支援施設「東京アフターケア協会」を訪問しました。1枚1枚のチラシを丁寧にぴったりと合わせて折りたたむ作業や、数種類の菓子折りの箱を組み立てる作業などをされていました。静かでひたむきな作業現場でした。こうした誠実な「ひたむきさ」が、清瀬の真実の力でしょう。10月19日、読売新聞多摩版で、「東洋一のサナトリウム」と昔の清瀬の姿が紹介されましたが、往時を知るある方が、「終戦後、東京アフターケアにて結核の患者さんが自立した話を故小島理事長に伺っていました」と手紙をくださいました。
 巨大な敵、結核に立ち向かった小さなまち清瀬は微生物と同じく世界の命を救っています。

平成27年10月15日号「市報きよせ」掲載

「エジソンの おんだましいと 睦合い 発明特許で 清瀬明るし」。清瀬北口睦会の会長である恩田さんが船体に貝や藻などがくっ付かない海洋生物付着防止用塗料を3人で開発し、4年3か月の審査を経て9月4日付で特許庁に登録されました。これから日本の多くの船舶や橋梁などに使われていくでしょう。海外特許は市内の企業と組んで進めています。恩田さんの会社が利益を出してくれれば法人市民税を増やしてくれます。発明家恩田会長頑張ってください。
さて、なぜ短歌か? 実は先日、中清戸にあるグランドホーム・カペナウムでの歌碑建立除幕式に呼ばれたのです。歌碑は日本短歌協会名誉理事長の鈴木諄三氏の「なお生きて見るもよからん石楠花の尖る花芽もやや膨らめる」です。
鈴木先生は50年来の清瀬市民で電子顕微鏡技術をご専門としながら短歌創作に精進され、日本短歌会の著名な方となりました。「白南風短歌会」という会を創設、ご夫妻で活躍され全国に支部を展開しています。ありがたいかな、改めて清瀬は人材の宝庫だと実感しました。
そうそう、7年目となる石田波郷俳句大会が今月25日に開催されます。その新人賞部門が小説の芥川賞と並び称されるようになり、今年も約1万1千句が寄せられ、ワシントンの日本人学校からも届きました。私も今年春から拙句創作を始めました。
敬老大会では、「三老に 金木犀の 薫り来る」と詠みました。上寿120歳、中寿100歳、下寿80歳が三老です。
十文字女子大学が企画し、市と共同主催で8月に12校が参加した高校女子サッカー大会「第1回清瀬市長杯」でも、「俳句のまち清瀬」を訴えました。芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を参考に、「夏草や なでしこ魂 夢つかむ」と、「なでしこジャパン」の代表を目指そうと気合を入れました。「魂」には、サッカーの「球」の意味も込めています。
 「生きる」の字は「生む」ともつながります。従って、生きるは造り出すことです。それぞれ好きなことやご縁のあることでの創作活動を皆で盛り上げ、楽しい清瀬を築いていきましょう。

