きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩 <結城昌治 2. 波郷に出会い俳句にはまる>

ページ番号1011117  更新日 2022年8月30日

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木のはのライン

B ブンガくん O 樹の上の声(オナガ)

結城昌治 2. 波郷に出会い俳句にはまる

ブンガくんのイラスト

B 結城さんが入った清瀬の療養所は、東京療養所、だったよね。

O そう。昭和14年(1939)に傷痍軍人東京療養所として始まった療養所で、終戦の年、昭和20年12月に国立東京療養所となる。

B 福永武彦や石田波郷といっしょだったんだよね。

O よく覚えていたね。療養所のようすを結城の言葉で見てみよう。

木造平屋建ての粗末な病棟は、長い廊下の左右に棟割長屋のように伸びていましたが、九寮まであるうちの四寮は四(し)が死(し)に通じるという縁起をかついで欠番、病室も同じ理由から四番室はありません。
 私が入った部屋は南七寮五番室の窓際で、差額ベッドなどはなく、向かい合いにベッドが三台ずつ並んだ六人部屋です。隣の六番室に石田波郷、八番室に福永武彦がいました。(略)薬がなくて大気安静が第一という時代ですから、真冬でも窓を開けっ放しで、もちろん暖房も冷房もありません。
(『俳句つれづれ草』)

B ひゅう、真冬も開けっ放し! 寒すぎでしょ。 ところで、「四」がつく病棟や病室って、ほんとになかったんだね。吉行淳之介がいた清瀬病院とは、違うねぇ。東京療養所で、結城さんの毎日は、どんなふうだったの?

O 結城自身の回想では、こんな感じだ。

患者の日課は六時半起床ー宿直の看護婦さんが検温と検脈にきて、いやおうなく起こされる。朝食が七時半で、十二時昼食、五時夕食、消灯が九時です。午後一時から三時までの安静時間は面会謝絶で、時間が止まったように療養所全体が静まりかえっていました。
(『死もまた愉し』)

B 安静時間! 病院街が静まり返る時間だね。規則正しい生活をしてたんだね。

O 食事のことも書いているよ。

食糧難のひどい頃だったし、いつあの世へゆくかわからない境遇も似ています。食糧難といえば、朝はマーガリンをうすく塗ったコッペパンに味噌汁、昼はすいとん、夕食が雑穀入りの飯にスケソウダラかホッケの煮つけといったあたりが給食の標準でした。これじゃ体がもちません。私は相変わらず偏食で食欲もなかったし、週に一度母が見舞いに持ってきてくれる食物が頼りで、ほかの病人仲間もみんな何らかの手段で栄養を補っていました。私の食事嫌いはこのときからえんえんと続いています。食事が義務になってしまったせいです。
(『俳句つれづれ草』)

オナガのイラスト

B 食べ物の好き嫌いって、ぼく、あんまりない方だけど、でもなぁ、このメニューの繰り返しだと、うーん、ちょっと辛いかも。それに、夕食が午後5時って、早くない?

O そうだね。でも、夕食後の時間は、比較的自由に過ごせたらしく、囲碁や将棋くらいではつぶしきれないたっぷりの時間に、それぞれにいろんなことをしたようだよ。詩や短歌や俳句を詠んで仲間と冊子にまとめたり、なかにはキリスト教の布教や、共産党の宣伝をする人もいたそうだ。

B そっかぁ、文学サークルの同人誌は、時間たっぷりの療養所の生活から生まれたんだね。

O 療養所には、たっぷりの時間と、それから、刺激的な出会いがあったんだ。結城が東京療養所に入ったとき、隣の部屋にいたのが、俳句の石田波郷だ。

 私は石田波郷の影響で俳句に熱中し、十月の初めベッドが空いたのを幸いに波郷さんと同じ六番室へ移りました。もう明けても暮れても俳句です。波郷を選者とした『松濤(しょうとう)』というガリ版刷りの俳句誌があったほか、波郷さんの提案で七寮だけの七曜会という句会もやっていました。これは俳人波郷が自分を鞭打つためだったと思いますが、寝たきりの患者が多いので回覧式にして、しかも無記名による互選です。もちろん波郷さんの投句もまじっていて、緊張せざるをえない句会でした。
(『俳句つれづれ草』)

B うっひゃぁ、いきなりレベル高いね!結城は見よう見まねで俳句を始めたんでしょ?

O そう。波郷が生死の境にある想いを詠む姿を間近にみて、たったの17文字でこれだけのものを表現するなんて、すごい人だと思いはじめる。

B めちゃめちゃ刺激的な出会いだね!

