市報連載コラム「清瀬と結核」第1話~第3話

ページ番号1011557  更新日 2022年12月13日

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市報きよせ 連載コラム「清瀬と結核」

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令和4年(2022)4月、『市報きよせ』にコラム「清瀬と結核」を開設しました。これまでに掲載されたものをご紹介します。

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第1話 清瀬市史 結核療養編 刊行決定!(令和4年4月1日号)

清瀬病院記念碑

 市史編さん事業を進めるにあたり、清瀬が結核と向き合ってきた歴史については、時代ごとの資料編とは別としてまとめるべき、との清瀬市史編さん委員会の意見により、令和9年度をめどに「結核療養編」を刊行することとなりました。

 このようななか、清瀬と結核の関わりについて、「市報きよせ」でも改めてお知らせしていこうと「清瀬と結核」のコーナーを設けました。市史編さん室が担当し、これまでの調査で分かったことや収集した資料などをご紹介していきます。

 新型コロナウイルスの出現によって、「感染症」という言葉が身近になりました。結核も、空気感染により広まる感染症です。

 ローベルト・コッホがこの病気は結核菌によるものであると発表したのは1882年のことですが、結核という病気自体はずっと古くからあり、エジプトのミイラにも結核による病変のあとが見られます。

 結核は、日本では主に明治期以降、都市化と工業化の進行に伴ってまん延し、「国民病」とも呼ばれました。戦後、治療に有用な薬が国内に導入されるまで、結核は長く不治の病と言われ、実際、亡くなる人も多く、昭和25年まで死亡率の最も高い病気でした。

 このような結核と清瀬が、これまでどのように関わってきたのか、次号からゆっくりご紹介していきます。

写真:清瀬で最初にできた清瀬病院の記念碑(中央公園内)

 

第2話 清瀬病院 開院前夜(令和4年5月1日号)

昭和4年の村会会議録

 清瀬と結核の関わりを語るとき、最初に登場するのは東京府立清瀬病院です。しかしその設置は、村の人々にすんなりと受け入れられたわけではありませんでした。

 当時有効な治療法のない不治の病として恐れられていた結核の患者が集まる病院ができることに、村では反対の声が上がったのです。

 東京府が社会事業の一つとして「清瀬村上清戸芝山清瀬駅附近」に療養所を設置しようとしたことに対し、清瀬村は「本村ノ将来ニ於ケル発展上誠ニ遺憾ニ堪ヘサル次第」とし、設置の影響について特に慎重な考慮を切望するとして、昭和3年8月位置変更の意見書提出を村会で決めます。

 この意見書に加え、憂慮した村民が陳述書を提出したこともあってか、病院設置位置は西多摩郡霞村(現在の青梅市)付近に変更されますが、変更先住民の反対にあい再び清瀬の予定地に戻ってきます。翌昭和4年3月、村会は再び位置変更に関する意見書提出を決定します。

 二度にわたる意見書提出にもかかわらず、結局、結核療養所の設置位置は当初の予定どおり清瀬に確定します。こうして、現在の中央公園から看護大学校あたりの11,000坪の敷地に100床の病院建物ができ、昭和6年10月20日、東京府立清瀬病院は開院の日を迎えたのでした。

写真:昭和4年の村会会議録 当該議案の頁(左)
(テーマ展示「結核療養と清瀬」で公開中〔記事掲載当時〕の様子)

 

第3話 清瀬病院の開院と拡張、そして病院街の形成へ(令和4年6月1日号)

開院当初の清瀬病院本館

 昭和6年(1931)10月20日に開院した東京府立清瀬病院は、清瀬の病院街で最初にできた結核専門病院です。開院当初の敷地は志木街道寄りの11,000坪、ベッド数は100床で、正門は志木街道に面したところにありました。開院後も隣接地の取得と病棟増築が進められ、清瀬病院は昭和7年に200床、12年に400床、13年800床、18年には1,100床を擁する大病院になっていきました。

 当時、結核のまん延が背景にあり、結核患者を収容する施設の需要は大きいものでした。清瀬病院の拡張も、周囲に広がる雑木林を拓いてつぎつぎに療養所や病院が建てられていったのも、時代の要請によるものだったのです。

 清瀬病院に続いてベトレヘムの園、府立静和園、信愛会秋津保養農園、救世軍清瀬療養園、傷痍軍人東京療養所、上宮教会清瀬療園、日本鋼管清瀬浴風院、清瀬保養園(いずれも開設時の名称)、結核予防会結核研究所、と次々に結核関連施設が建てられ病院街が形成されたのは昭和10年代のことです。

 清瀬病院は開院時、貧困で「療養ノ途ナキ者」を公費で収容する病院でしたが、昭和13年には有料での患者の受け入れを始めます。

 「結核と向き合うには『大気・栄養・安静』」という時代にあって、清瀬病院では昭和10年に外科療法を導入、17年には胸郭成形術と呼ばれる外科手術を本格的に始めています。

写真:開院当初の清瀬病院本館。
志木街道に面した正門近くに本館、
その南側に病棟が連なっていた。

 

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