きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩 <吉行淳之介 4. 療友と過ごした「漂う部屋」>

ページ番号1009939  更新日 2022年1月4日

印刷大きな文字で印刷

「ブンガくんと文学散歩」バナー画像

木のはのライン

B ブンガくん O 樹の上の声(オナガ)

吉行淳之介 4. 療友と過ごした「漂う部屋」

オナガのイラスト

B 吉行淳之介が書いた「漂う部屋」っていう小説を読むと、清瀬病院の様子がよくわかるって?

O そうなんだ。話は、安静時間開始の15分前から始まる。

B 安静時間! 午後1時から3時まで、病院街が静まり返る、あの時間だね。入院してる人は、その時間はベッドで横になってなくちゃいけないんだよね。

O そう、そう。15分前に庭のベンチにいた「私」が、同室の「青山さん」と病棟にたどり着くと、安静時間開始の1時を知らせる鐘が鳴る。「朝顔の花の形の鐘を、看護婦が柄を握って振鳴らすので、濁った粗雑な音色である」とある。

B 安静時間を知らせる鐘が、濁った音色のハンドベルだった、なんて聞くと、航空写真で遠目に見ていたときと違って、入院してる人たちと同じ地面に立ってる感じがするね。

O 舞台は外科病室。「広い長方形の病室には、粗末な板張りの床の上に木製ベッドが十二ずつ左右二列に並んでいる」

B 例の大部屋だね! み~んな結核で入院してるんだよね。

O そう。手術待ちの人あり、術後の人あり。青山さんは、「私」から二つ置いた隣のベッドにいる。ほかに近くのベッドにいるのは、電気屋の東野さん、大工の南さん、自転車屋の西田さん、もうひとりは国鉄の車掌をしている北川さん、だ。国鉄というのは、今のJRね。

B やっぱり、いろんな仕事の人がいるんだね。あれ、名前に東西南北そろってる!

O 安静時間には、ほんとうは何も考えない、眠ってもいけないということになっているんだけれど、「私」は何も考えない、という状態になれなくて、とりとめのないことを考えるようにしていたんだ。
3時の鐘が鳴って安静時間が終わると、病室がにわかに騒々しくなる。看護師さんが検温の結果をたずねてまわり、ついでに郵便物を配ってゆく。
部屋の面々は、恋愛談議に花を咲かせてみたり、思い出話をしたり。面会人が訪れてくるベッドもある。たまには些細なことでいさかいも起きる。

B 病室の様子が伝わってくるね。

O 消灯は、午後8時。

「お変りありませんか、おやすみなさい」
 看護婦が一つ一つのベッドを訊ねてまわり、出入口の柱にとりつけられたスイッチを捻って帰ってゆく。
 私はこの部屋で迎えた初めての夜を忘れることができない。私は仰臥して天井を見詰めていた。スタンドの灯が消えてゆくごとに、天井の黄色いテックス板が薄鼠の色を濃くしてゆく。そして、最後の灯が消えて、病室は松林の中に沈んだ。
 いや、沈んだのはこの部屋のまわりにひろがっている世界なのだ。午後八時といえば、街は人でにぎわっているだろう。明るい電燈の下に晩い夕食をしたためている家庭もあるだろう。机に向って残業をしている人々を容れた建物もあるだろう。
 そのような動いている人々の世界がはるか下の方に沈んで行って、私を容れた長方形の部屋だけが、暗い空間に浮び上っている。揺れている、漂っている。
(「漂う部屋」)

浴衣姿のブンガくんイラスト

B あ、「漂う部屋」って、そういうこと?

