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平成29年1月15日号から12月15日号

更新日:2017年12月15日

平成29年12月15日号「市報きよせ」掲載

 やっと、見つけ出しました。1年以上前から野塩地区にないかと探していたのです。何かというと、「敬田」という二文字の漢字です。理由は「悲田」「恩田」があるから、あとは「敬田」があれば、仏教の教えの尊い三福田が清瀬に存在することになります。
 さて「悲田」は病人や貧窮者を救うという事で、その施設が悲田処です。2015年9月に郷土博物館がまとめた【清瀬市野塩地域遺跡群発掘調査報告書】の248ページに「野塩地域第2・3・9地点における、9世紀後半から10世紀初めにかける(略)大型掘立柱建物跡とそれから40メートルという至近距離から発見された(略) 市屋的堀立柱建物跡の、その構造的に落差のある遺構構成は悲田処とするに足りる要件を満たしていると云える」と報告されています。833年に病院・福祉施設が野塩にあったことは間違いないと云えます。
 だから、悠久の時が流れて平成10年に明治薬科大学が野塩に移ってきました。1902年開設で創立者は恩田重信先生です。とても深い縁があるのでしょう。オンデン(恩田)が来られたのです。これに気付いて以来、どこかにキョウデン(敬田)があるに違いないと思うようになってしまったのです。
 そして先日、逆転発想が働き、「あった!」と思ったのです。「敬い」の対象中の対象そのもの、お釈迦様の遺骨、【仏舎利】がミャンマーのお寺からやってきて、円福寺に平成12年から祀られているのです。正に敬田そのものです。
 以上の話を11月25日の東京病院祭りの45分間の講演で、東京病院の原点は昭和6年から、亡国病の結核に立ち向かった東京府立清瀬病院にあり、さらに歴史を掘り起こせば 833年の病院福祉施設、悲田処に違いないと話し、約300人の皆さんから大いなる賛同を得られました。
 本当に清瀬は有難い【愛のまち】です。だから、この12月5日にも0歳から18歳までの親がいない子ども達を育てる乳児院・児童養護施設の複合施設がベトレヘムの園病院の隣に落成しました。ちなみに、ベトレヘムはキリスト生誕の町の名前です。
 感謝の気持ちを大事にして来年正月、円福寺にも初詣に行きます。

 

平成29年11月15日号「市報きよせ」掲載

 先月28日、清瀬第三中学校の創立50周年式典に出席したら、1年生から3年生まで生徒全員参加でした。背筋を伸ばし真っ直ぐ前を見つめる姿に、すっかり変わったと改めて実感しました。20年くらい前議員の時に学校の式典などに出席した時は落ち着きがなく、生徒達の将来にとても不安を感じました。
 今は全く違います。「よしっ、子ども達に人生を伝えよう」と気合がはいりました。話はおおよそ以下の内容です。
 【50周年おめでとう。卒業生が6883人巣立っていったのね。実は三中や旭が丘団地が建設されている時、私は中学校3年生だった。家の前の柳瀬川通りはその時代、砂利道でトラックの音がとてもうるさかった。でも、集中してラジオの『中学生の勉強室』などを聞いて受験勉強していた時、母がいきなり「勉強しちゃだめだ」と言ってきた。折角集中しているのにそんなこと言われて「うるさい」と怒鳴り返したら、母は泣きそうな顔になった。生涯で母に怒鳴ったのはその時だけ、1回だけ。
 何で母が勉強するなと言ったかというと、私がそんなに勉強したら病気になると母は思っていた。実は小学校5年生の時にある医者から、心臓が悪くて20歳まで生きられないと私は直接聞かされていた。だから、それ以来、水泳・マラソンは全部見学だった。
 とても大変だったけど、でもそのことで強くなったよ。何に強くなったかというと「かっこわるいこと」にだ。人生いつも1番というのはない。中学校2年生で野球部に入って守ったのはライト。交代しながらでレギュラーじゃなかった。打てたヒットもショートオーバーのたった一回だけ。
  因みに水泳大会で初めて泳いだのも42歳の時だよ。所沢市水泳連盟の大会でレース相手は確か小学校4年生5人くらい。彼らはゴールしたけど、私は息継ぎができず、20メートルの所で突っ立っちゃった。みっともなかったけど前向きにやったのだから平気だったよ。だから、よく、落ち込まない人ねと言われてきた。
 だから、皆も校歌の一番にあるように『さわやかに』前向きにやっていきな。】
 帰る時校門で10数人が笑顔で傍に寄ってきてくれ、以心伝心でした。
 

