市長コラム「3本の木とともに」 令和2年1月15日号から12月15日号

ページ番号1002488  更新日 2020年12月15日

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令和2年12月15日号「市報きよせ」掲載

新型コロナウイルスの感染が拡大しております。市内の患者数は、 12月6日には残念ながら累計で100人を超えてしまいました。
今回は、夏の「第2波」と比べ、全世代への感染拡大と重症化のリス クのあるご高齢の方の新規感染が大幅に増加しているのが特徴で、特 にご高齢の方の感染機会をありとあらゆる場面で減らしていくことが 重要です。これからの季節、飲食を伴う会話には十分にご注意いただ くなど、家庭内にウイルスを持ち込まないよう対策の徹底をお願いい たします。感染の封じ込めに向けて、引き続き皆さまのご協力をお願 い申し上げます。

 

坂田教育長から、とても感動し た報告を受け取りました。文化勲 章受章者の澄川喜一先生について の、第六小学校6年生の作文です。全員紹介したいのですが、残念な がら1つだけにします。『スカイツリーをデザインした澄川喜一さん が自分の生まれ育った清瀬にいる なんて凄いと思いました。私にも 夢があってパティシエになりたい のですが、今回この本文を読むま では少し自信がなくて「私って本 当にパティシエになれるのかな」なんて思ってしまうことがあった のですが、一回父に言われてあきらめかけたけど、一つの夢を追いかけ続けた澄川さんの姿を知り、 私も弱気なことを考えず、澄川さ んのようにねばり強く生きようと 思えました。・・・この本文はこれからの私に大きな一歩を与えてくれました。ありがとうございます』。

共感、感動が大きな一歩、夢を作り出していくのでしょう。市制50周年式典の後、日本BCG研究所 片山所長から、とても有難いお手紙を頂きました。『今回の式典の中で特に強く感激いたしましたのは、渋谷先生の郷土愛、清瀬愛でございます。(中略)私達日本ビー シージー製造株式会社も(中略)さらに精進を重ね清瀬市のために、 世界の結核予防のためにまい進してまいりたいと思います・・・』。

これまでビーシージーが50年以上にわたり、毎年ワクチン5千万人分を約100カ国に送り続けていたのですが、その尊いことに地元は全く気づきませんでした。結核研究所、リハビリテーション学院 など、いくつもある尊いことについても本当に知らなかったので す。つまり、極めて尊いことに、共感、感動が全く無かったのです。

清瀬の極めて尊いことに、一人 一人が改めて敬意を持っていくべ きだと思います。有難いことに東京都が来年4月ごろ、日本で初めての子どもの結核のための東京都清瀬小児病院跡地に、『鎮魂、慰霊』のための、母子像を鎮座させます。

文化勲章、結核研究所の小学校教科書掲載、東京管区気象台清瀬移転2年目の12年ぶりの台風無上陸、清瀬を大事にしましょうという天啓かと思います。「清瀬讃歌」2番にその意味があります。『人生を 社会(このよ)にささげ 生きてゆく 人のつよさよ 闇を焚(や) く 火の花祭り 誇らかな願いがこもる・・ ・』。ヤミを焼き、世のなかを明るくしてゆく清瀬を来年も大事に していきましょう。

令和2年11月15日号「市報きよせ」掲載

 清瀬!清瀬!清瀬! 清瀬市名誉市民の澄川喜一元東京藝術大学学長が、11月3日皇居で文化勲章を受章されました。市民の皆さん、大いに喜びましょう。

 東日本大震災の後、気持ちが真っ暗になってしまった日本に明かりをともした東京スカイツリー®をデザイン監修したのが澄川先生、建設したのが清瀬に技術研究所がある大林組です。新型コロナ問題で暗い時に、再び明かりをともしてくれました。本当に有難うございます。

 結核と闘い人類最高の悟りを得たと思われる中村天風哲人の教えの一つが次の言葉です。『およそ宇宙の神霊は、人間の感謝と歓喜という感情でその通路を開かれると同時に、人の生命の上に迸り出でようと待ち構えている。だから、平素出来るだけ何事に対しても、感謝と歓喜の感情をより多くもてば、宇宙霊の与えたもう最高のものを受けることが出来るのである』。本当に、澄川先生の文化勲章を大喜びすれば、さらに清瀬に喜びを連れてきてくれると私は信じます。

