市報連載コラム「清瀬と結核」第10話~第12話

ページ番号1012188  更新日 2023年7月28日

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市報きよせ 連載コラム「清瀬と結核」~病院街の形成~

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令和4年(2022)4月、『市報きよせ』にコラム「清瀬と結核」を開設しました。これまでに掲載されたものをご紹介します。

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第10話 上宮教会清瀬療園(令和5年5月1日号)

上宮教会清瀬療園外観

 上宮教会は、聖徳太子の教えに従って教化事業や社会福祉事業を行なうことを目的に、明治30年に創立された団体です。日暮里に診療所を設けていました。

 昭和に入り、蔓延する結核に対し、上宮教会では、特に療養の途のない患者のために少ない費用で入院治療ができる施設の開設を考えていたところ、宮内省旧帝室林野局建物が下付されることになり、施設建設のための土地を、清瀬に求めました。傷痍軍人東京療養所(現・東京病院)西隣の地です。

 特別ご下賜金のほか、三井報恩会、安田修徳会等々から寄付を受け、上宮教会清瀬療園の建築は昭和14年1月着工、同年12月竣工し、入園者の受け入れを始めました。

 当初の収容定員は64名で、開院から4か月で早くも満床となりました。寄付や結核予防法の補助金により、2年続けて病棟を増築し、昭和16年には142名を収容できる規模になりました。

 戦後も増床は続き、昭和37年、増改築により173床に、昭和42年には新病院の建築で201床に達しました。開院以来、結核を専門としていましたが、昭和52年に病院名を清瀬上宮病院と改称し、結核病床を100床、一般病床を100床としました。

 平成に入ってからは、結核の他、一般、特例許可老人病棟の床数を変化させながら、現在は、回復期リハビリテーション病棟92床、一般病棟27床に加え、48床の結核病床を維持しています。

 病院の名称は、平成19年7月、清瀬リハビリテーション病院となりましたが、病院に近いバス停にはかつての病院名にちなむ「上宮」の名が残っています。 

写真:上宮教会清瀬療園 外観(昭和27年頃か)
(清瀬リハビリテーション病院 提供)

 


第11話 日本の結核予防の礎を創った人々(令和5年6月1日号)

 公益財団法人結核予防会は、その名のとおり結核の予防に関するさまざまな活動を行なってきた団体です。昭和14年の創立で、本部は千代田区にあります。

 清瀬とも深いつながりがあります。清瀬には、結核予防会の研究機関である結核研究所と、結核研究所臨床部に始まる複十字病院があります。

 結核予防に大きな役割を果たしてきたBCGワクチンに関していえば、凍結乾燥ワクチンの安定供給を可能にしたのも清瀬の結核研究所の研究成果によるもので、当初の製造は結核研究所の一角で行われていました。

 結核研究所の歴史については、後日改めてご紹介しますが、結核研究所を含め結核予防会と清瀬市は、これまでもブックカバーの制作配布による結核予防啓発事業を共同で行うほか、市史編さん事業においても令和4年のテーマ展示「結核療養と清瀬」でご協力いただくなど、連携関係を築いてきました。

♦第98回日本結核・日結核性抗酸菌症学会 市民公開講座

 結核研究所の加藤誠也所長が学会長を務める標記学会の市民公開講座をご案内します。テーマは「日本の結核予防の礎を創った人々」。結核予防の歴史を学ぶ絶好の機会です。ふるってご参加ください。

 日時:2023年6月11日(日曜日)午後3時40分~5時40分
 場所:京王プラザホテル(新宿区西新宿二丁目)
 配信:ライブ配信あり
 費用:無料

 申込:学会ホームページから申し込み(終了)
 問合:学会運営事務局(終了)

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市民公開講座ポスター画像

市民公開講座「日本の結核予防の礎を創った人々」は、令和5年6月11日 盛況のうち開催されました。

演題と演者は次のとおりでした。

*R. コッホに学び 結核予防協会、日本結核病学会を創設された 北里柴三郎先生
 小林弘祐 氏(学校法人北里研究所 理事長)

*結核予防協会を創設し、結核予防会の発足に尽力された 第一生命創業者 矢野恒太氏
 渡邉光一郎 氏(第一生命保険株式会社 特別顧問)

*日本で初めてBCGワクチン接種を行い、全国に先駆け検診車を導入された 今村荒男先生と「今村賞」
 増田國次 氏(大阪府結核予防会 顧問)

*エックス線検査による結核診断の道を開かれた 結核病理学の泰斗 岡 治道先生
 森 亨 氏(結核研究所 名誉所長)

*結核予防会創設以来55年にわたって総裁を務められた
秩父宮妃勢津子殿下
 山口峯生 氏(元秩父宮付宮務官)

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第12話 清瀬保養園(令和5年8月1日号)

清瀬保養園外観

 清瀬保養園は、沖電気、日本鋼管、日本鋳造という3つの会社の出資によって昭和18年に開かれた結核療養所です。もともとは、五反田で開業していた馬杉亮氏が結核患者のためのサナトリウムとして昭和14年に開設した、同じ名前の林間療養所でした。開院時の病床数約200床のうち133床は東京市の結核療養臨時代用施設としての特約で、一般向けの病床は70床弱という規模でした。3社による療養所となってからは、企業の結核療養所として機能しました。

 清瀬保養園は、昭和36年に3社から独立して、医療法人財団となり、翌37年には創立1周年の記念式典を、清瀬町農事センターで行っています。

 昭和41年には病棟のひとつを内科病棟とし、全214床のうち内科50床、結核病床は6棟に164床としました。

 その後、昭和45年に名称を竹丘病院と改め、地域住民の健康管理を視野に、翌46年、外来棟を増設。49年春には新しい病棟が竣工し、結核85床、一般79床、計164床の病院ができあがりました。

 結核病床は、結核患者の減少を受けて、昭和52年に廃止され、さらに昭和61年には一般病院から特例許可老人病院へと移行。平成10年には併設の老人保健施設が開かれました。のちの介護老人保健施設たけおかです。

 昭和10年代に病院街の一角に誕生した結核療養所が、一般病院になり、老人医療に軸足を移していった病院の沿革は、時代のニーズに応え続けてきた清瀬の病院街の姿を映していると言えるかもしれません。

写真:緑陰通りから見た 清瀬保養園 正門(昭和36年頃か)
(医療法人財団 保養会 提供)


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