O なんとなく、つかめたかな。お話の第二部では、手術を控えて個室に移された「私」が、観察を続けているよ。

B いよいよ、手術なんだね。

O 5日後、手術の日。腕に基礎麻酔の注射を打たれて長い廊下を運ばれていき、手術室に入ったのが午前9時。静脈に麻酔の注射をされて、数を数えなさいと言われる。医者の声を追いかけるように一つ二つ…と数えて八つまで数えたとき、医師は「一つ」と言った。あれ?もとに戻るのかとおもったことまでは記憶しているが、あとは意識がなくなった。

B やっぱり手術はこうでなくちゃ。波郷さんのころとは大違いだね。

O 手術は無事終了。目を開けなさい、手術はもう終りましたよ、という声が聞こえて、無理に起こされて学校へ行かされた小学生のときのような不満な気分と、自分は大丈夫なのに心配しているんだなと思う気持ちが混り合ううち、また眠ってしまう。
もう一度、目が覚めたら、窓の外は薄暗くなっていて、いくつもの顔がのぞきこんでいた。今度ははっきり、無事に手術が終わったのだという気分が沸き上がってきた。のどが痛いほど乾いている。

B もしかして、ビール?

O そう。声に出して言ってみた。経験に基づくエピソードは興味深いね。これも「漂う部屋」に出てくるんだが、入院したときに受けた検査のなかに、呼吸をどれくらい止められるか測る検査があったんだそうだ。以前、吉行は自宅に遊びに来た作家仲間たちと遊び半分で洗面器に顔をつけて時間を測るゲームをしたことがあって、2分20秒という記録を持っている。何度か登場している庄野潤三がラジオの仕事で使っている大きなストップウオッチでかわるがわる測ったそうだ。その経験があるから、悠然と検査を受けた吉行だけど、なにしろ周囲は肺の病気で入院している人たちだから、そんなに長く息を止めたりなんて、できない。吉行の100秒という記録は、驚異的であったらしい。「あんたなかなか頑張るわね。水泳でもやっていたの」と、それまで不愛想だった看護師さんの態度が一変したんだって。

B なんか、たのしそうだな。

O 吉行が清瀬病院から庄野に宛てた手紙にも、この検査のことが書いてある。「海中でウミヘビと大格闘をして、見事に仕留めて上って来たスーパーマンのような気持ちがした。こんなことなら、百五十秒も息をとめていたら、どうなったことやら」って。
庄野はこういう吉行の姿をこんなふうに見ている。

 苦しい時にユーモア、というようなものではない。彼の場合は、努力しないで、そういうかたちを取るのだろう。それは同時に、病気の人間が、向う側の世界にいる者への礼節といたわりのあるメッセージにもなっているのである。
(庄野潤三「清瀬村にて」)

B いいなあ。友情を感じるね。

O さて、「漂う部屋」に話を戻そう。手術を受けて1週間目に、廊下を挟んだ向かい側の4号室の患者が亡くなった。夜のことだ。翌朝、看護師がやってきて、向かいの部屋に移ってもらうことになりますが、と言う。

B えー、「私」はどうしたの?

O 「もしイヤだったら、我慢しないでイヤと言っていいのですよ」と言われたけれど、お化けが出るけど、いいですか、と言われたようで、笑いがこみ上げてきた。大笑いすると傷にひびきそうだから注意して笑いながら「いいですよ」と返事したんだ。

 ベッドというものは、四つの脚で部屋の一隅に固定されている。さらに、ベッドの上に枕を置く位置は、おおむね一定している。だから、先刻まで死体が人間の形に排除していた空気の隙間の中に、私の軀(からだ)はすっぽり嵌(は)めこまれてしまった形になるわけだ。
 ぴったり死体に接触していた空気の壁をいくらかでも向うへ押しやろうとするような具合に、私は軀の痛いのも忘れて身じろぎしていた。次の瞬間、自分のしていることに気付いた私は、はげしい可笑しさに襲われた。
 このはげしい可笑しさ、これは何だろう。
 (略)生命がじりじり限界に追いつめられて行ったとき、不意に飛び出してくるややグロテスクな味をまじえた滑稽感、そのようなものと、私は考えている。
(「漂う部屋」)

