きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩<福永武彦 1. 小説「風土」と 堀辰雄との出会い>

ページ番号1009192  更新日 2024年2月2日

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木のはのライン

福永武彦 1. 小説「風土」と 堀辰雄との出会い

B ブンガくん O 樹の上の声(オナガ)

オナガのイラスト

B ねえねえ 早くぅ~ 清瀬の結核療養所にいた作家のこと、教えてよ~

O そ~んなに慌てない、あわてない。キュ~イ キュイ。ブンガくんは「モスラ」を知っているかな?

B モスラって、ゴジラと戦った怪獣でしょ。知ってるよ! ぼく、ゴジラシリーズ大好き! でも、モスラと結核療養所にいた作家って、関係あるの?

O 昭和36年に公開された映画『モスラ』の原作者の一人が、清瀬の東京療養所で結核療養した福永武彦という作家なんだ。昭和29年、30年に公開されたゴジラに続いて、このモスラの映画が人気になって、のちにモスラがゴジラと戦う映画がつくられていったんだと聞くね。

B えぇーーーー! 全然知らなかった。そんな凄い作家が清瀬にいたなんて、驚いたよ。

O 福永の代表作に「草の花」という小説があるんだが、それは清瀬で結核療養した日々を題材に描いた作品なんだ。この話は長くなるから、またこんど。
ちなみに、福永の息子は、芥川賞作家の池澤夏樹という人だ。

B へぇ~、親子で作家だなんて凄いね! 「草の花」も気になるけど、そもそも、その「ふくながたけひこ」って、どんな人なのか知りたくなってきた!

O ブンガくんも福永に興味がでてきたようだな。よ~し、よし。キュ~イ、キュイ。

B 福永さんは、清瀬で生まれたの?

O 福永はだね、今から100年近く前の大正7年(1918)に、福岡県に生まれたんだが、8歳の時に父親の転勤で東京に移ってきたんだ。

B 清瀬生まれじゃないのかー。ざんねん。ねえ、福永って気安く呼び捨てにしてるけど、友達だったの?

O いやいや、そういうわけじゃない。ブンガくんが友達を名前だけで呼ぶとき、親しみを込めて呼ぶだろう? 作家について語るとき、尊敬の気持ちをこめて名前だけで呼ぶ、というお作法があるんだ。だから、敬意をこめて、福永、って言っている。

B ふうん、なんか、大人っぽいな。ぼくもそう呼んでいい?

O いいとも。

B じゃあ、福永は、いつぐらいから小説を書き始めたの?

福永武彦文学アルバムの表紙画像

O 小説や詩の創作を始めたのは、一高の学生だったころだ。校内の同人誌に作品を発表しながら勉学にも励んで、東京大学の前身、東京帝国大学の文学部仏文科に入学する。その後も創作活動は継続して、翻訳や映画評論などにも精を出したんだよ。

B と、とっ、東大!? しかも創作活動しながらだなんて、頭が良かったんだねー。俄然、尊敬しちゃったよ!

O ブンガくんの学歴主義には、困ったもんだな…

B ねえ、「ふつぶんか」って?

O フランス文学を専攻する学科のことだ。そのころ文系の優秀な連中が仏文科に集まって、フランスの文学や文化を学びながら刺激しあっていたのさ。

B へえ、福永もその優秀な学生のひとりだったんだね。 そんなに優秀なら、もしや学生時代に華々しく文壇デビューしちゃったりしたの?

O いやいや、学生時代にはまだ、だね。福永の作家としての転機は、東京帝大卒業後だ。昭和16年に福永は大学を卒業して日伊協会に勤めるんだが、その夏、親友 中村真一郎の紹介で、作家 堀辰雄と出会うんだ。これが、大きな転機になったんだよ。「風立ちぬ」などの名作を残した堀は、福永の憧れの作家でもあったからなぁ。

B もしや「風立ちぬ」って、ジブリの映画になった作品? その堀辰雄って作家が、福永の師匠なの? すーーごーーーーい!

O ジブリの映画と内容は違うんだが、映画の題名は、堀辰雄の小説「風立ちぬ」に由来するらしい。堀の小説「風立ちぬ」は、主人公が高原のサナトリウム(療養所)で婚約者と過ごした日々を描いたものだが、堀自身、結核を患って長野県の富士見高原療養所ですごしているんだ。一方、福永も、のちに結核で清瀬の療養所に入って、その経験を小説「草の花」に書き残している。両方の作品を読み比べてみるのもおもしろいだろうね。
ともあれ、堀と出会って学んだことを、福永は次のように書いている。

堀さんから私が学んだのは、一種の魂のリアリズムといったものである。私はそれを自分の小説の中心に据えて小説を書き始めた。(略)
堀さんの方向に沿って、堀さんとは違ったものを書くこと。それは容易ではない課題だったし、私が完成するまでに尚も十年の歳月を要した。
(「堀辰雄に学んだこと」)

昭和16年の夏、福永は「風土」という長編小説を書き始めるんだが、それを決心したのには、おそらく堀を知ったことが作用していたのだろう、とも語っているんだよ。

B へえー。「堀さんの方向に沿って、堀さんとは違ったものを書くこと」だなんて、ものすごく影響を受けていたんだね。しっかし、完成まで10年もかけたなんて、福永はずいぶんヒマだったんだね~

O 違うんだ、ブンガくん…。これから福永は厳しい日々を迎えるんだが、やはり一番の厳しさは、結核だったんだ。少し長くなるから、続きは次回にしよう。 

ブンガくんのイラスト

木の葉のライン

(書影)
『新潮日本文学アルバム50 福永武彦』 新潮社 1994年

(引用)
「堀辰雄に学んだこと」『福永武彦全集 第十五巻 随筆・評論 2 』 新潮社 昭和62年

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