きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩<石田波郷 2. 胸形変・惜命>

ページ番号1009394  更新日 2024年2月2日

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木のはのライン

石田波郷 2. 胸形変・惜命

B ブンガくん O 樹の上の声(オナガ)

胸形変 表紙

B 波郷さんは、東京療養所にいるときにも、たくさん俳句を詠んだんでしょ?

O ああ、もちろんだよ、キュイ。詠んだ、詠んだ。詠んだとも! 花や緑のことだけじゃない。病気と、自分と向き合って、たくさんの句を詠んだんだ。

B 本も出したの?

O 波郷の療養俳句というと『惜命(しゃくみょう)』が有名なんだが、まだ東京療養所にいる間に出た『胸形變(変)(きょうぎょうへん)』という句集もあるんだよ。昭和24年11月、松尾書房というところから、文庫版で出ている。今はもう絶版で、古本屋さんでかろうじて手に入るかな、という貴重品だ。

B 「きょーぎょーへん」っていうの?「胸の形が変」なんて、変わった名前だね~

O 波郷は胸郭成形の手術を受けているね。手術の様子を詠んだ、こんな句があるんだ。

 たばしるや鵙(モズ)叫喚す胸形變

当時、局所麻酔で行われた手術の体験を詠んだもので、句集の名前もここからとったんだね。

B えええーーーっ、手術って、麻酔ですっかり眠ってるあいだにするんじゃないの?!起きてるのに切られちゃうの?怖すぎる!

O 全身麻酔には、それなりの設備や技術が必要なんだが、波郷が成形手術を受けた昭和23年ごろには、まだ整っていなかった。だから、波郷の手術は、こんなふうだったんだ。

・・・ナルスコ1ccの基礎麻酔では意識は醒めてゐる。然し私は手術の課程全部を覚えてはゐない。時々睡りに陥るらしい。頭に冠せられた白布の下から顔をのぞかせて看護婦が時時私の名を呼び、左腕に緊めつけられるやうな力が加はる。血圧を計ってゐるのだ。突然火傷に触れられるやうなヒリヒリした痛さが来る。又突然激しい力で殴りつけられ圧しつけられるやうな衝撃的な疼痛がくる。製材鋸を押しあてられるやうな感覚もある。滝壺のそこにたゝきつけられた後で、水上に浮び出、ほっとするやうな開放的な瞬間もある。さういふものに翻弄しつくされた。私は絶えずうめき声を上げた。
(「胸中の球」『清瀬村』)

 B す、す、すごい・・・すごすぎる。

O 「胸形変」という言葉はおそらく波郷の造語だろうと言われている。句集『胸形變』は、入院してから詠んだ中から二百句ほどを選んでまとめたものだが、「成形日決定」という小扉を開けて最初に目に入るのは、次の句だ。

 鵙の朝肋あはれにかき抱く

B 手術したら切っちゃう肋骨を抱きしめちゃうって、なんか、切ないなあ。カッコつけたいぼくなんか、ちょっとこんなふうに言えない気がする。波郷は勇気あるんだなあ。

O 『胸形變』の句は、『現代俳句』昭和24年1月号と4月号に発表した「成形前後」と「屍(かばね)の眺め」の句を中心に、清瀬で詠んだ句を選んだものなんだ。『現代俳句』に載った自分の句について、波郷はこんなふうに書いている。

これらは工夫も変化も乏しい、又何ものをも求めない一個病愁の作であり、細り萎えてはゐるが何とかして燃上らうとする生命の燈、暗澹と微少な希望の中から洩れ出づる声であつた。
(「巻末小記」『胸形變』)

 B 直球、なんだね。なんか、俳句って、きれいなものを綺麗に詠むのかと思ってたけど、そういうことを超えてる迫力があるね。さっきの「たばしるや~」の句なんか、手術のようすを聞くと、すっごい勢いで迫ってくるよ。

O ブンガくん、なかなか鋭いじゃないか。結城昌治が同じことを言っているよ。波郷の句は、花鳥諷詠に逃げることなく、生き死にをまともに見つめたところから生み出された句なんだ、とね。

B 『胸形變』に二百句か。『惜命』っていう句集は?

惜命書影

O 『惜命』には、昭和23年3月に出した句集『雨覆(あまおおい)』以降の句を収録する、と『胸形變』のあとがきにある。

B ってことは、『胸形變』の句は、『惜命』に入ってるの?

O そうだね。『胸形變』も『惜命』も、本そのものは、もうなかなか手に入らないけど、収められた句は、石田波郷全集の「惜命」で読むことができるよ。目次を見てみようね。

秋臥 冬日射 横光利一死 墓の眺め 春へ 後雁 遠母來 薄暑 療養所 羸瘦(るいそう) 凡に見ず 肋あはれ 成形 二次成形告知 二次成形その後 冬鶯 送迎 ベトレヘムの鐘 屍の眺め 雪 雪ふたたび 早春 遺残空洞 プロンベ 豫量 憂患 梅雨 動悸 荘厳 晩夏光 癩園の籬 颱風過 露の樂 霧雫 捨菊 接吻 冬日樂園 降誕祭過 家長七日 水仙花 餘禄

B るいそう?