平成27年9月15日号「市報きよせ」掲載

 「あっ! 市長さん、今、市長さんの話をしていたのよ」「若いからまめだね、とほめていたんだ」。偶然通りかかって、ひまわりを見物していた松本さんとひまわり畑農家の新井さんが話しかけてくれました。とてもうれしい瞬間でした。
「人生の旅の途中には大事な人との出会いが必ず待っていてくれる。だから、一寸先が闇の道でも夢や希望を失うことなく歩いていくことができるのさ。平成4年初春 金太郎君の為 教之書く」。かつて、池上本門寺の坊さんが書き初めしてくれたのです。そんなこともあって、生きる喜びは人と人との出会いのなかにあると思うようになったのでしょう。
本当に出会いが出会いを呼び、思ってもいなかったことを生み出してくれます。実は約2年前に奈良県斑鳩町から突然来客がありました。大叔父の孫娘にあたるKさんでした。「これからは私たちが中里のお墓参りにきます」ということで「へーっ! 奈良県に親戚があったのか?」と驚きでした。
今年も6月に来られたので、夫婦同士夕食を共にしました。宴は盛り上がり、誇りある清瀬話をたっぷりとしました。そしたら何と! 帰ってから間もなくしてメールが来て、「法隆寺の大野管長が清瀬市長の話を聞きたいとのことです」とのことでした! えっ、法隆寺の管長が? 実はびっくりしたことに親戚のKさんは管長さんと親しい間柄だったのです。
これは大変もったいないことだと思い、7月24日に法隆寺に行ってきました。そして、「太子の末裔の文室秋津が833年に悲田処を清瀬野塩に開設した可能性が高いこと、その流れが昭和6年に東京府知事の要請により亡国病と極めて恐れられた結核病院を開設し、今では結核研究所、BCG研究所が結核から世界を守っていること、清瀬には日本社会事業大学があり聖徳太子についての講義があること、そして太子の教えを実践する上宮会の特養老人ホームには、上宮太子(聖徳太子の別称)像があること」などなど、2時間ほど会談させていただきました。
日本の世界遺産第1号である法隆寺の管長に清瀬で講話をお願いしたところ、ありがたいことに来てくださるとのことでした。
人生は出会いです。皆さん、楽しみにしてください。

平成27年8月15日号「市報きよせ」掲載 

清瀬の「宝石」を発見しました。「石川」という宝の石です。失礼をお許しいただき、結核研究所長石川先生の事です。
今年2月に、世界の医師・医療関係者、93か国1千600人以上に結核研究所が送ったニュースレター30号で、石川所長は次のように述べています。「(前文割愛)、清瀬は数々の病気に苦しみ、それらと戦い打ち克つ人々の上に、また世界の健康づくりへの絶え間ない努力によって、発展してきました。また、1982年には非核都市宣言を行い、世界平和にも貢献しています。清瀬市の渋谷市長は、清瀬を世界遺産に登録するべく行動を始めたところです。結核研究所の同窓生の皆さん、皆でこの動きに参加し、この小さな街から始まった私たちのパートナーシップを謳歌しようではありませんか」と所長は呼び掛けます。
次は、「石田」という宝石です。石田波郷俳句大会は、故大山先生を始めとする市民、他関係者のご尽力で今年7年目です。昨年は子どもからおとなまで約1万2千句以上が集まり、ついに大会新人賞が「芥川賞・直木賞」と並び称されるようになってきました。「俳句甲子園」で有名な愛媛県松山市と、近い将来俳句界で、「西の松山、東の(清瀬)松山」と清瀬が語られていくでしょう。
更には「石山」です。十文字学園女子大学のサッカー部総監督で、既になでしこジャパンの選手も育て、多くの国際大会に送り込んでいます。その石山先生が構想し、清瀬市長杯大会を開催し、8月18日・19日に高校女子サッカーチーム12校が参加します。サッカー場は下宿第三運動公園他2か所です。「この大会を将来、32校以上の参加、関係者5千人以上に」と、石山先生は語っています。なでしこジャパンの登竜門の構想です。不思議なご縁です。昨年8月に知人と滋賀県の石山寺を訪れ、座主と語りました。寺で紫式部が源氏物語を書き上げたそうです。まさに「なでしこ」寺です。その12月に石山先生と出会ったのです。
最後に、8年目を迎える10万本の「清瀬ひまわりフェスティバル」の立役者、石井ファームの石井さんです。加えて明治薬科大学の学長もお名前は石井です。更に全国で数少ないシニア野菜ソムリエの1人、清竹の石山さんです。
清瀬、輝きます。