O そして、結城は自分でも俳句をつくりはじめるんだ。

B 生死の境にあって詠んだ波郷さんの俳句って、『惜命』の句だね。

O キュイ~キュイ~その通~り。句集『惜命』は、療養俳句の金字塔ともいわれている。その大家のすぐそばにいて、結城も俳句に傾倒していくんだ。そして『松濤(しょうとう)』にも投句するようになる。

B しょうとう?

O あれ? 石田波郷を紹介したときに話したと思ったけど、覚えてないかな。『松濤』は東京療養所に古くからある句誌だ。

B あ、思い出した! 電気消すんじゃなくてね。しょうとう。

O 俳句の波郷の入所を受けて『松濤』には前からあった瀧春一の選と並んで石田波郷選も設けられて、投句のなかから瀧と波郷が選ぶ句がそれぞれの選として掲載されたんだ。

投句者は五十人くらいいたでしょうか、ガリ版刷りの薄っぺらなものですけど、それが投句者の生きる支えになっていたんじゃないか。俳句を作る人は、それぞれ同じ思いで一生懸命俳句を作っていたんじゃないかと思います。その点で、療養所における俳句ーー「療養俳句」といういい方はちょっと雑なんですが、あえて雑な呼び方で通すとすれば、それは石田波郷によってはじめて凝縮された、広く、深く人生とかかわる俳句の一ジャンルだったろうと思います。
(『俳句は下手でかまわない』)

オナガのイラスト

B 広く、深く人生とかかわる俳句の一ジャンルかぁ。ズーンとくるね。療養者にとっての俳句は、病気と向き合う日々の支えだったんだね。

O それはまさしく、生と死に向きあう日々でもあったからね。俳句だけじゃなくて、結城は波郷と出会って、死生観にも影響を受ける。

波郷さんはすでに大家の風格があって、私も名前くらいは知っていましたけれど、大家ぶったところはみじんもありません。男らしい魅力のある人でした。私がお目にかかった頃は二回にわけておこなわれた手術で肋骨を七本取ったあとですが、その波郷さんの口から雑談の合間に「 命が惜しいからね」とか、「もう少し生きなければ」と聞いたときの驚きは忘れません。驚いた自分に気がついて驚いたのです。「死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ」などという軍人勅諭の死生観はとうに消滅し、「一人の命は全地球より重い」とした最高裁大法廷の判決文に感動したはずでしたが、依然自己の生死を軽んじる気風があり、波郷さんに本音を吐かされた思いで、急に死が恐ろしいものとして迫ってきました。
(『俳句つれづれ草』)

B こうもう?

O 鴻毛(こうもう)は、鳥の羽のこと。軽いもののたとえだ。死はそれよりもっと軽いと覚悟せよ、と言われたわけだ。

B 結城さんは、国のために死のうと考えて海軍に志願したんだったよね。でも、死ぬっていうことが実感としてわかっていなかったからこその志願で、わかっていたら志願なんかしなかった、とも言ってたね。
 結核になって、東京療養所に来て、波郷さんの言葉を聞いて目が覚めたんだね。

『歳月』書影

O 療養所に入るときだって、生命への執着よりも、心配してくれる母親から離れたい気持ちのほうが強かった、という結城だけれど、療養所で死と隣り合わせのような毎日を送るうちに、あらためて生きたいと願うようになった、と言っている。

B それは、波郷さんの影響も大きいね、きっと。

O 結城は昭和54年(1979)に『歳月』という句集を出しているんだ。その「序」にこんなことを書いているよ。

いかに拙くとも、句を作ることは生きることへつながってゐた。ここに収めた当時の句はわずか四年間の所産にすぎない。その後私は十七文字の世界が息苦しくなって詩作へ転じ、いまは小説を書いて生きながらへてゐる。
 ところが、俳句と縁を切って二十数年も経ってから作意がよみがへつてきて、昨年の一月から仲間をつのつて句会を催すやうになつた。「くちなし句会」といふもつともらしい名までつけて、いつたいどういう風向きか自分でも分らないありさまである。かつてのやうにひたむきではないが結構熱心で、毎月一回の句会もすでに一年以上つづいてゐる。若い頃の句に昨年一年間の句を加へて「歳月」と題したが、感無量の思ひである。
(『歳月』)

B 長い時間が経ってからまた俳句を作ろうと思ったとき、きっと清瀬のこと、たくさん、たくさん思い出したに違いないね。

 

ブンガくんのイラスト

木の葉のライン

(書影)
結城昌治『歳月』未来工房 昭和54年(1979)9月

(引用)
結城昌治『死もまた愉し』講談社文庫 2001年12月
結城昌治『俳句つれづれ草ー昭和私史ノート』朝日新聞社 昭和60年(1985)7月
結城昌治『俳句は下手でかまわない』朝日新聞社 1997年4月
結城昌治『歳月』未来工房 昭和54年(1979)9月

葉っぱのイラスト

葉っぱのイラスト

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