平成29年10月15日号「市報きよせ」掲載

 市内各地域の敬老大会で実にたくさんの方にお集まりいただきました。本当に有り難うございました。8会場10回の開催で今までで最高の千352人す。会場に入れなかった皆様には本当に申し訳ありませんでした。参加者最高齢は98歳になる、尺八名人の佐々木大先輩です。
 私が皆さんにお願いしたのは【喜べば喜び事が喜んで喜び連れて喜びに来る】です。今日皆さんに喜んでいただければ、清瀬に喜びが集まってきます。だから、今日は清瀬の文字を『喜よせ』で表現しますと申し上げ、皆さんに少しでも多く笑ってもらおうと下手な演芸ですが、披露させてもらいました。おかめ踊りもご要望にお応えして、得意な女性の姿をまねて何とか踊りまくりました。笑いが出てくれたことでほっとしました。各老人クラブ、社会福祉協議会、議会関係者、市担当者はじめ関係者の皆様のご尽力の賜物です。日本舞踊、フラダンス、合唱、楽器演奏、民謡、手品など地域の方々が腕を振るった本物の手作りのお祝いの集いでした。有り難うございました。
 皆さんが小さな喜びでも大事にしていただいたお蔭で早速反応が現れました。まずは10月2日です。清瀬市ラジオ体操連盟が全国表彰に次ぐ『東京地方表彰』を授与され、報告に来られました。そして連盟はこの夏約40日間で、7会場延べ約8千人のラジオ体操に取り組まれました。市制施行50周年記念のラジオ体操にNHKを呼びたいと大きな夢を語ってくれました。
 次いで10月5日です。何と! 今度は日本一の【皇后盃】です。第50回全日本女子弓道選手権大会で清瀬市民の前田さんが優勝されました。カップには菊のご紋が刻まれています。前田さんは幼児のお母さんです。正に女性が輝く清瀬です。「市長室にしばらくの間、皇后盃を飾っていただきたいのです」と頼まれましたので、金庫に保管させていただきました。喜びを引き付ける皇后盃の引力の効果が楽しみです。
 結びは敬老会で歌った清瀬小学校応援歌の替え歌です。「柳瀬の流れは清く澄み 明るい日差しに迎えられ 心も踊る90~100の 清瀬の長寿の意気を見よ~ 清瀬の長寿の意気を見よ~」 人生は心意気です。

平成29年9月15日号「市報きよせ」掲載

 本当に有り難いです。現場に真心から想いを寄せていると、予外にとても素敵な人や出来事、森羅万象と出会えるのですね。このハートのひまわりは8月24日、元市職員の麻生さんが見つけてカメラに収めました。
 10年目のひまわりフェスティバル、西武鉄道がポスターやチラシを作成して大々的に宣伝してくれました。そのポスターは、ひまわりを掴んで舞飛んでいる女性の下に英語で「花の妖精」と書かれてあります。正に、妖精のひまわりが姿を現したかのようです。10万本以上あれば突然変異も出てくるでしょうが、それにしても不思議です。
 さて、ひまわりに想いを寄せましたから、私の顔は今、真っ黒です。期間中毎日、ひまわり畑に通いました。27日午前10時過ぎに、自宅から歩いてまず駅でバス待ちが100人以上いるのを確認し、次のコミプラでは、何と車の大行列ができていました。「よしっ! 自分の目で確認だ」と数え歩きだしました。そうしたら、志木街道まで行ってしまい、ついにはラビアンローゼを過ぎて、ステーキのどんまで繋がりました。320台でした。
 その話をしたら、休日で見に来ていた職員がしっかりと対応し、バイクで調べに走り、川越街道までの混雑ぶりを報告してくれました。周辺の住民の皆様には多大なご迷惑をおかけしました。
 原点である地主の石井氏のご協力が各現場、各事業者を活発にさせた結果として、観光客が期待値10万人を遥かに超え、12万人となりました。観光に関する清瀬の歴史始まって以来の数です。1人平均千円を清瀬で使って頂いていれば、1億2千万円の経済効果があったことになります。いよいよ天と大地の応援が始まった感じです。開会式の時に詠んだ俳句です。
【天と地で ともにひまわり 結清瀬】
※清瀬市にある気象衛星センターでは、「ひまわり8号」からの観測データを受信し、解析しています