 喜ぶ力が弱いとよい事に気付く力も弱くなります。 清瀬は恐ろしい結核と闘ったまちですから、とても喜ぶ力が弱くなっていました。だから、宮中の歌会始選者で京都大学医学部卒業後、東京病院、上宮病院に勤められていた「上田三四二」先生の存在にもほとんど気が付かなかったのです。お医者さんの仕事とは別に、日本芸術院賞、川端康成文学賞など多くの著名な賞を受賞されていたにもかかわらず、全く清瀬の話題にはなっていませんでした。とても、もったいなかったです。

 さらには、結核が蔓延していたころ皇室がときどき清瀬に結核患者のお見舞いに来られていたようです。現在、公益財団法人結核予防会の総裁は秋篠宮妃殿下です。結核予防会の機関誌『複十字』394号の、関西大学高鳥毛敏雄教授の『新型コロナウイルス感染症の対策を支えている保健所と結核対策の歴史』を読むと、改めて清瀬の凄さを感じます。『…結核対策は内務省と市町村を中心とした体制では全く対応することが出来ませんでした。そのために、保健所と厚生省(現厚生労働省)という専門行政の仕組みが作られたと言えます。それだけではなく、結核予防会が設けられ、結核研究所が設置されました。 …日本の保健所は結核対策とともに発展してきたと言えます。治療法もなくどんな対策を行うべきかもわからなかったことが、結核予防会結核研究所が設置された理由であり、結核研究のミッションを担う結核研究所が科学的な結核対策の方策をつくり、それを全国の保健所が地域で実施することで、日本の結核対策がつくられてきたということを後に知りました。…』

 清瀬の偉大な力、ヤマトタケルノミコトが水天宮ができる前の場所に立ち寄ったことから始まっているのでしょうか。私は後鳥羽上皇ともご縁を頂いています。市長就任前に私が引き継いだ板橋の幼稚園は、上皇が使っていた扇をご神体としている島根県吉田八幡宮の宮司の一族が開設しました。そして上皇がご神体の隠岐神社の開設は結核予防会創立と同じ昭和14年です。

 澄川先生の文化勲章、清瀬と皇室との関係を改めて感じさせられました。有難い事です。

令和2年10月15日号「市報きよせ」掲載

(お詫び)
この度は、可燃・不燃ごみ用の旧指定収集袋の差額券の販売や戸別収集にあたって、混乱を招きご迷惑をおかけしていることを深くお詫び申し上げます。今後は適切に対応してまいりますので、皆様のご理解、ご協力をお願い申し上げます。

 

 大変ありがたい事に、新型コロナ対策で縮小した市制50周年記念式典でしたが、錦上に華を添えることができました。新型コロナで学校も大変ですが、この4月から全国で使われている日本文教出版の小学校6年社会科の教科書の263ページに、結核研究所(東京都清瀬市)の項目で記載され、国際結核研修で清瀬が世界に貢献していることが記載されました。2018年でも世界で150万人が亡くなっている3大感染症の結核に、清瀬の結核研究所が国際協力機構と協力して50年以上、世界の医療関係者の研修を積み重ねてきたのです。感染症の新型コロナが世界を混乱させているタイミングで、その事を初めて載せてくれた教科書が式典に華を添えてくれたのです。
 もう一つの華は、『清瀬讃歌』です。23年前に日本社会事業大学の当時の京極学長が前星野市長に「市民の皆さんが元気になる歌を作りませんか」と提案したことから、生まれました。しかしこの曲は、企画・制作の経緯などもあり、合唱グループ以外の方からは完全に忘れ去られました。一昨年、青少協第2地区のイベントで子どもたちの歌に合わせて、ピアノの伴奏をしてほしいと頼まれたときに、「よしっ! 『清瀬讃歌』に挑戦するか」と思い立ったのです。不思議な場面でしたが、今思うと故星野前市長が天上で動いたと思います。何せ私は、幼稚園園長として子ども達と最高に楽しい日々を送っていたにもかかわらず、星野市長からの後任市長としての二度に渡る強い指名により覚悟を決めて市長の大役を担わせていただいています。そして、『清瀬讃歌』の作詞は同じ星野(哲郎)さんだったのです。2人の星野さんが天上で動いたのだろうと思わざるをえません。
 だから、記念式典の後、会場の皆さんに残って頂いて1番から3番までを私がピアノを弾いて、4番を野村先生に弾いて貰って、私は歌いました。『~幸せを分け合いながら~和のまち、夢のまち、好きだよ清瀬~』この讃歌を心にしてまちづくりを進めていけば、市民の皆さんが幸せになっていくはずだと信念をこめました。
 3つ目の華はダウン症の小学校2年生の作文です。今年のJ:COMのテレビの年頭挨拶で、『愛着障害』の本を引用しながら、子どもを抱っこすることが『成長ホルモンや神経成長因子などの分泌を活発にする・・・よく抱っこされた子は甘えん坊で一見弱々しく見えて、実の所、強くたくましく育つ』と訴えましたが、その実例の報告が先月9月ありました。
 ダウン症の2年生が校内放送で作文を読みあげたのです。「ぼくが一学期にがんばったことは二つあります。一つ目は漢字テストです。初めの頃はなかなか一回で百点がとれませんでした。なんどもノートに書いて覚えて、やり直しのテストでやっと百点がとれました。お母さんがテストと同じ問題を作ってくれました」と式典で紹介しました。
 50周年を契機に、清瀬ではいろいろな所で人が育ち、幸せを分け合うまちになっていくと私は信念します。

