きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩 <藤井重夫 1. もうひとりの直木賞作家>
B ブンガくん O 樹の上の声(オナガ)
藤井重夫 1. もうひとりの直木賞作家
O 今日は、藤井重夫という作家の話をしよう。
B ふじい しげお? 藤井重夫……。その名前、覚えがあるなあ。どこで聞いたんだっけなぁ。
O 藤井は、昭和40年に第53回直木賞を受賞した作家で、彼もまた清瀬で結核療養の日々を送っているんだ。
B あ、思い出した。吉行淳之介が、同じころ清瀬にいて知り合った、って言ってた、あの人だ!
O そうか、そういえば、そういう話をしたね。
B あれ? 吉行が清瀬病院に入院しているあいだに受賞したのは、芥川賞だったよね。藤井は、直木賞、なんだね。
O そう。受賞したのは直木賞だけど、藤井は芥川賞の候補になったこともあるんだよ。「佳人」という作品でね。吉行が「原色の街」という作品で初めて芥川賞候補になった昭和26年下期、第26回のとき、同じく候補だったんだ。
B そのときは、ふたりとも、受賞しなかったんだね。
O そうなんだ。このとき受賞したのは、堀田善衛(ほった よしえ)だ。
B ん? その名前も、どこかで聞いたことがある気がするなぁ。
O 堀田は、東京療養所にいた福永武彦(ふくなが たけひこ)と、学生時代から親しかった。映画『モスラ』の原作をいっしょに書いた仲間だよ。
B あのひとかぁ。いろんな人がつながってるね。ところで、芥川賞と直木賞は、どうちがうのだったっけ?
O 芥川賞も直木賞も、文藝春秋社の社長だった菊池 寛(きくち かん)が若い書き手を応援しようと設けた文学賞だ。第1回は、昭和10年上半期。年に2回選考があって、芥川賞は文芸創作に対して、直木賞は大衆文芸に対して贈られることになっている。
B ふうん、ずいぶん長く続いてる賞なんだね。直木賞っていうと、結城昌治(ゆうき しょうじ)のこと、思い出すね。東京療養所で石田波郷(いしだ はきょう)に出会って俳句を始めて、福永武彦に出会ったことがきっかけで小説を書き始めて、やがて直木賞作家になっちゃったんだよね。
O よく覚えていたね。
B 結城が直木賞をもらったのは、「軍旗はためく下に」っていう、戦地が舞台の作品だったでしょ? 藤井も、戦争のことを書いたの?
O 藤井重夫の直木賞受賞作は「虹」という作品で、大阪を舞台に、戦後の混乱期をたくましく生き抜く少年たちを描いた小説だ。
B ってことは、藤井は大阪の人なの?
O 大阪生まれではないんだ。でも、「大阪を第二のふるさとだとおもっている」と書いているよ。
B じゃ、第一のふるさとは?
O 藤井は、大正5年、兵庫県豊岡市に生まれたんだ。豊岡というと城崎温泉(きのさきおんせん)があるところだね。豊岡で育ち、豊岡商業高校、現在の豊岡総合高校を卒業する。このころから、雑誌に詩や俳句や戯曲、小説を次々に発表していて、昭和11年、二十歳(はたち)のときに、初めての詩集『不二井滋詩集 アルバム』を自費出版している。
B 不二井 滋?
O ペンネームだよ。詩を書いていたころの、ね。
B へえぇ~、詩、かぁ。そういえば、福永武彦も吉行淳之介も、詩を書いていたよね。詩を書いていたころのペンネーム、ってことは、小説はまた違う名前で書いてたの?
O 小説を書くときは、本名、藤井重夫で書いていた。ただ、時代は戦争に突入して、藤井も召集される。昭和12年に21歳で鳥取歩兵第40連隊に入り、漢口(かんこう)をはじめ中国各地を3年ちかく転戦したようだ。
B そうなると、やっぱり戦争中は、小説を書くどころじゃなかったんだろうね。
O 藤井はその後、昭和16年に朝日新聞社に入り、今度は新聞社派遣の従軍記者としてフィリピンやミャンマーに赴くんだ。
B ひえぇ、何年も転戦してやっと帰ってきたのに、また戦地へ行ったってこと?
O そう。しかも激戦地に、ね。それでも、みごと生還、というので、大阪の朝日新聞では不死身と呼ばれていたそうだ。戦後まもなく学芸部に移って、映画や演劇や文学を担当する。
B よかったねえ、詩人の出番だ。
O 学芸部での仕事のなかでも、藤井の映画評論は定評があって、雑誌の連載も持つようになる。このころ藤井は、新聞社の仕事の傍ら小説も書いていたようだ。昭和26年には、大阪の成人学校で「映画と文学」という講義を3か月かけておこなっているんだよ。
B 「映画と文学」かぁ。おもしろそうだね。
O この年11月、藤井は東京へ転勤になる。東京では当初、単身赴任で寮住まいをしていたんだが、味気ない一人暮らしの藤井のもとに、二つの知らせが届く。「風土」が『新潮』の全国同人雑誌推薦小説に、『作家』という同人誌に掲載された「佳人」が芥川賞候補になったというんだ。
B うれしかっただろうね!
O そりゃあ、嬉しかったに違いない。芥川賞は受賞こそしなかったものの、川端康成に評価されたし、「佳人」はのちに映画にもなったりして、注目された作品と言えるしね。単行本になったのは、昭和32年のことだけど、ほら、川端による題字が表紙を飾っているよ。
B え、カワバタヤスナリって、も、も、もしかして、あの、トンネルを抜けると雪国だった、っていうのを書いた、あのひと?
O そうだよ。ノーベル文学賞を受賞した川端康成だ。
B すっごーい! 題字もだけど、きれいな本だね。藤井はそのままトントン拍子で直木賞を受賞するの?
O いやいやいや、人生、そう甘くないって、ブンガくん。
ニイチェは、「みんな忙しすぎる。たまにゆっくり本を読むために、人はときどき病気になる必要がある」といったとか。
いつ、どこで、このニイチェのことばを知ったか記憶はないが、とにかく私はその訓えにしたがい、都下の清瀬なる東洋一の療養センターに、朝日のサナトリウムがあるのを幸い、そこの白いベッドの住人になった。
(藤井重夫「骨肉」)
B あっちゃ~。でもでも、きた来たきたぁ~~ 清瀬!
(書影)
藤井重夫『虹』文藝春秋新社 昭和40年9月
藤井重夫『佳人』東都書房 昭和32年9月
(引用)
藤井重夫「骨肉」『作家』昭和42年10月号
(参考)
藤井重夫|兵庫ゆかりの作家|ネットミュージアム兵庫文学館:兵庫県立美術館
https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a362/
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市史で候 五の巻之三「病院街の歴史紹介シリーズ」第3回 文学編~清瀬・結核・文学~ (PDF 725.8KB)
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