下宿内山遺跡旗本太田氏陣屋遺構出土遺物が指定文化財になりました

ページ番号1016267  更新日 2026年6月4日

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下宿内山遺跡旗本太田氏陣屋遺構出土遺物が指定文化財になりました!

下宿内山遺跡(清瀬市下宿3丁目)で確認された江戸時代初めの旗本太田氏の屋敷から出土した遺物が清瀬市文化財保護審議会の答申を経て市の指定文化財になりました。

旗本陣屋(はたもとじんや)とは?

 天正18年(1590)徳川家康が江戸へ移封した際に、家臣たちが知行として与えられた村に設置した居住施設のことを指します。家臣たちは陣屋に自身とともに家族や家来も住み、勤務の時だけ江戸に赴いて宿泊し、知行所の支配や開発の拠点としていました。しかし、江戸が都市として整備されるにつれ、旗本たちは次第に江戸に屋敷を設けて移転していき、17世紀後半には次第に陣屋は廃止されていきました。

旗本太田氏とは?

下宿内山遺跡一帯は江戸時代は、清戸下宿村と呼ばれていました。江戸時代初め頃にこの村を治めていたのは、旗本太田清政・助重親子になります。この2人は、三河国出身で関ヶ原の合戦や大坂冬夏両陣で活躍した旗本で、寛永11年(1642)に改易されるまで44年間にわたり清戸下宿村を統治していました。

旗本陣屋全景
旗本太田氏陣屋遺構

指定になった出土遺物

 旗本太田氏陣屋遺構から出土した遺物の多くが井戸から見つかりました。主に16世紀末~17世紀前葉を中心とした瀬戸美濃産(現在の愛知・岐阜県)陶器が主体となっていますが、中には静岡県で焼かれた初山窯・志戸呂の製品や中国産の磁器が出土しています。器種は、碗・皿・鉢・擂鉢、そして茶入が確認されています。碗の中には天目茶碗も含まれていました。陶磁器以外には、在地産の土器や渡来銭、釘、鍋片などの金属製品、さらには石臼や砥石などの石製品が出土しています。
 これらの出土遺物は、発掘調査事例の少ない近世初期の旗本陣屋における重要な資料です。それに加え、多摩地域における中世末~近世初頭にかけての陶磁器に関しては、江戸周辺の陶磁器流通を知る資料が少ないため江戸市中との比較をする際の貴重な資料であるともいえます。

旗本太田氏陣屋遺構出土遺物
 旗本太田氏陣屋遺構出土遺物

旗本太田氏陣屋遺構出土遺物が指定になった理由

 

旗本太田氏陣屋遺構出土遺物は、文献ではわからない江戸時代初め頃の下宿における旗本の生活や村の支配を分析することができる貴重な資料であることや、江戸時代初め頃における清瀬市を含む多摩地域の陶磁器流通や関東の政治体制の一端を伺い知ることができる有用な資料であることから、指定文化財の指定を受けました。

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