きよせ結核療養文学ガイド ブンガくんと文学散歩 <古賀まり子 3. 闘病と俳句とそして>

ページ番号1013580  更新日 2024年3月18日

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木のはのライン

B ブンガくん O 樹の上の声(オナガ)

古賀まり子 3. 闘病と俳句とそして

オナガのイラスト

O 古賀まり子の、清瀬病院での日々は結核との壮絶なたたかいの日々だったという話をしたね。

B あんまりつらそうで、僕、泣きそうになっちゃったよ。

O 今日は彼女の俳句の話をしよう。清瀬病院に入院したころの心境を、まり子はこんなふうに綴っているんだ。

死ぬ場所として入った病院であったので、苦労をかけた母のために最期の日まで俳句を、生きた証として残してゆこうと思ったので、当然、退屈しのぎの句から一変して苦しい病床吟となった。いつ死を迎えても不思議ではない日が続いた。
(「手書き季寄せ」)

B 最初に入った千葉の療養所では、俳句は退屈しのぎで始めたって言ってたよね。ずいぶん違うなぁ。症状が重いからこそ詠んだってこと? お母さんのために俳句をのこさなきゃ、って。

O そうかもしれない。

B まり子さんは優しい人だね。僕なんか、病気で辛かったら自分のことしか考えられないかも。

O 句を詠み続けようというまり子の強い気持ちももちろんだが、清瀬病院では、俳句を通じた出会いがあったことも見逃せないんだ。

B へえ、俳句の仲間かぁ。さすがは清瀬の療養所!

O まり子が水原秋櫻子の指導を受けながら『馬酔木』に投句していた話をしたね。その『馬酔木』の同人である山田文男とその俳句仲間に、まり子は清瀬病院で出会うんだ。山田は病院内で俳句の会の指導もしていたんだよ。

B それは心強いね。まり子さんも山田先生に習ったの?

O そう。指導を受けた。俳句を詠むことだけじゃなく、この仲間が貸してくれた『植山露子句集』は、まり子の闘病の支えとなるんだ。露子は、清瀬で昭和18年に若くして亡くなった患者で、療養中に独学で『馬酔木』に投句していたという。年齢もまり子と同じくらいで、清らかな作風は秋櫻子にも高く評価されていた。

重症の床の中で私は繰り返し読み、泣いた。殊に死までの一週間の句は胸に迫るものがあった。「いのちいま おもひは春の野に遊ぶ 露子」「玉の緒の 絶えなばゆかん方おぼろ 露子」は、私の心をとらえて放さなかった。高熱の中で幾度もこの句を思うとき、苦しみが楽になるような気がした。
(「手書き季寄せ」)

B 俳句が苦しみを楽にするって、すごい!

O まり子は、自分の境遇と似ている露子に強く共感したんだろう。

B 植山さんも、自分の俳句がだれかの救いになったと知ったら、きっと喜んだね。

ブンガくんイラスト

O そうだね。まり子は重篤な状態で入院して、ストレプトマイシンの投与を受けた。それで熱が下がり、下痢もとまって腸結核の症状はよくなるんだが、その結果、こんどは、おなかが張って痛む、食べられない、という違う症状が出てしまう。そこでおなかを開けて癒着をはがす手術を受ける。癒着がひどかった部分は一部切り取って腸をつなぎ合わせた。術後の経過は良かったのに、時間がたつとまた同じように具合が悪くなり、二度目の開腹手術が行われる。

B うー。なんど聞いても、いたそうだ。

O 二度目の手術のあと、結核性脳膜炎を発症。個室生活となる。このころ、こんな句を詠んでいる。添えられているのは、のちに自らがつけた注だ。

おほかたは個室灯さず十三夜
 二度目の開腹手術のあと病変。個室生活が始まった。そのころは、個室から死への道程は、そう長くはなかった。
(古賀まり子『自註現代俳句シリーズIV期22 古賀まり子集』)

B そっか、思い出した。清瀬病院は20人以上いる大部屋が基本で、個室に入るのは、手術の前後か、症状が重い人だけだった、って吉行淳之介も言ってたよね。個室が「死」に近いって、そういうことでしょ?シビアだな。

O ストレプトマイシンの投与で脳膜炎のほうはよくなるんだが、25年の9月には人生はじめての喀血。めまいも起こってきて、ストマイは投与中止。肺門には空洞ができていた。光にあたると嘔吐し、小さな物音も病状に響くという状態で、部屋の窓には昼間も二重のカーテンがかけられ、暗い中でまり子は眼を閉じてねていたんだ。

O そんなとき、まり子は印象深い体験をする。手記によると、こんなふうだ。

 長い苦しみの末深いねむりに入った私は、空から降って来る太い帯のような光の中に入ってゆきました。その光は“玉の緒の絶えなばゆかん方おぼろ”と言ってどんどん降って来ては、私をぐんぐん引っぱってゆきました。
 暗い下の方で母がしきりに私を呼んでいました。行ってはいけないとーー。目を覚ました時、私は命を呼び起こしました。帰雁の声が淋しく夜空を渡り、そして母がベッドの傍で泣いていました。
(大島民郎「解説」古賀まり子 復刊『洗禮』)

B そ、それって、臨死体験? 亡くなった人が向こうから呼んでいて、行こうとすると、こっちの人が呼び止めるのに気が付いて行かずにすんだっていう… 。「玉の緒の」って、まり子さんが読んで涙したっていう、あの句でしょ?