平成27年7月15日号「市報きよせ」掲載

尾籠な話で恐縮ですが、薬に感動したのでそのことを書きます。
50年近く付き合ってきた痔なので、諦めかけていたのですが、信愛病院の谷院長先生から、「入院期間が取りづらいでしょうから、手術の前にまずは薬で様子を見てみましょう」と、薬を処方されました。しばらくすると「あれっ! 薬が効いている」これはすごい大変化だと感じました。
もう一つ、市長1年目の時です。3月11日の後ですから、「大地震が来たらどうする」と毎日異常な緊張状態でいました。ついに風邪をひき、熱には強いので38・6度度でも休まずに市役所に出てきていたのですが、ある日、市役所の玄関周りで下水の臭いが漂ってきました。それで下水のまいた跡を探したのですが、跡はなく、何と! 自分の喉から臭っていることに気が付きました。
当時の医師会会長 はたの耳鼻咽喉科の波田野先生の所で診ていただいたら、「副鼻腔炎です。抗生物質を処方します。改善しない場合は手術することもあります」との事で覚悟したのですが、薬が効いて10日間位で症状は軽減しました。約半年で完治し、鼻が詰まって口を開けて寝ていた状態から解放されました。医療と薬、ありがたいと改めて実感です。
さて、結核研究所が開発した凍結乾燥BCGワクチンです。現在、日本BCG研究所が毎年数千万人分のワクチンを、ユニセフも関わって50年以上世界中に供給しています。品質は、世界で一番優れているとのことです。しかも、改めて驚いたことに、その製法のノウハウを世界中に無料で教えて差し上げたのです。特許を独占していれば、世界中から膨大な利益を得て、研究所がある清瀬も大いに潤ったでしょう。しかし、僕が薬で助けられたように、世界中の人々にワクチンが届くように無料で製法を伝えたのです。結核研究研がある清瀬は極めて奇跡的な街です。

平成27年6月15日号「市報きよせ」掲載

6月1日、奇跡を生きた人の告別式に参列してきました。約30年前に人工弁を心臓に付ける大手術をされ、お医者さんからも「もって後10年、20年生きられたら奇跡です」と言われたそうです。その奇跡を通り越して30年後の先月末に80歳で旅立たれました。
続けて6月5日にも実に感動的な、奇跡の旅立ちの話を聞きました。胃ろうで寝たきりの70代の方が、3年後に天国ではなく何と、海外旅行に旅立って行ったのです。清瀬市健康大学の講師にお呼びした、大分県佐伯市の歯科医師河原先生が紹介した事例です。栄養は胃に直接だが、薬は口から飲めていることから、「噛み合わせの良い」入れ歯を作って、しっかりと噛むことの練習から始めて3年後に海外旅行です。
しっかりと噛むことにより唾液がたくさん出て消化吸収を助け、歯根にある神経が脳の各分野を刺激して心と体をよみがえらせたのです。他にも脳梗塞の後遺症で車いす生活だった人が歩くようになったなどの事例をたくさん紹介してくれました。まさに、「カム」ことは「カミワザ(神業)」です。
もうひとつ、奇跡の「はちあわせ」です。まず、気象衛星センターに天気の情報を送ってくる天空のひまわり7号が、7月から8号に現役を譲り予備役となります。時を合わせたかのように今年7万人の観光客を目指す「プラスワンの10万本のひまわりフェスティバル」は本年で8回目です。8号と8回目、奇跡的な合致です。
そして昨年から始めた市庁舎屋上での「ハチミツ作り」は、ふるさと納税を盛り上げ、「きよはち」は人気急上昇中です。「はち合致」はまさに「は行の物語の清瀬」です。
公益財団法人結核予防会が発行する機関誌「複十字」356号(平成26年5月発行)に書かせていただいた「はひふへほんものホスピタルのまち清瀬」は、「俳句・波郷・林」「悲田処・火祭り・ひまわり」「ふせぎ・複十字・福祉・フロジャク・文室秋津」「蛇(医療医学のシンボル)・平和」「ホスピス」などなど、「は行の頭文字」で清瀬の誇りある個性、都市格を表現できます。
だから縁起の良い「はちあわせ」が生まれたのかもしれませんね。