令和2年9月15日号「市報きよせ」掲載

ああ「やったー、やったぞー!」と叫びたいです。8月27日の東京新聞では、「清瀬市役所の屋上で市職員が自らミツバチを育て、生産したミツバチが悲願の〈都心進出〉を果たした。市の蜂蜜を使ったジェラートが26日、新宿高島屋で発売されたのだ。今季は、外国人助っ人の登場で蜂の数が約20万匹に倍増。…」しかし残念ながら、長梅雨のため、昨年よりやや多い80キロ程度の収穫になりそうです。26日の毎日新聞では「…清瀬市では総務課職員が2014年から庁舎屋上で養蜂をしている。親子で蜜を採取する体験の実施や収穫した蜂蜜を小中学校の給食に使ったり、地元事業所と菓子や美容液など特産品作りに活用したりしている…」などと掲載されました。

現場力が本物になっていくと地域社会は豊かになっていきます。そのなかでもとても感動したのが市民の皆さんからの、職員、委託業者へのお手紙です。「ごみを収集してくれて、ありがとうございます。私たちはあなたたちに感謝いたします。コロナに気をつけて、がんばってください。これからもよろしくおねがいします」。報告によると約40人の市民の人がごみ袋に手紙を添えてくれたそうです。それぞれの分野で【上から目線でない、誠実な信頼関係が増えてきている】、とても有難いことです。

私も下宿の2本の木に繋がれて下がる16mの藁で編まれて、江戸時代から続く、市民を病魔から守る大蛇に【コロナから清瀬市、市民をお守りください】と、祈念した後、縁ある出会いで、ある高齢女性に話しかけられました。「お話聞いていただけますか。(大丈夫ですよ)。主人は自宅療養で私が世話しているのですけれど、最近認知症が進み、主人に亡くなってもらって自分も死のうと思うようになってしまったのです。(…えっ!大変ですね。お名前と電話番号を教えていただけますか。役所の担当に詳しく状況を確認させてもらいますから…)。」

翌日には担当に動いてもらいました。もちろん問題は全て簡単に解決できるものではありませんが、向き合って問題を受け止めることが、現場力を本物にしていくと私は信じています。

先日、時間があったので、車を運転して立科町に出かけた時に、関越自動車道の所沢ICでびっくりさせられました。50~60台も並んだトラックの行列は初めて見たので、「これだ!これが日本の経済の力だ」と改めて確信しました。(昔に比べ)車体がとても大きくなったトラックを運転手さんが丁寧に運転し、日本中を行き来しています。まさに物流の力、無いところにあるところから運ぶ、日本中の地域で豊かになっていきます。これが基礎力、基盤力、基本力です。現場力を運転手さんたちが見事に体現してくれています。清瀬の現場力を高めていけば、市民の多くの人が幸せになっていくと私は信じています。