O そう。植山露子の絶唱、亡くなる間際にのこした句だ。さっきの手記は、こんなふうに続く。

 母の柔らかい涙の中に、報いを望まぬキリストの愛を見ました。
(大島民郎「解説」古賀まり子 復刊『洗禮』)

そして、復刊『洗禮』の解説を書いた大島民郎は、「昭和二十七年に洗礼を受けて信仰の道に入るのも、この生死の彷徨からの必然的な帰結であろう」と述べている。

B まり子さんは、キリスト教の人なの?

O 27年、清瀬病院に入院中に病床受洗している。先立つ26年の句の自註にも、信仰のようすがうかがえるよ。

 昼ふかき囀(さえず)りやがて夢となる
 酸素を吸い、リンゲルに命を支えて生きる身には、夢うつつの浅い眠りであっても、神様からの贈りもの。
(古賀まり子『自註現代俳句シリーズIV期22 古賀まり子集』)

B なんていうか、死ぬか生きるかっていう体験してるというのに、鳥の声と眠りと夢って … 意外なかんじ。

O 同じころ詠んだ句をもう少し紹介しようか。

血を享(う)けしぬくもり罌粟(けし)の昼ふかし
 三度目の手術。喀血のあと病状は全身にひろがり、絶望に近かった。
(古賀まり子『自註現代俳句シリーズIV期22 古賀まり子集』)

B 絶望のなかで詠んだ句なんだね。「けし」というのは?

O 花の名前だよ。ポピーともいう。まり子はこの花が好きで、俳句にもよく詠んでいるんだ。それで院内の俳句仲間に「罌粟乙女」と呼ばれたくらいなんだよ。

B ひゅう、ミス・ポピーだね!

O 作業病棟の人たちがつくる雛罌粟が庭にたくさん咲いて、朝早く切り取った花をバケツに入れて病棟を売り歩いていたそうだ。まり子は一日ではかなく散ってしまう罌粟が好きで、生き延びるあてのない自分の命のようでたまらなく愛しく、毎日のように買ったという。

B はかなく散っちゃう花が、生き延びるあてのない自分のようだなんて、花のイメージがきれいな分、つらさがひしひしと伝わる気がする。

O 罌粟の句には、ほかにこんなのもある。

母来しもうつうつうねむる罌粟の昼
罌粟の昼壊えし胸抱き皆ねむる

B きびしい状態の中で詠んでるんだろうけど、花のイメージがつらさを包んでいるみたいに感じるね。

O 花を詠みこんだ句には、こういうものもある。

喀血のベル鳴るカンナ燃ゆる午後

B ベルって、ナースコールかな。カンナって、夏に咲く花だよね。「喀血」って、血をはいちゃうことでしょ?僕の知ってるカンナは赤い花なんだけど、こんなふうに詠まれると花の色が血の色に思えて、激しいかんじがする。

O 花の句ではないが、同じ昭和26年の、秋にはこんな句も詠んでいる。

柿紅しいつまで病みて母泣かす

この句には「発病して8年目。病気の苦しみより、精神的苦しみの方が大きい」という註が添えられている。

B まり子さん自身もつらかっただろうけど、優しいまり子さんにとっては、お母さんに心配かけてることが、きっとそれ以上につらかったのかもね。柿かあ、秋の句だね。

O 秋の句には、祭を詠んだものもある。

秋祭きこえて誰しも黙(もだ)し臥す
 松林の向こうから祭笛が聞こえてくる。「今年もまた臥して祭を遠くききぬ」の小山寒子の句が、胸中を去来する。
( 古賀まり子『自註現代俳句シリーズIV期22 古賀まり子集』)

B 祭は「きこえる」ものだったんだね。ずっとベッドにねてるんだものね。でも、音でいろんなこと思い出しただろうね。小さいころのこととか、元気だったころのこととか…。小山寒子というのは?

O まり子に病歴の似た紀州田辺の俳人だ。千葉の療友から借りた句集をその後の自宅療養の日々に読んで、強い影響を受けた。「祭を遠くききぬ」の句は、22歳で亡くなった寒子の遺作だ。

B 寒子さんの祭の句も、光の帯のなかでまり子さんを引っぱっていった露子さんの「玉の緒の」の句も、亡くなる間際に詠んだものだったんでしょう?まり子さんは、病気のようすが似ている人の句を思いながら「死」の影を感じていたのかな。壮絶だな。

O おそらく響くものがあったんだろうね。

B 句を思うとき苦しみが楽になるような気がした、って言ってたよね。きっと 俳句と、それから祈りとが、まり子さんを支えたんだね。

ブンガくんのイラスト

木の葉のライン

(引用・参考)
古賀まり子「手書き季寄せ」『俳句』平成11年8月号 角川書店
古賀まり子『自註現代俳句シリーズIV期22 古賀まり子集』社団法人 俳人協会 昭和57年11月
大島民郎「解説」古賀まり子 復刊『洗禮』昭和60年7月 揺籃社
島村喜久治「微笑む五十一枚目のカルテ」カルテにきざむ人生 第二話『保健同人』1954年3月号 保健同人社
古賀まり子「花と俳句ー芸の道としてのー」『俳句』昭和45年8月号 角川書店

葉っぱのイラスト

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