平成29年8月15日号「市報きよせ」掲載

 何だろう? このピッタシカンカン。感動が、2~3倍になりました。昨年に続いて、また8月2日、NHKが清瀬を取材しました。昨年はNHKラジオが「旅ラジ」という番組で清瀬の農家、農業を8月2日、全国に生放送しました。
 今回はNHKテレビによる、歌いながら運動することで健康増進や介護予防につなげる脳トレ元気塾の「ゆうゆう元気塾」のドキュメント取材です。放送は8月21日の「おはよう日本」午前7時 30分ごろの予定です。それにしても昨年に続いて同じ日にNHKによる取材があるなんて、清瀬に『ツキ』が回ってきている証拠と思ってもいいでしょう。
 実際、5月に清瀬青年会議所が開催した「わんぱく相撲」の代表3人が都大会で団体優勝し、7月30日には全国大会に出場し、3回戦までチャレンジできました。33年目の初出来事です。
 この勢いなら台風さえ来なければ、「第10回清瀬ひまわりフェスティバル」も来場者が10万人に達するでしょう。何せ、西武鉄道が本気になってくれました。相当額の費用をかけてチラシやポスターなどを制作していただき、清瀬駅に直通で繋がる横浜までも含めて大々的に宣伝活動を展開してくれているようです。【あこがれと 情熱の花言葉が似合う黄金の台地へ】。これがポスタースローガンです。
 さて、憧れの対象はひまわりだけではありません。7月22日にアミューホールで開催された「世界を結核から守るKIYOSE国際会議」でザンビアの医師は、「実際に行われた結核対策の成功例を学ぶことができる日本は研修に最適の場所です。自国での結核対策の問題を解決するため結核研究所で多くの知識を得ることができました。清瀬市民の皆さんは今まで会った人のなかでとても親切で友好的です。」と表明されました。
 結びにもう一つ憧れ、清瀬内山運動公園サッカー場で十文字女子大学が3年目になる8月中旬の高校生女子サッカー大会の「清瀬市長杯」に加えて、第一回選抜中学校女子サッカー大会in・清瀬を8月23日~25日に開催します。全国から10チームが参加します。  ピッタシカンカン、しっかりと善循環が見えてきました。

 注…8月21日(月曜日)の「おはよう日本」で放送予定だった、脳トレ元気塾の「ゆうゆう元気塾」は、台風5号関連の拡大報道のため9月4日(月曜日)(予定)へ延期となりました。

平成29年7月15日号「市報きよせ」掲載

 坂田教育長から、「市長、3階にも挨拶に来てください。みんな元気が出ますから」と要請されて、4月から3階も挨拶回りを始めて3か月が経ちました。
 もちろん、就任1年目の時は朝9時前に登庁後、案内窓口やすれ違う人達に声を掛けてきました。前職の幼稚園長の時は、教職員、保護者の皆さん、一人一人の子ども達に「おはようございます!」と地声の大きさでこちらから声を掛けていました。当然子ども達の反応は良く、颯爽とした毎日のスタートでした。
 しかし、幼稚園と違って役所は事務仕事だから「うるさい声だ」と感じる人もいるだろうから、幼稚園ペースでやりたかったのですが、我慢して抑え気味に朝の声掛けをしていました。
 ところが、半年後くらいにたまたま酒宴で同席したカウンターの奥で仕事をしている職員から「市長、私達にも声を掛けてください。元気が出ますから。」と要請されました。「よしっ! わかった。」と答えて、翌日から彼の所属する担当課に向かって大きな挨拶を始めました。
 しかし、他の課にはしませんでした。とにかく、「こちらから」挨拶をしていても、「うるさい」と感じる人はいるだろうと思い、時宜をとらえて増やしていきました。そして、1~2階全課を回るようになったら、ついに教育長から要請が来たのです。
 今ではほとんどの職員の皆さんがすれ違うと声掛けや、笑顔を見せてくれます。また職員同士でも挨拶しあう場面を感じることが多くなりました。
 まさに、坂村真民さんの「こちらから」の詩の姿です。
【こちらから頭を下げる こちらから挨拶をする こちらから手を合わせる こちらから詫びる こちらから声を掛ける 全てこちらからすれば 争いもなくなごやかにいく こちらからおーいと呼べば あちらからおーいと応え 赤ん坊が泣けばお母さんが飛んでくる 全て自然も人間もそうできているのだ】
 この4月、22歳になる幼稚園卒園児が『理学療法国家試験を合格することができました。これから患者さんとその家族の力になり寄り添いたいと思います』と手紙をよこしてくれました。こちらからの呼びかけに呼応し、寄り添いの力になりました。