令和2年8月15日号「市報きよせ」掲載

九州、球磨川の大洪水のニュースを見ていて、ダムがないと、地球温暖化が進む世界では、異常天候による大規模な水害が毎年発生してくるだろうなと思わされてしまいました。
 それは、昨年台風19号の後、群馬県の八ッ場ダムを確認に行ったからです。総貯水容量はたしか1億750万トンくらいで、昨年8月上旬に家族で見に行った時はまだ完成直前でほとんど空っぽでした。それが8割ほどにまでに達したというのでとてもびっくりしました。
 だから都心は水浸しにならずに済んだに違いないと直感したのです。このことから今回も、西武園の近くにある貯水池を確認しておこうと出かけました。
 村山上貯水池298万トン大正13年完成、村山下貯水池1,184万トン昭和2年完成、山口貯水池1,953万トン昭和9年完成と書かれてあり、計3,435万トンでした。このことにより納得させられました。実は子どもの時、近所の人から、「昔は、この近くまで柳瀬川の水が来たんだよ(柳瀬川から300mくらい?)と聞かされたことがありました。そんなことあるはずないよと内心思っていたのですが、おそらく昭和2年前までは柳瀬川の源流付近で大雨が降れば、清瀬にもそのまま大雨が流れてきたと納得しました。
 空堀川も改修により拡幅し、第四小学校の裏手に曲がり込んでいたのをまっすぐに柳瀬川と合流させました。以前私が20代の消防団時代は、台風来襲の時、第四小学校の体育館に泊まり込んで土嚢積みなどをしました。当時は消防団分団長が避難指示を出し、分団員がおんぶをして避難を手伝いました。だから改修を進めている空堀川ですが、東京都には遊水池も必要ですと訴えています。
 さて、別な意味で清瀬も90年(来年、東京府立清瀬病院が開設されて90年です)にわたり、超巨大ダムのような尊い役割を果たしてきました。6日の東京新聞を見ればよくわかります。【…新型コロナウイルス感染症による死者が5日、世界全体で70万人を超えた。感染が報告されて7か月余りで、3大感染症2番目に死者が多いエイズの昨年の死者数69万人を上回った。最も死者が多いのは結核で、2018年に150万人が死亡。…】
 もう何度もお伝えしていますが、清瀬のBCG製造株式会社は、毎年約5千万人分のワクチンを世界に供給しています。
 10月には市制施行50周年を迎えます。私は清瀬の尊い先人、先輩達を誇りにします。

令和2年7月15日号「市報きよせ」掲載

とても有り難い、感謝感謝、大感謝です。6月8日、議会初日を終えた後、中島医院に行ってなかったら、もう天国に行っていたでしょう。盲腸あたりが少し痛かったので、どんな痛みも止める中島先生に痛み止めのシールでも貼ってもらえば大丈夫だろうと診察を受けたら、あと1日2日くらいで盲腸が破裂してしまう、東京病院の元吉先生に診てもらった方が良いと言われ、次の日約5時間の緊急大手術となりました。今でも、このタイミング、とても不思議だったなと思っています。

ところで、私の人生で影響力の大きかった、生命以外の最大最高の不思議な体験は、35年前の昭和60年です。東所沢駅前の土地に、借金をしてスポーツクラブを立ち上げたときです。6月から運営を開始しました。最初の月の赤字は300万円で、運転資金で残してあったのは2千万円でした。

『会社続けられるのは半年だ』と思いました。我が家の土地を売却して借金を返したら、どこかの会社が雇ってくれるだろうから勤めて働けばいいやと思いました。お金をもうけるためにスポーツクラブに挑戦したわけでは全くありませんでした。幼児教育で温水プールでの年間水泳指導が当たり前になってきたからでした。

300万円の赤字が7月8月と続きました。9月に入りとてもびっくりしたのは、貨物電車しか走ってなかった武蔵野線に突然通勤電車が走るようになったのです。以前はとにかく貨物だけでしたから、駅周辺は8割9割畑だらけでした。バスを回して遠くから会員の人に来てもらえばいいやと思っていたのです。そんなとき、通勤電車が走り始めたら、どんどん変わっていったのです。スーパーができ、マンションが次々と建てられ、もちろん住宅もいろいろな所に建ち始めました。だから赤字は解消していったのです。そのことがなければ、今の私は全くいません。

市長の立場でも不思議でした。世界医療文化遺産は私の思いには全くありませんでした。私の大目標は幼児教育の本を2冊、出版社から頼まれて書き上げるというのが人生の夢でした。この立場になっていろいろな先生から学び、調べていったことが、富士山の世界遺産報道を耳にしたとき、【自然の美しさは富士山だ。精神の美しさは結核と闘い抜いた人々の清瀬だ】と思ったことが世界遺産発想になったのです。清瀬は結核と闘った無数の魂が見守っているに違いないと私は信じています。

