市報連載コラム「清瀬と結核」第7話~第9話

ページ番号1011600  更新日 2024年2月2日

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市報きよせ 連載コラム「清瀬と結核」~病院街の形成~

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令和4年(2022)4月、『市報きよせ』にコラム「清瀬と結核」を開設しました。これまでに掲載されたものをご紹介します。

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第7話 信愛病院(令和5年1月1日号)

開院当時のベトレヘムの園病院玄関

 信愛病院は、キリスト教プロテスタントの信者有志により開設された病院です。

 清瀬で事業を始めるまえに、信愛会は世田谷で困窮結核患者のためのホームを経営していました。これが昭和12年に清瀬に移転し、信愛会秋津保養農園となります。

 病院化をめざす信愛会は、同じ信仰のもと困窮結核患者救護のために千葉県の犬吠埼に休養所を開いていた報恩会と合併し、昭和16年に清瀬の地に結核専門の報恩会信愛病院を開設したのです。

 所在地はベトレヘムの園、東星学園と隣り合う現在地ですが、当時の地名は東京府北多摩郡清瀬村野火止といいました。

 病院開設認可時には病床数20床でしたが、増築と、南秋津の分院開設により昭和19年には82床となりました。東京市、のちに東京都の委託施設となって結核患者を受け入れていました。

 戦後に財団法人信愛報恩会と名称を変更し病棟増築を重ね、昭和30年には病床数239床に達しています。明電舎ほか企業の健康保険組合や日本銀行、早稲田大学教職員組合とも病床契約を交わし、受入れ病床を確保していました。

 秋津保養農園、親愛病院の開設に尽力し、長く病院経営に携わった長澤正氏は、昭和26年から7期28年にわたり清瀬の村・町議会議員としても活躍しました。

写真:開院当時の信愛病院玄関(昭和16年)
(信愛報恩会提供)

 

第8話 救世軍清瀬療養園(令和5年2月1日号)

病棟ベランダでの外気浴のようす

 救世軍は英国に本部を置くキリスト教プロテスタントの団体で、日本では明治28年以降、困窮者の救済に力を注いできました。結核患者の惨状にも目を留め、大正5年、杉並の和田堀に「救世軍療養所」を開設しましたが、満床状態は限度までの拡張でも解消できず、新たな療養所を開設することになりました。

 こうした流れから、清瀬に13,800坪の土地を得て、昭和14年3月、結核療養所「救世軍清瀬療養園」が開かれたのです。

 開園時には130床でしたが、病棟やコロニー舎の増設により、昭和17年には200床まで拡張されていました。外気小屋もありました。

 結核のアフターケアに心を配っていた救世軍の療養所では、清瀬においても軽快患者の後保護のためコロニー舎を設けるなどの配慮がありました。敷地内にあった養豚舎や養鶏舎はその背景を物語っています。

 開設時の名称は「救世軍清瀬療養園」といいましたが、その後、変遷がありました。昭和15年に救世軍は「救世団」となり、昭和17年には療養所の名称も「清心療養園」となりました。戦後、昭和21年には「救世軍清心療養園」と改称、現在の「救世軍清瀬病院」という名称は昭和47年からのものです。

 昭和62年の結核病棟廃止後は高齢者医療に取り組んできました。また、平成元年にはホスピス病棟を設立し、緩和ケアにもあたっています。

写真:病棟ベランダでの外気浴の様子(昭和17年ごろ)
(救世軍提供)

 

第9話 傷痍軍人東京療養所(令和5年3月1日号)

傷痍軍人東京療養所 病棟配置図

 現在の東京病院と日本社会事業大学を併せた広大な敷地に、昭和14年11月、傷痍軍人東京療養所が開かれました。傷痍軍人とは、戦争で負傷したり病気になった軍人のことです。東京療養所は、傷痍軍人援護機関として発足した傷兵保護院(のちに軍事保護院)が設置した傷痍軍人結核療養所の一つで、陸海軍病院から転送される結核患者を収容しました。

 結核は、軍にとって部隊の戦力に影響する課題でした。感染を広げないよう衛生組織が患者を発見すると陸海軍病院に送り、病院は結核患者があふれんばかりでした。十分に治癒しないままの帰郷は当人の再発を招くばかりでなく、結核まん延の源となる恐れがあるため、傷痍軍人結核療養所を設置し受け入れる必要があったのです。

 当時、他の公私立の療養所では入院までに時間を経たゆえの重症患者が多かったのに比べ、傷痍軍人結核療養所は規模も大きく比較的早期に発見され治癒の見込める患者が相当数を占めていたので、治療法の効果検討・研究を可能にしました。東京療養所では特に、胸部外科領域で功績をあげました。

 療養所の生活は厳しい規律のもとに営まれました。早くよくなり再び国のために働けるようにと建てられた「再起奉公」の石碑は、外気者記念館脇にあり、当時を今に伝えています。

 終戦の年、昭和20年12月、厚生省(当時)に移管され、名称も国立東京療養所と改められました。

図:傷痍軍人東京療養所病棟配置図
(国立病院機構東京病院提供)

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