平成29年6月15日号「市報きよせ」掲載

 先月29日、55年目の結核研究所国際結核研修の開講式に呼ばれました。アジア、中東、アフリカ13か国の16人のお医者さんなどです。日本人を入れると18人です。英語での挨拶はできないので身振り手振りをオーバーにして、JICAの研修監理員に次の内容を通訳してもらいました。
 【ピュアで、プティだけどプリティなまち、清瀬にようこそお出でいただきました。清瀬市長の渋谷です。7万5千人の市民を代表して心から歓迎いたします。
 私の父も今から64年前、私が2歳の時に結核にかかり、40度の高熱が10日くらい続き、医者から母が、父は助からないと言われました。でも、不思議なことに修験者の祈りで助かりました。だから、まずは科学、医学ですが『祈り』も大事にしています。
 その一つがこの写真です。2年前の国際結核研修の期間中に、スーダンから来たリハブさんが急に産気づいて、予定日より2か月くらい早く生まれた、赤ちゃんアワブ君と母親リハブさんの写真です。I love KIYOSEと書いてくれてあります。  清瀬は結核から人類を守るまち、未来を守るまちという『神様からのメッセージ』と思って市長室に大切に飾ってあります。
 さて、プレゼントです。清瀬市民の鈴木さんからの手作りの紙人形の贈り物です。(通訳後すぐ各人に渡していきました。みんな目を輝かせてくれました)  もう一つ、清瀬は農業のまちですので、村野さんから人参の贈り物です。2時間ぐらい前に畑から収穫しました。よろしかったらお召し上がりください。清瀬は東京都内で一番の人参生産量を誇っています。(泥付きの人参を見せた後、洗った人参を出してポキッと食べたらみんなが拍手してくれました)
 研修期間中、お時間がありましたら清瀬のまちを楽しんでください。皆様の研修の成果がお国の人々を幸せにすることをお祈りして挨拶といたします。】
 式後、ほぼ全員の先生に頼まれて、各国の旗を胸の前に持ち上げて一緒に写真を撮りました。ランチパーティではパプアニューギニアの先生に、「私の家に泊めてあげる。お金はいらないわ」とお誘いを受けました。いつか行きたいですね。

 平成29年5月15日号「市報きよせ」掲載

 先月23日の日曜夕方、とても不思議な光景に出会いました。妻を車に乗せて所沢方面に走り、レストラン馬車道を過ぎ、JR武蔵野線のガードの先50メートルくらいの道路端にカラスが2羽いました。
 1羽は道路に仰向けに倒れて顔を上げており、もう1羽は心配そうに立ちすくみ傍で覗き込んでいました。「あれっ! 車にひかれたのかな?」と思いながら、ゆっくりとセンターラインをまたぎながら通過していきました。
 バックミラーで確認したら、後続車がスピードを出して迫ってきて、カラスはあわてて、1羽は仰向けに歩道側に飛びよけ、もう1羽は普通に寄り添って飛びました。
 とにかく、仲間のことを心配して見つめている姿が印象的でした。カラスにも仲間を思う心がある。ごみ袋を食い荒らすなど全く行儀が悪い鳥だが、決めつけてはいけないと思いました。
 そして、はっと気がつきました。そうだ、4日前に、日本サッカー協会のシンボルマークは八咫烏(やたがらす)だと市長室で久保さんから教えてもらった! 八咫烏は神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る険路の先導となった大鳥です。
 それにしても何で、あんな不思議なカラスの姿に出会ったのだろうと思い続けていたら、3日後の26日に納得がいきました。
 3月27日・28日に水再生センターのサッカー場で開催された【清瀬・被災地サッカーフェスティバル~マケルモンカ! ! 福島復興大会~】の関係者が報告に来てくれたのです。80チームの申込みで、運営上60チームまでとし、子どもたちの参加数は約800人でした。私も雨のなかの開会式には参加したので、「誰か体調をくずした子どもや関係者はいなかったか」と聞いたら、「いませんでした」と報告があり、「そうか、みんな気合いが入っていたから雨に負けなかったね」と話しました。
 「来年も全国に呼び掛けて、2回目を開催したいのです。ご協力をお願いします」、「よしわかった。東京都下水道局水再生センター他関係団体にもしっかり連絡をとって、開催に向けて全面的に支援する」と応じました。
 あの2羽のカラスの姿、このことだったのかな?