B すごいな。ぼくは、とてもじゃないけど笑えそうにないや。

O 吉行的な笑いかもしれないね。このあと、夜中に起こった、もっと単純に笑えるエピソードが挿入されたのち、第三部で舞台はまた大部屋に戻る。青山さんも手術を終えて戻ってくるんだが、大部屋にはいろんな人がいて、症状もいろいろに変わるから、誰かが急に調子が悪くなることもある。そうすると、心配そうにそれぞれが声をかけて見舞うんだけれども、そこには自分はいま、彼より状態がいい、と思う微妙な心理があるというんだね。シーソーのように、比較の相手の症状が重くなると、自分のほうが軽くなったように思う、そういう患者の心の動きをさらりと書いて、さすがは吉行って感じだよ。

B 実はけっこう深刻な話だろうに、それをそう思わせない書きっぷりなんだね。

O そして第四部、3月も中旬だというのに、大雪が降る。林の松の木も、隣の病室の屋根も、真っ白。午後3時、安静時間が終わっても、病室はひっそりしたままだ。面会人の姿もなく、病人たちはベッドを離れようとしない。天気が悪い日は傷跡が重く痛む。部屋の外の音は雪に吸い込まれて、しーんとしている。

B うん、うん、雪の日って、なぜだかすごーく静かだよね。

O その日、同じ部屋の北川さんが退院する予定だったんだけど、この雪では、と延期を決めるんだ。病院の慣わしで、だれかが退院するときは、同室の歩ける人がみなぞろぞろと門まで見送りに出る。背広に身を包んだ「退院する人」と、浴衣姿や病衣の「見送る人」、それぞれに胸中は複雑だ。「見送る人」は病室に戻ると、また病気と向き合う日々が待っている。一方「退院する人」にも、その後の日々に心配がある。退院を延ばした北川さんを囲んで、病室の面々が彼の退院後に心を寄せて、世話話が続くんだ。

オナガのイラスト

B せっかく退院できるのに、うれしくないの?

O そりゃあ、嬉しいさ。でも、すぐに元通りの生活に戻れるわけじゃない。新しく仕事を探さなきゃいけない人もいるし、療養所にいるときには周囲がみんな結核患者だから、ある意味気安さがあるけれど、当時はまだまだ結核に対して偏見がないわけじゃなかったから、結核の病み上がりも敬遠される。そういう「世間」にひとり帰っていくわけだからね、心配はあって当然だったんだ。

B そうかあ、退院はうれしいような、寂しいような、心細いような。複雑だね。

O 話し声が一段落すると、部屋はまた静かになる。松の枝が雪の重さに耐えかねて折れる乾いた鈍い音がして、枝につもっていた雪が落ちる音が続いた。ふいに誰かの「北川さん、退院準備に、ベッドから降りて体操をしてごらんなさい」と言う声がした。言われるままに北川さんは床に降り立つんだ。両手を水平に挙げて、それから両腕を上に伸ばして、両腕を下して、それを繰り返す。手術した側の肩は飛び出して見えるし、腕は斜めにしか上がらない。

B 手術をしたせいで?

O そう。見ているみんなも、似た境遇だ。北川さんは笑いながら自分で号令をかけて動作を繰り返しながら言うんだ。「誰かもう一人出てきて、わしと向い合って体操をしようじゃないか」

B だれか応じたの?

O 「僕が出るよ」と応じたのは「私」だ。北川さんと向い合って部屋の中央に立った。「私」の腕も北川さんと同じ程度にしか動かない。「漂う部屋」の結びはこうだ。

 雪の降り積んでいる地面、音のない白い色のひろがりの中に取残されているように建っている長方形の部屋の中で、向い合った北川さんと私とは、
 「一、二、三。一、二、三」
 と、その動作をくりかえしつづけていた。
(「漂う部屋」)

B なにか、映画かテレビドラマを見ているみたいな気がするよ。ぼくの頭のなかで「私」や北川さんが動いてる。雪の日の静かで寒い感じもするね。

O 実は「漂う部屋」は、吉行の病棟担当だった石原尚先生の発案に退院患者の島崎榮さんが賛同して、映像作品化されたことがある。このとき脚本、絵、せりふ、バックミュージックをすべてひとりでこなした島崎さんは、その昔、院内の幻灯劇団やまいも座の座長だった人だ。完成した作品「漂う部屋」は、昭和29年当時の国立療養所清瀬病院の、所内の風景、病室内の模様、入院患者たちの交友、等々を軽妙なタッチで描き出していて、試写を見た吉行は、大いに感嘆、激賞。退院患者同窓会や、病棟、医局でも公開して大好評だったとか。

B え~見たい、見たい!

