きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩 <藤井重夫 1. もうひとりの直木賞作家>

ページ番号1013013  更新日 2023年11月7日

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木のはのライン

B ブンガくん O 樹の上の声(オナガ)

藤井重夫 1. もうひとりの直木賞作家

ブンガくんイラスト

O 今日は、藤井重夫という作家の話をしよう。

B ふじい しげお? 藤井重夫……。その名前、覚えがあるなあ。どこで聞いたんだっけなぁ。

O 藤井は、昭和40年に第53回直木賞を受賞した作家で、彼もまた清瀬で結核療養の日々を送っているんだ。

B あ、思い出した。吉行淳之介が、同じころ清瀬にいて知り合った、って言ってた、あの人だ!

O そうか、そういえば、そういう話をしたね。

B あれ? 吉行が清瀬病院に入院しているあいだに受賞したのは、芥川賞だったよね。藤井は、直木賞、なんだね。

O そう。受賞したのは直木賞だけど、藤井は芥川賞の候補になったこともあるんだよ。「佳人」という作品でね。吉行が「原色の街」という作品で初めて芥川賞候補になった昭和26年下期、第26回のとき、同じく候補だったんだ。

B そのときは、ふたりとも、受賞しなかったんだね。

O そうなんだ。このとき受賞したのは、堀田善衛(ほった よしえ)だ。

B ん? その名前も、どこかで聞いたことがある気がするなぁ。

O 堀田は、東京療養所にいた福永武彦(ふくなが たけひこ)と、学生時代から親しかった。映画『モスラ』の原作をいっしょに書いた仲間だよ。

B あのひとかぁ。いろんな人がつながってるね。ところで、芥川賞と直木賞は、どうちがうのだったっけ?

O 芥川賞も直木賞も、文藝春秋社の社長だった菊池 寛(きくち かん)が若い書き手を応援しようと設けた文学賞だ。第1回は、昭和10年上半期。年に2回選考があって、芥川賞は文芸創作に対して、直木賞は大衆文芸に対して贈られることになっている。

B ふうん、ずいぶん長く続いてる賞なんだね。直木賞っていうと、結城昌治(ゆうき しょうじ)のこと、思い出すね。東京療養所で石田波郷(いしだ はきょう)に出会って俳句を始めて、福永武彦に出会ったことがきっかけで小説を書き始めて、やがて直木賞作家になっちゃったんだよね。

O よく覚えていたね。

B 結城が直木賞をもらったのは、「軍旗はためく下に」っていう、戦地が舞台の作品だったでしょ? 藤井も、戦争のことを書いたの?

『虹』表紙

O 藤井重夫の直木賞受賞作は「虹」という作品で、大阪を舞台に、戦後の混乱期をたくましく生き抜く少年たちを描いた小説だ。

B ってことは、藤井は大阪の人なの?

O 大阪生まれではないんだ。でも、「大阪を第二のふるさとだとおもっている」と書いているよ。

B じゃ、第一のふるさとは?

O 藤井は、大正5年、兵庫県豊岡市に生まれたんだ。豊岡というと城崎温泉(きのさきおんせん)があるところだね。豊岡で育ち、豊岡商業高校、現在の豊岡総合高校を卒業する。このころから、雑誌に詩や俳句や戯曲、小説を次々に発表していて、昭和11年、二十歳(はたち)のときに、初めての詩集『不二井滋詩集 アルバム』を自費出版している。

B 不二井 滋?

O ペンネームだよ。詩を書いていたころの、ね。

B へえぇ~、詩、かぁ。そういえば、福永武彦も吉行淳之介も、詩を書いていたよね。詩を書いていたころのペンネーム、ってことは、小説はまた違う名前で書いてたの?

O 小説を書くときは、本名、藤井重夫で書いていた。ただ、時代は戦争に突入して、藤井も召集される。昭和12年に21歳で鳥取歩兵第40連隊に入り、漢口(かんこう)をはじめ中国各地を3年ちかく転戦したようだ。

オナガのイラスト

B そうなると、やっぱり戦争中は、小説を書くどころじゃなかったんだろうね。

O 藤井はその後、昭和16年に朝日新聞社に入り、今度は新聞社派遣の従軍記者としてフィリピンやミャンマーに赴くんだ。

B ひえぇ、何年も転戦してやっと帰ってきたのに、また戦地へ行ったってこと?

O そう。しかも激戦地に、ね。それでも、みごと生還、というので、大阪の朝日新聞では不死身と呼ばれていたそうだ。戦後まもなく学芸部に移って、映画や演劇や文学を担当する。

B よかったねえ、詩人の出番だ。

O 学芸部での仕事のなかでも、藤井の映画評論は定評があって、雑誌の連載も持つようになる。このころ藤井は、新聞社の仕事の傍ら小説も書いていたようだ。昭和26年には、大阪の成人学校で「映画と文学」という講義を3か月かけておこなっているんだよ。

B 「映画と文学」かぁ。おもしろそうだね。

O この年11月、藤井は東京へ転勤になる。東京では当初、単身赴任で寮住まいをしていたんだが、味気ない一人暮らしの藤井のもとに、二つの知らせが届く。「風土」が『新潮』の全国同人雑誌推薦小説に、『作家』という同人誌に掲載された「佳人」が芥川賞候補になったというんだ。

B うれしかっただろうね!

『佳人』の函と表紙

O そりゃあ、嬉しかったに違いない。芥川賞は受賞こそしなかったものの、川端康成に評価されたし、「佳人」はのちに映画にもなったりして、注目された作品と言えるしね。単行本になったのは、昭和32年のことだけど、ほら、川端による題字が表紙を飾っているよ。

B え、カワバタヤスナリって、も、も、もしかして、あの、トンネルを抜けると雪国だった、っていうのを書いた、あのひと?

O そうだよ。ノーベル文学賞を受賞した川端康成だ。

B すっごーい! 題字もだけど、きれいな本だね。藤井はそのままトントン拍子で直木賞を受賞するの?

O いやいやいや、人生、そう甘くないって、ブンガくん。

 私は三度も玉砕戦記を書きながら、そのつど生き残っておった、というので、大阪の朝日では「不死身重夫」というあだ名がついた。それほど無理な従軍をしたせいか、思いがけぬことに昭和二十八年の夏、社の集団検診で、私はチェックされた。
 ニイチェは、「みんな忙しすぎる。たまにゆっくり本を読むために、人はときどき病気になる必要がある」といったとか。
 いつ、どこで、このニイチェのことばを知ったか記憶はないが、とにかく私はその訓えにしたがい、都下の清瀬なる東洋一の療養センターに、朝日のサナトリウムがあるのを幸い、そこの白いベッドの住人になった。
 (藤井重夫「骨肉」)

B あっちゃ~。でもでも、きた来たきたぁ~~ 清瀬!
 

 

ブンガくんのイラスト

木の葉のライン

(書影)
藤井重夫『虹』文藝春秋新社 昭和40年9月
藤井重夫『佳人』東都書房 昭和32年9月

(引用)
藤井重夫「骨肉」『作家』昭和42年10月号

(参考)
藤井重夫|兵庫ゆかりの作家|ネットミュージアム兵庫文学館:兵庫県立美術館
https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a362/

 

葉っぱのイラスト

葉っぱのイラスト

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