令和2年6月15日号「市報きよせ」掲載

天が大きく動いてくれたに違いないと思わされました。5月13日の東京新聞の記事です。『麻生太郎財務大臣は、政府の借金が増えすぎることによって、日本財政が信頼されなくなる可能性を指摘してきた財務省や報道機関を「おおかみ少年」と表現した。大規模な財政対策の編成により、借金証書に当たる国債の2020年度発行額が過去最大となる中、財務省トップ自らが組織の見解と食い違う「楽観論」を示した』。やっと真実を言ってくれました。

私も6~7年前でしょうか、日比谷公会堂で東京都道路整備促進大会の閉会の挨拶の役割があり、1000人以上の区議会市議会議員の皆さんに言いました。『日本は借金国家ではありません。国債の約95%は金融機関等を通して国民が買っているのです。海外に返す必要は全くありません。よく覚えておいてください』。閉会後、国土交通省の担当者も喜んでくださり、声をかけてくれました。

借金国家なら、円を持っていたら危ないから海外でどんどん売られて1ドル140円とか150円と安くなるのが当たり前なのに、コロナの世界騒動で1ドル107円などと円高になるのは世界の日本への信頼が極めて高いからです。

そして、一番の日本の力は現場力です。和の力、命・食べ物を育て、守る力、物をつくり出す力、供給・サービスの力などが現場に根付き育っているからです。ここ8年くらいで高速道路を走るトラックがとても増え、しかもとんでもなく大きいトラックが走っています。一人の運転手で運べる量が、今までより2~3倍になっているようです。ということは、2~3倍お金の価値をつくり出すようになったということです。だから通貨発行権を持つ、政府はもっとお金を発行して広く国民に浸透させていくべきです。物・サービスの価値はお金で表現するのですから、その価値が増えているわけで、緊縮財政ではなくもっといろいろな方法で国民にお金を回すべきです。

元大蔵省の優秀な官僚で、国のバランスシートを初めて作成した高橋洋一氏の著作『政治家も官僚も国民に伝えようとしない増税の真実』(SB新書刊)には、【財務省の「日本の借金1000兆円説」は大ウソ 日銀は政府の「連結子会社」である 日本の借金がゼロであると発表したIMF】等と書かれています。だから、コロナを抑えられれば、日本経済は大きく復活し、人々は幸せになっていくと私は信じています。

令和2年5月15日号「市報きよせ」掲載

新型コロナウイルス感染症のために、5月の連休中もほとんど自宅にいました。ですのでピアノの練習時間が増えました。3~4曲、新しい曲を弾けるようになりそうです。不思議だったのは、『夏は来ぬ』を4日、5日と練習した時です。レパートリーに夏の歌も入れておこうと思い、チャレンジしたのですが、5日たまたま洗面所でカレンダーを見たら、5日の日が『立夏』だったのです。今までの人生、立夏の日は意識していませんでした。タイミングが良いのだから、『夏』は喜んでいるだろうと思いました。

その返事かのように夕方、秋津のスーパーの駐車場で「7576」のナンバーの車が目の前に停まったのです。2年前の7月5日、北里研究所北里大学と清瀬市は世界医療文化遺産に向けての協定を結び、翌7月6日には公益財団法人結核予防会と協定を結びました。それ以来、何かの時には「7576」の車が現れるに違いないと思っていて、これが2回目の出合いでした。

よしっ! 6月に90歳になられる、清瀬市文化財保護審議委員の小西一午さんの2回目の原稿が、「世界遺産アカデミー」の会報誌・5月号に発行される。世界がコロナに苦しめられている時だから、きっと日本中で大評判になるに違いない。アカデミーの会長は元環境庁長官ですし、早稲田大学名誉教授・吉村作治氏も理事です。小西さんの尽力でアカデミーが清瀬に注目してくれているのです。

実際、結核予防会の資料では、1900年(明治33年)には、結核の死亡者数は71,771人です。その後どんどん増えていき、1918年(大正7年)では14万747人となっています。その後少し減ったものの、東京府立清瀬病院が開設された昭和6年では、12万1,875人がなくなっています。戦争中の昭和18年には、17万1,474人です。

その極めて恐ろしき世界3大感染症の結核を抑え込んできたのは、清瀬の結核研究所です。そのことも、天が動いているかわかりませんが、タイミングよく、学校再開後から使われる検定後の教科書の一つ、小学校6年生の社会科教科書(日本文教出版)の日本の国際協力のところに、『結核研究所(東京都清瀬市)』がしっかりと載りました。

