きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩「ぶんがくブログ はじまり はじまり」

ページ番号1009184  更新日 2022年8月30日

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序にかえて 「ブンガくん 樹の上の声をきく」

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木のはのライン

新ブログ「きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩」スタート

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新しいブログがスタートします。「きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩」です。

かつて清瀬は、結核療養所のまちとして広く知られていました。
市南西部に医療施設があつまる「病院街」の始まりは、昭和の結核療養所群だったのです。
病院街の歴史は、結核医療の歴史を物語るものですが、そこには病院街ですごした多くの人たちの人間ドラマが刻まれています。

市史編さんのための調査を進めるなかで、病院街で療養の日々を送った有名無名の作家たちが書き残したものから、当時の結核療養所の興味深い姿がわかってきました。

「きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩」では、調査成果をもとに、清瀬で結核療養した作家、清瀬を舞台とした作品を中心にご紹介していきます。

散歩の友はブンガくん

ブンガくんのイラスト

文学なんて興味ない、難しそうだし。
そう、おっしゃらず。

散歩の友は、ブンガくん。彼が一緒なら安心です。
難しい話になど、なりっこなし。

清瀬文雅(きよせ ブンガ)くん プロフィール
地元と野菜をこよなく愛する市内在住の中学生。野菜は特にニンジン、ホウレンソウが好き。カブやセロリも大好き。
中央公園で遊んでいたとき、樹の上の声に導かれて病院街の歴史に関心を持ち始め、薦められるまま、清瀬の病院街で療養した作家たちの作品を読むうち、清瀬ゆかりの文学のとりこに。

このブログは、ブンガくんが清瀬の結核療養文学に詳しくなる過程を、読者のみなさまにご一緒いただこうという企画です。

さあ、出かけましょう。ブンガくんと文学散歩、ご一緒に。

木の葉のライン

序にかえて 「ブンガくん 樹の上の声をきく」の巻

B ブンガくん O 樹の上の声 

オナガのイラスト

O キュ~イ キュ~イ ブンガくんや~ ぶ~んがくぅん~ キュイ

B ん? 僕のこと、だれか呼んだ?

O キュイ こっちだよ~ こっち。 こっちだキュイ。

B 樹の上? え、オナガがしゃべってんの? まじ?

O やあ、気が付いたね、ブンガくん。オナガもしゃべるさ。ただ、その言葉が通じる人間がそんなにたくさんいない、ってだけのことだ。君には通じた。よかった、よかった。ところで、ここはどういう場所か知ってるかい?

B どういう場所って、公園でしょ。中央公園なんだからさ。そういえば、昔は大きなプールがあったって、おばあちゃんが言ってた。

O ほお、よく知っているじゃないか。プールができる前は?

B え?そんな昔のことは、知らないよ。う~ん、そうだな...原っぱ?

O ずっと昔は、雑木林だったんだ。この辺りのことを「びょういんがい」って呼ぶのを聞いたことはないかな?

B あるよ。病院がたくさんあるから、病院街っていうんでしょ。

O キュイ。その、たくさんある病院、昔は今の倍ほどの数あったんだが、そのなかで一番先にできた病院が、ここにあった。
だからここは、病院街の始まりの場所、というわけだ。

B へえ~、ここに病院があったのかぁ。

O できたときの名前は、東京府立清瀬病院。昭和6年の秋、開院。西暦でいうと1931年だから、もう90年も前のことになる。
その後、名前は日本医療団清瀬病院、国立療養所清瀬病院、国立療養所東京病院清瀬病棟ってな具合に何度か変わるんだが、その間ずっと病棟はここにあった。最初は志木街道寄りの100床、どんどん病棟を増やして千床近くまで大きくなった。中央公園だけじゃなくて、となりの看護大学校やリハビリテーション学院跡地、日本看護協会の看護研修学校あたりまで含めた広~い土地に及んでいたんだギュイ。

B 東京ふりつ?

O そのころ、東京は東京府といって、清瀬は東京府北多摩郡清瀬村といったんだ。ブンガくんは結核という病気を知っているかな?

B けっかく?

O ひところ、それこそ清瀬病院に続いて周りに次々に病院ができたころには、結核にかかって苦しむ人がたくさんいたんだ。清瀬の病院街にあったのは、そういう結核にかかった人達のための病院だったんだよ。

B あっちの病院も、こっちの病院も、み~んな結核の人のための病院ってこと?

O そうなんだキュイ。そのころ、結核は治らない病気だと考えられて怖れられていた。それでも、清瀬の病院に行けば進んだ治療を受けられて、助かるかもしれない、というので遠くからやってくる人もいて、入院の順番を待つ人がいた時代もある。どの病院もいっぱいで、病院街じゅうの患者をぜ~んぶ合わせると5千人にもなったというんだなぁ。

B え~~~~5千人! み~んな、結核なの?

O ギュイ。いま聞くと、びっくりするだろうが、そういう時代があったんだ。昔は入院している時間も長かった。退院まで何年もかかる人だって少なくなかったし、いろんな仕事の、いろんな人が入院していたんだ。

B 何年も入院してるって、どんな感じなんだろな。病院で暮らしてるみたいだね。

O 入院していた人のなかには、小説や俳句に療養所の暮らしの様子を書き残している人たちもいて、そういう作品を読むと、療養所の様子がみえてくる。

B へええ、おもしろそう!

O 興味があるなら、案内しよう。

B わあい、ラッキー! ちょうどいいや、学校の宿題、これで片づけちゃお。

 宿題「清瀬にいたことのある作家について調べなさい」

 

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