平成27年5月15日号「市報きよせ」掲載

相田みつをさんの詩に、「美しいものを美しいと思えるあなたの心が美しい」とあります。また、森光子さんが確か、「パンツ屋さん」という行商人の役を演じたテレビドラマで語っていた詩に、「貧しいからあなたに差し上げられるものといったら、5月の若葉と精いっぱいの愛する気持ちだけです。それでも結婚してくれますか(ね?)。」がありました。青葉若葉の季節、よくこの詩が脳裏に浮かんできます。清瀬の「みどり率」は約42%です。
再び小学生の女の子がうれしい手紙をよこしてくれました。「こんにちは! 私は清瀬のよい所について考えてみました。清瀬の自慢はやっぱり『自然』だと思います。学校にいる子も『清瀬は自然がいっぱいでいいね』と言っています。私は清瀬が好きなので自分のことではないのにとてもうれしくなります」
私もうれしいと思っているのですが、相続税のため畑が売られています。都市農業を守るためにも関係当局に要望をしているところです。
さて、手紙の続きです。「そしてもう一つはやっぱり『みんなが安心できる』ことだと思います。お年寄りの人や目が不自由な人、体が不自由な人などがいます。その人たちにとって、『心の安心』は自分たちを気遣ってくれていると感じてもらえる行動だと思います。『心の安心』の輪を広げられるように頑張ります」
本当にありがたい、清瀬の未来は明るいですね。ちなみに、3月に発表された日本経済新聞社の 「全国市区介護・高齢化対応度調査」では、清瀬は813市区で17番、多摩26市では1番にランクされました。「心の安心の輪」は未来に向かって確実に広がっていくでしょう。
私が以前関わった子で、3歳児の時には目線は合わず、言葉はおうむ返し、多動だった子が小学3年生の時に書いた詩です。「にじを見た つかまえようとしても つかまえられない どこまでいっても 手をいっぱいのばしてもぜんぜんつかまえられない いつかつかまえて にじの上を歩いてみたいなぁ」。自閉症だった子が大きく成長して書いた詩で私も目標に向かって進みます。

 ※申し訳ありませんが、選挙のことは法に触れる場合もあるため書きませんでした

平成27年3月15日号「市報きよせ」掲載

先日、市内の小学4年生の女子から、市長への手紙をもらいました。
「私がこの前、私の体けん主ちょう発表会を見た時に、『市長っておもしろくて楽しい人だなっ!』と思いました。『ようち園の園長先生だったからかな?』とも思いました。清瀬にたいしては、いいと思います。理由は清瀬は緑もたくさんあるし、自然もたくさんあります。しかし、べんりなしせつもあるからです。私はけやきホールのような場所をふやしてほしいと思いますが、なるべく木や花(自然)をこわさないでほしいです」。
「大切にします」という旨の返事を送ったら、また手紙が届きました。
「この前は手紙の返事をありがとうございました。私は清瀬っていいなと思ってる人は多いと思いました。学校でも、緑が多くて清瀬っていいと言ってる人が何人かいたからです。私は清瀬は緑でじまんですが、くらしやすい便利な所もいいと思います。子どもは『楽しいやおもしろい』が好きです。お年寄りはきっと『安心できる』というのがいいのではないでしょうか。それをめあてにくらしやすい清瀬にしてほしいと思います」。
嬉しいですね。子どもたちが清瀬を誇りにしている感じが伝わってきます。清瀬に夢や希望を持ち、友達同士で語り合っている姿が目に浮かびます。未来を担う子どもたちの信頼に、おとなとしての責任を果たしていかなければ天誅です。
もう一つ市内中学3年生の魂を揺さぶる作文(ゴールボール交流会を通して学んだ共生について)を抜粋して紹介します。「目の不自由な人たちが音を頼りにボールを相手ゴールにいれるというスポーツだ。その世界的プレーヤーたちの動きはとても凄すさまじく、観みている私はその迫力に圧倒されていた。(中略)本当に目が見えていないのか?(中略)自分の意識の低さを痛感した。健常者の私は一日一日を無駄にして面倒なことから逃げているのだ。(中略)平等な社会を築くには一人一人が自分も障害者も対等な関係なのだ、とはっきり自覚していかなければならない。そのためにも障害を持つ人々について少しでも関心をもつべきだ」。子どもたちに脱帽です。