O 見たいよね。残念なことに、今その映像作品がどこにあるのかわからないんだ。ぜひ見たいんだがなぁ、ギュイ~~

B 退院患者の同窓会っていうのがあるの?

O 病院が退院患者のレントゲン検査など定期健診の場も兼ねて設定したものもあったけど、手術でお世話になった先生を囲んで、たとえば吉行たちの「石原会」みたいに、それぞれにお医者さんの名前をつけた同窓会もあったんだ。吉行もエッセイに書いているよ。

 療友的気分は以来ずっと尾を曳いていて、ときどき会合がある。こういうときには、いい加減な気分にはなれず、何とか出席、という方向に頭が向く。
 (「結核クラス会」)

B やっぱり、清瀬で過ごした日々は、ちょっと特別で、忘れがたい日々ってことか。

O 隣の病室にいた詩人飯島耕一との出会いのことを、この前紹介したけれど、ほかにもいろんな出会いがあったらしい。「清瀬には懐かしい名前がいくつかある」として、患者たちの同人雑誌「プルス」の主宰者、田中祥太郎(たなか しょうたろう)らの名前を挙げている。「プルス」の創刊号には、吉行が祝いの言葉を寄せているんだよ。同室の患者で退院後清瀬でカメラ屋さんを営んだ茂木氏とも交流が続いたようだし、あ、この人はカレンダーの芥川賞発表の日に赤丸を付けた人ね。ほかの病院の患者だけど、のちの直木賞作家 藤井重夫(ふじい しげお)とも、このころ清瀬で知り合っているんだよ。

B いい感じだね。清瀬病院のことを書いた小説は「漂う部屋」だけなの?

O 「漂う部屋」に先立って「夜の病室」「重い軀(からだ)」といった短編を発表しているんだけど、これらも清瀬病院での経験に発想を得ているようだね。いずれも退院した翌年に発表した作品だ。ちなみに「夜の病室」の次に発表された「水の畔(ほと)り」という作品は、どうやら清瀬に来る前に過ごしていた千葉県佐原が舞台のようだよ。少し経って昭和41年に発表した「埋葬」という作品も、3か月前まで入院していた夏代と久保田が「郊外の結核療養所」へ出かけていく場面から話が始まるんだ。ふたりは院内の読書グループの仲間。療養所に出かけて行ったのは、健康診断のあと、その日開かれる読書会に出席してみようということになったから、という設定だ。この小説の原稿は清瀬に残っているんだよ。

B いろいろ読んでみたら、清瀬病院のことがもっとよくわかりそうだね。短編、っていうのもいいな。

O 吉行は、小説だけじゃなく、エッセイなどにもちょくちょく清瀬のことを書いていて、なかにはその内容がほぼそのまま後の作品に反映されていたりするんだけど、たまたま読み始めた文章に清瀬ネタを探し当てるというのも楽しいものだよ。

B それは楽しそう。いつかトライしよっと。

ブンガくんのイラスト

木の葉のライン

(引用)
吉行淳之介「漂う部屋」『吉行淳之介全集 第1巻』新潮社 1997年9月
吉行淳之介「結核クラス会」『悪友のすすめ』光文社文庫 1990年1月
庄野潤三「清瀬村にて」『吉行淳之介の研究』実業之日本社 昭和54年6月
 

葉っぱのイラスト

葉っぱのイラスト

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)
このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

市史編さん室
〒204-0013
東京都清瀬市上清戸2-6-41 郷土博物館内
電話番号(直通):042-493-5811
ファクス番号:042-493-8808
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。