新型コロナウイルスの問題が鎮静化したら、市民の皆さまにご招待いただいた会合などで、教科書とともに清瀬の尊さを共感したいですね。

令和2年4月15日号「市報きよせ」掲載

市民の皆さまへ

新型コロナウイルスの感染拡大で世界中が苦悩しています。

都内には緊急事態宣言が発令され、緊迫の度合いが増しています。

現下の状況と同様に江戸時代、下宿地域で疫病が流行った時、村人が円通寺の観音様に「助けてください」とお願いしたところ、「私が病魔から村人を守ります」と観音様の陰から大蛇が現れ、疫病から村人を救ったというお話があります。これをもとに、以後200年近く、約16mの大蛇をまつる「ふせぎ」行事が続いていて、東京都の無形民俗文化財に指定されています。きっと清瀬の伝統「ふせぎ」の愛の力が、市民の皆さんを守ってくれるでしょう。

このようなことから、20世紀の100年間で、日本人が約665万人亡くなり、亡国病といわれた結核と、日本を代表して清瀬がたたかったのだと思います。

今でも日本ビーシージー製造株式会社が、毎年5千万人分のワクチンを世界に送り、結核の撲滅に貢献しています。
国外では、世界各国の新型コロナウイルスの感染拡大状況がそれぞれ違うことから、幼少期のBCGワクチン接種の有無が影響しているのではないかとの説もあるようです。

自分にとって大切な人を守るためにも、もうこれ以上感染を広げてはいけません。さらなる感染拡大を防ぐために、まずは、必要な時以外の外出を避けるよう、市民の皆さんにお願いいたします。そして、デマに惑わされず、常に正確な情報を確認して、冷静な対応を心がけてください。

令和2年3月15日号「市報きよせ」掲載

「塵も積もれば山となる」を実感しました。先日の日曜日、東所沢に建設中の『ところざわサクラタウン』が間もなく完成ですので、妻と一緒に見に行きました。2,000人が働く、「クールジャパン」の総本山を目指す、約4万平方メートルの凄い施設で圧倒されていた時に、買い物をしていた妻から電話が入りました。「幼稚園の卒園児が金太郎先生に会いたいと言ってるので、駐車場に戻って来て」と言われました。

戻ってみると、39歳の母親になったMさんで、小学5年生の娘のYちゃんも一緒でした。楽しく会話していたら、20mくらい離れた所から、「あっ、金太郎先生だ!」と子どもの声が聞こえました。手を振ると、5歳くらいの女の子が両手を広げて駆け寄ってきたので、すぐ抱き上げました。

次には小学生の男の子2人も寄ってきたので当然抱き上げました。やはり幼稚園の在卒園児でしたが、私はほとんど幼稚園には行ってないので誰だか全くわかりませんでした。「何で寄ってきたのだろう」と不思議に感じました。

車を運転して帰りながら、「あーそうか」と思いました。40年近く幼稚園で子ども達と関わって、毎日分け隔てなく、100人から300人くらいを抱き上げてきたから、延べ人数で行けば、70万人から100万人くらいを抱き上げたに違いないな、だから、その時の子ども達の心の塵が見えないけど僕の周りにはいっぱいついているのだろう、それを子ども達は直感するから、寄ってきたのだと確信しました。そして、もう一つ思い出してしまいました。

20年近く前のことでしょうか。3月の卒園遠足で西武園に行った時のことです。ある女の子をおんぶして走り回っていた時、突然その子が口を耳元に近づけてきて「園長先生、3年間有り難うございました」と言ってくれたのです。私はどっと涙が出てしまいました。

今、『子どもの人生は「腸」で決まる―3歳までにやっておきたい最強の免疫力の育て方―』(東洋経済新報社刊)というアメリカの学者の本を読んでいます。次の部分があります。『生後間もないころに遭遇する人や物が、お子さんの健康を守る微生物を植えつけてくれるのだ。だから土がとても大切になる。土壌には膨大な種類の無害な細菌がふくまれていて、体内の常在菌にならなくても、お子さんの免疫系を強化する複雑な特質を持っている。』

清瀬には畑がいっぱいあります。塵も積もれば山となるはずです。

令和2年2月15日号「市報きよせ」掲載

新型コロナウイルスの中国から世界への感染拡大報道が続くなかで、突然気が付いてしまいました。『あっ! 来年は90周年だ!』。昭和6(1931)年、東京都(府)により中央公園周辺一帯に結核のための病院、東京府立清瀬病院が開設されてからです。