平成27年2月15日号「市報きよせ」掲載

1月11日の成人式、清瀬けやきホールが若者でいっぱいでした。その若者たちを驚かせてやろうと思って、2か月くらい前から練習してきた「アナと雪の女王」の主題歌を部分的に歌いました。そして、気合を入れました。「どんな事があっても、どんな時でも自分なんかだめな人間だとは絶対思うなよ。よく覚えておけ」。そして自分の体験を伝えました。
「16歳くらいから劣等感が強くなっていき、20歳前後のときには、『自分なんか生きている価値はない』と本当に思い込んでしまった。でも、完全な自己否定の苦しみのど真ん中で、ストーンと抜けた。『いいのだ、神様・仏様は煩悩具足の凡夫、不器用で悩める人間を助けるためにいてくれている。何でもできる優秀な人間を助けるためでない』と、突然思ったら、『生きていていいのだ。このままの自分でいいのだ』と得心した。人生、目の前のことを大事にすればいい。誠意を込める。どんな小さなことでも大切にしていけば、その道が人生の幸せにつながっていく。私はそれが人生の法則だと思っている」と、おおよそ以上のようなメッセージを若者に伝えました。
その若者のなかに、朝、父親に手紙を渡してきた若者がいました。父親から見せてもらいましたので、抜粋して紹介します。
「お父さんとは色いろいろ々ありました。俺が素直になれず、ぶつかりあったことも何度もありました。今思えば俺のことを考えてのことだったということもよく分かります。お父さんが口下手だけど俺のために色々やってくれているのも知っています。いつも直接うまく伝えられず、ごめんなさい。そしていつもありがとう。…段々と年を重ねる度にお父さんのありがたみ、優しさ、愛のある厳しさ、理解してきてるつもりです。まだまだ子どもで生意気な俺だけど、責任の持てるおとなになるように心掛けていきます。…これからも笑顔の絶えないお父さんでいてください。ここまで育ててくれて本当にありがとう」
清瀬の未来は、本当に明るいですね。「白銀も黄金も玉も 何せむに勝れる宝 子にしかめやも」

平成27年1月15日号「市報きよせ」掲載

自分のほうから思い描いていないのにどうしてこんな出会いがあるのか? きっと向こうも応援してくれているのかな? 実は「七夕竹 惜命の文字 隠れなし」の石田波郷さんや清瀬市内外で結核の悲惨な人生を送られた方々、結核研究所の保管室に保存されてある70年~80年くらい前の約200体のご遺体の臓器の皆さんに、時々思いを寄せています。特にご遺体については、いつか結核歴史館のようなものを立ち上げてその中に御慰霊させていただくことができればと思ったりしています。         
そのためには、清瀬が尊いまちとして注目され、脚光を浴び、元気が盛り上がっていく必要があります。それを見えない力が応援してくれているのかもしれません。           
昨年10月2日、アジア大会のテニスシングルスで40年ぶりの金メダルを9月30日に獲得し、いまや世界スターの錦織圭選手と比較される西岡良仁選手が市長室に報告に来てくれました。実は、中村災害防止協会会長の娘さんのお子さんだったのです。本当に、びっくりしました。
続いては、12月28日、サッカーの本田圭佑選手が立ち上げた育成組織に所属するジュニアチーム「S・T・F・C」と交流試合をするため、清瀬を訪れた本田選手とお会いしました。                                       
テレビで見ているとクールなイメージですが、やはり世界の一流選手、穏やかで誠実さが十二分に伝わってきました。とてもありがたいことに、「スポーツ指導以外でも清瀬市に協力できる機会があればお手伝いします」との言葉をいただきました。そう簡単には実現しないと思いますが、清瀬に関心を持っていただいているようです。
未年の今年、清瀬はスポーツでも「未」来の姿がオリンピックに向かって芽生えてきそうです。                                      
「手をつなぎ 心をつむぐ みどりの清瀬」、今年も頑張りましょう。

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