平成29年4月15日号「市報きよせ」掲載

 先月25日、東京病院「桜の園」の南にある障害者施設「清瀬療護園」の竣工式典に呼ばれ、挨拶で聖書の言葉を引用しました。【狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者多し】。私の解釈は「人間好き勝手に自由に生きられたら、楽しいだろうけど、我慢ができなくなっていくから最後は心が滅びる」です。
 その翌日、「約束の大地」(青林堂刊)という本に出会いました。著者は生まれてすぐのトラブルで脳に障害を負い、体を動かすこともしゃべることもできない24歳になるみぞろぎ梨穂さんです。國學院大學の柴田保之先生により言葉が紡ぎ出されました。
 『言いたい気持ちがあります。びっくりして夢のようです。長い間待ち望んでいました。私に言葉があるとなぜ思ったのですか。・・・理想をそのまま語ると、私にとって私の生きる意味は、私たちのような存在でも生きる意味があるのだから、どんな人にも生きる意味があるということです。楽な人生ならそんなことは考えはしなかったでしょうね。でもこうして私はぼんやりとは生きてこられなかったので、わざわざそういうこ
とを考えてきました。
 なぜ私に生きる意味があるのかというと、黙ったままの人生でも人は希望を持って生きられるということを証明できたからです・・・』
 やっぱりそうだった。実は30年近く前、今は30代になる井上抬造君が私の幼稚園の脇の道を毎日、母親に車いすを押されて養護学校に通っていました。だから、毎日声を掛けました。重度の障害で当然反応はありませんでしたが、何か私は「私が本当に誠意を持つ人間かどうか」心の中を見られている気がしました。
 梨穂さんの本の序文にある矢作直樹東京大学名誉教授の言葉『それはまるで幾多の試練を経験した魂が今世でさらなるチャレンジのために操縦困難な肉体を選んで生まれてきたようです。まさに、障害を自分や社会のためにポジティブに生かしていく「チャレンジド」の体現そのものです』。
 約束の大地、もしかしたら清瀬かもしれませんね。見えないですけど、魂のレベルが高い人がたくさんいらっしゃるでしょう。ありがたいことです。

平成29年3月15日号「市報きよせ」掲載

 病気の方も含め、最後は住み慣れた地域で自分らしい生活を続けられるようにとのことで、現在、医師会や歯科医師会などの医療介護連携推進委員会の皆さんで地域包括ケアシステムの検討をしていただいております。
 私事で恐縮ですが、先日、実母が介護施設で老衰のため亡くなりました。施設に入る前は自宅で父と母の介護を専門職の力を借りながら、妻とともに行いました。その後、断腸の思いで施設に預けることにしましたが、我が家での介護は、まさしく医療介護連携の実践の場でもありました。
 母との思い出話になりますが、幼稚園長時代、毎年春が訪れると、子ども達と遊びまわっている時によく「みかんの花咲く丘」の曲を園庭に流すのが最高の気分でした。「いつか来た丘 母さんと一緒に眺めたあの島よ 今日も一人で見ていると 優しい母さん 思われる」を聞いていると自然と甘美の涙が出てきました。議会開催中でしたので、家族葬で執り行いましたが、母には「産んでくれてありがとう」と言って、母の棺の前で「みかんの花咲く丘」をピアノ演奏しました。母の死が感じられた10日ぐらい前から「よしっ、ピアノを弾いて送ろう」と急きょ練習しました。
 米寿直前の老衰の母の死に悲しさはありません。ひたすら感謝です。甘美の涙がいつも出てくるのは、心の真ん中が母の愛に包まれているからだろうと思います。
 4年前の父、1年4か月前の義母、そして母の旅立ちの様子を見守りました。それぞれの人生を一生懸命生き、苦難の連続のなかで、私たち子どもを育ててくれました。ただただ「感謝」です。
 医療介護連携推進につきましても、少子高齢化社会の進展により、膨大する社会保障費をこれ以上増やすことができないなか、在宅医療、訪問看護や介護、さらには、地域の皆さんのご協力をいただきながら進めていかなければなりません。市でも市民の皆さんの「健幸寿命」を延ばす事業を進めております。ぜひ、市のいろいろな取り組みにご参加をいただき、いつまでも健康でお過ごしください。