今は3つの病院が統合されて、東京病院になっていますが、【サナトリウム残影】(高三啓輔著・日本評論社刊)という本に、『39年という時間は医療施設の歴史としてみれば必ずしも長いものではない。しかし、清瀬病院の39年は、間違いなく日本の結核史の主要舞台として回転した時間であった。施設統合という出来事自体が象徴的なことであった。清瀬病院の消長は日本の結核史そのものといえた』と書かれています。

実際、【フロジャク神父の生涯】(五十嵐茂雄著・緑地社刊)という本には、昭和の時代の初めのころの状況が次のように書かれています。『貧しさゆえになった結核が、貧乏人を一家心中寸前にまで追い詰める。そういえばこの時の一家心中というのは、毎年300件前後におよび、欠食児童の問題とともに、世間の耳目を集めたものだった。貧困が結核を生み、結核が貧困を深刻化するという図式が、はっきりしていながら、何の手もうたれなかったのである。BCGも抗生物質もなく、感染の機会は無数にあった』。

さらに、昭和2年ごろに調査された「全国民間療法一覧」を見ると、どれだけ人々が結核を恐れていたかがよくわかります。以下のものを飲んだり食べれば結核を治すことができるという内容です。『赤児の胎盤、犬の糞、うじ虫の煎汁、お札、金魚の目玉、黒猫の黒焼、人骨の粉末、石油飲用、人間の脳髄の黒焼、分娩時の後産、老人の脳骨』などなど多数。恐怖! 恐怖! 恐怖! の結核に日本を代表して清瀬が立ち上がったのです。

3週間前に、小池都知事との間にとても有り難いご縁が生まれてきましたから、「東京都(府)が開設した清瀬病院ですから、90周年を記念する式典を一緒に開催しませんか」と要望してみます。

さらには、結核に関する世界医療文化遺産、東京府立清瀬病院が原点ですから、その歴史の尊さを清瀬と一緒に世界に発信していきませんかと、『だめでもともと』の覚悟で動いていこうと思います。

令和2年1月15日号「市報きよせ」掲載

7日の東村山警察の武道始式、今年は『祓いたまえ 清めたまえ』のような雰囲気を感じました。空手では10枚の瓦を重ねて、素手で一気に8枚を割りました。さらには、5~6センチくらいの分厚い木の板を拳や足蹴りなどで6~8枚くらい割りました。

演武では、実際に拳を相手に当て、「よく平気だな」と思わされました。柔道では女性警察官と男性警察官の試合もあり、2人の女性が男性を投げ飛ばしました。合気道でも女性が活躍し、そのなかの3人が清瀬の駅前交番に来てくれています。

まさに令和の時代の幕開けに、安全安心の確保に総力全力を尽くしてくれている姿でした。清瀬消防署も10月に竹丘分署に配置された2台目の救急車が年末年始でフル稼働だったそうです。今までより、2分くらい早く救急現場に到着しているそうです。本当に年明け早々、とても有り難い話です。

他にもあります。昨年、台風で延期になった男女共同参画センターによる「アイレックまつり」の、東京大学名誉教授・上野千鶴子さんによる5日の講演会です。会場に入ったらびっくりしました。満席でした。アミュービルの玄関ではスタッフが後から来た人を「いっぱいで入れません」と約30人くらいお断りしたそうです。

昨年の東大の入学式に『弱者が弱者のまま認められる社会に』、また『恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を助けるために使ってください』と話された上野先生はとても人気です。令和初めての年頭で清瀬に華を咲かせてくれた感じでした。また、機会があったら清瀬に来てくださるそうです。

さて、前日の4日には清瀬市軟式野球連盟会長の中村良元さんのお孫さん、西岡良仁さんがオーストラリアでのテニスの国際大会で大活躍している姿がテレビで実況中継されていました。清瀬で生まれ育ったお母さんのお子さんが世界で大活躍、本当に嬉しい話です。

もう1つ、身近な嬉しい話です。私が幼稚園の園長時代に分け隔てなく子ども達を抱き上げていたことで、自閉症から抜け出した男の子が年賀状で『希望の大学に合格し、心理学を学びます。大学でも頑張ります』。兄が『4月から大学院に進学し、ロボット制御の研究を行います』と年賀状をよこしてくれました。時は経っても真実は華を咲かせます。

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