O 羸瘦は「衰えやせること」。入所したころ、波郷は弱っていたから、体力が戻るまで手術もできなかったという話をしたね。
「惜命」の句は時系列になっていて、東京療養所での日々の様子をたどることができるんだ。「羸瘦」は「療養所」の次に来るんだが、こんな句がある。

 熱上る楢(なら)栗(くり)櫟(くぬぎ)夕立つ中

B 熱があって苦しい波郷さんが、病室のなかにいて、夕立にぬれる雑木林のようすを見てるんだ。夕立のシャワーを浴びてる楢や栗や櫟のこと、うらやましいなあと思ったかもね。

O なーるほど。そうかもしれないね。続く「凡に見ず」にあるのは、こんな句。

 たはやすく過ぎしにあらず夏百日

次の「肋あはれ」には、さっき紹介した「鵙(モズ)の朝肋あはれにかき抱く」の句がくる。「鵙」は秋の季語。いよいよ「成形」だ。

B そうかあ。ふんばって夏を越して、いよいよ手術の秋を迎えるんだね。目次に「成形」っていう字が入ってるのが3つ、これ、手術のことだよね。『胸形變』にあった「屍の眺め」も入ってる。「ベトレヘムの鐘」っていうのは、きっとベトレヘムの園にある教会の鐘のことだね。

O 「ベトレヘムの鐘」の最後にある句がね、実に美しいんだ。

 清瀨村醫療區に鐘雪降り出す

B うわあ、絵のようだね。緑に包まれた季節に入所して、もう冬を迎えてるんだ。「惜命」は波郷さんの東京療養所俳句ダイアリーって感じだね。

O 続く「屍の眺め」の最初の句はこれだ。

 綿蟲やそこは屍の出でゆく門

B え、それって、「草の花」にも出てきた、あの裏門のこと?

O そうだよ。波郷も療養所で隣り合わせにある「死」を感じながら、「生」を見つめて句を詠んでいたんだね。『惜命』の刊行は、退所した昭和25年の6月だけど、巻末の「『惜命』余禄」の日付は昭和25年1月28日で「清瀬村にて」とある。波郷は『惜命』の原稿を整えてから退所したんだね。だから、『惜命』は、清瀬で詠み、清瀬でまとめた句集と言える。

B 「惜命」には、中央公園の句碑にある2つの句も入ってる?

O 七夕竹と銀河の句だね。入っているよ。

 七夕竹惜命の文字隠れなし

東京療養所で波郷と同じ部屋になって、一時、俳句にのめりこんだひとりに結城昌治がいる。のちの直木賞作家だけどね。その結城が晩年、振り返って語っている中に、こんなくだりがあるんだ。

私が入所したころ、波郷さんは二度の手術で肋骨を七本取ったあとでした。あるとき、雑談していたら、ふと波郷さんが「命が惜しいからね……」「もうすこし生きなければ」ともらしました。それを聞いたときの驚きは、いまでも忘れません。より正しくは驚いた自分に気がついて驚いたというべきでしょう。戦時中の”死にたい病”が尾を引いていて、命を軽んずる気持ちが残っていたのです。波郷さんの言葉に目を開かれた思いで、すくなくとも、その瞬間は急に死が恐ろしく感じられたのを憶えています。
(結城昌治『死もまた愉し』)

療養所の中でも、七夕や正月、節分の豆まきなど、季節の行事は病棟の生活に彩を添えていたんだね。七夕の竹が飾られていて、そこに吊るされた短冊のひとつに「惜命」という文字があった。波郷はそれを見てしまった。それを詠んだ。結城の回想も知るといっそう、波郷の生きようとする思いを感じるね。

B そうだね。銀河が出てくる句は?

 遠く病めば銀河は長し清瀨村

O この句だね。これは「惜命」の補遺に入っている句だ。この句については、波郷自身が書いたものから引いてみようね。

戦争で病んで武蔵野の一角清瀬村の療養所のベッドに横たはつた。窓ぎはのベッドにゐると顔も手も窓に面した部分だけが日焼した。消灯後も一晩中開け放した窓に、楢や櫟、栗の雑木林の上に天の川がしろじろとひろがって流れてゐた。雑木林に流れの末をかくされるだけに却って無辺感が濃かった。はてしない病と思ってゐた感傷も、この天の川をみてゐると却つて消えた。ただ遠くへだたつた妻子や父母、知るだけの人々への思がつのつた。
(「銀河」)

B そっか、あの句碑にはそういう句が刻んであったんだね。改めて見ると、俳句が浮き出してくるようだよ。この句碑って、ずっと前からあるの?

O 句碑は平成25年(2013)に、波郷生誕百年を記念してたてられたんだ。清瀬では、波郷の名前を冠した「清瀬市石田波郷俳句大会」が平成21年から毎年行われていて、特に若手俳人の登竜門としての地位を確実なものにしているんだよ。

B 清瀬はきっと、波郷さんにとっても、思い出深い、特別なところに違いないね。そして、波郷さんの句が、のちの人たちを結び付けているんだね。
あ、そうだ。ぼくもジュニアの部に俳句、出さなくちゃ!

石田波郷句碑の写真

ブンガくんイラスト

木の葉のライン

(書影)
石田波郷『胸形變』松尾書房 (千代田区富士見町)昭和24年11月
石田波郷『惜命』作品社 (中央区銀座)昭和25年6月 限定版の函 句集の表紙は白無地和紙張
*書影はいずれも、掲載にあたり著作権者をたどるためにできる限りの努力をしましたが、果たせませんでした。許諾を得られないままですが、当時の書籍の様子を知っていただきたい思いから所蔵本の書影を掲載しています。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひご教示ください。(清瀬市企画部市史編さん室:ページ下部「お問い合わせ先」あてご連絡ください)

(引用)
石田波郷「惜命」『石田波郷全集 第二巻 俳句 II 』角川書店 昭和46年5月
 掲載の句はいずれも「惜命」所収
石田波郷「胸形変」『清瀬村』 四季社 昭和27年11月
石田波郷「巻末小記」『胸形變』 松尾書房 昭和24年11月
結城昌治『死もまた愉し』講談社文庫 平成13年12月
石田波郷「銀河」『石田波郷全集 第九巻 随想 II 』 角川書店 昭和46年8月

 

 

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