平成29年2月15日号「市報きよせ」掲載

 郷土博物館で『清瀬 結核の歴史展』が開催されました。外科手術、薬もなく不治の病の時代、結核との向かい合いは「大気・安静・栄養」療法でした。
 不思議なことに、この療法の3つの言葉から清瀬が浮かび上がってきます。安静と栄養の順序を変えれば、「たいき」の「き」、「えいよう」の「よ」、「あんせい」の「せ」、それぞれ3番目の文字を結ぶと「き・よ・せ」が現れます。それにしても不思議な浮かび上がりです。結核と清瀬との深い縁、結です。
 もうひとつの不思議です。国立病院機構松江医療センター矢野修一副院長によると、古代ギリシアの医者であるヒポクラテスは結核に対し、「透明な肌、長い首、大きな目とそこに宿る光、午後になると発熱し頬が紅潮」と妙齢の美しい女性を髣髴とさせる表現をしたそうです。
 一方、東京スカイツリーをデザイン監修された清瀬名誉市民の澄川喜一氏も、「スカイツリーは眺める角度によって表情を変え、レース編みをまとった貴婦人のような美しい立ち姿です」と話されています。「美しい女性」で結核とスカイツリー、清瀬が繋がります。
 病に耐えて、光を灯す、まさに東京スカイツリーも建設中、東日本大震災に襲われても大林組の技術によって倒れず(大林組技術研究所は清瀬にある)、希望の光を灯してきました。
 話は飛びますが、戦後の連合国による東京裁判で日本側の弁論を展開したのは清瀬一郎弁護士です。何か、「清瀬」は人類的な使命を担っているのかなと思ってしまいます。
 ところで、「結」に係る看護研修学校(結核研究所西側)の校歌もあります。『むすばれている 同じいのちの痛みの根元で 陽が昇るまた陽が沈む理由(わけ)もなく共にいる 理由もなく手をのべる人愛(ひと)として』。「結」は命の寄り添いです。
 清瀬は命の寄り添い「結のまち」です。今、結マップを構想しています。一例は日本社会事業大学にあるキリストの愛の象徴アガペーの像、そして近接する老人ホーム上宮園には仏教を日本に広めた聖徳太子の上宮太子像が鎮座されています。
 清瀬にはいくつもの魅力ある尊い「結」が存在し生まれてきています。

 

平成29年1月15日号「市報きよせ」掲載

 「ふせぎ」の力が1月5日、しっかりと姿を現してくれました。市内での火災焼死者ゼロ連続3000日(8年以上)達成です。多摩26市を管轄する消防署で一番の実績です。J:COMテレビの年頭挨拶で選んだ今年を象徴する漢字一文字、「結」そのものです。結とは助け合いの心、組織を意味します。
 実際、この8年の間に何回か焼死者が出る可能性があった火災が発生しています。一番危なかったのは昨年の2月でしょう。ある高齢女性が2階の部屋にいたところ、その部屋から出火しました。当然とんでもなく驚いて、おそらく腰を抜かしてしまったか、自力では避難できませんでした。そこに、たまたま火災を発見したご近所の人が2階のその女性を部屋から助け出しました。下宿の東京都無形文化財「ふせぎ」の力が市民のなかにも浸透してきたと信じたいです。「結=ふせぎ」です。
 私も32年間消防団員でしたので、火が異常に燃え上がる現場に行くと気が動転してしまったことを、今でも覚えています。よくご近所の人が素早く動いてくださいました。改めてありがとうございます。
 5日当日に清瀬消防署が東京消防庁消防総監から表彰され、14日の清瀬市消防団出初め式には、総監が直接来られて消防団を表彰してくれます。
 消防署、消防団、「向こう三軒両隣」これが典型的な「結」の姿です。
 その「結」の活躍、実績が年頭に表彰されたこと真にうれしい限りです。前号コラムでも触れましたように、渡り鳥のV字飛行は「結」そのものです。皆で助け合って飛ぶから超長距離を飛べるのです。だから、人間は超健康寿命を生きられるはずです。
 さてありがたいことに、時に合わせて今、市長室で王冠を掴んだ大きな鳥が飛んでいます。絵ですが、酉年の年頭で本当に気分がいいです。昨年12月26日にレッドライオンズの小学校3年生4年生の子どもたちが東京都三多摩少年野球秋季大会三部で81チームのなかで勝利して、その優勝旗を持って報告に来てくれたのです。
 その時に「優勝旗、市長室に飾っておくから置いて行ってくれ」と頼み、28日に「えっ! 鳥だ!」と気が付いたのです。レッドライオンズ本当にありがとう。

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