病院街の変遷
病院街の変遷
病院街の変遷編第1回では、現在の東京病院を中心に、また第2回では、ベトレヘムの園病院、信愛病院、救世軍清瀬病院、清瀬リハビリテーション病院、竹丘病院、結核研究所、複十字病院ほかの成り立ちと変遷についてご紹介しています。
(マップ:町制施行10周年記念誌『きよせ '64』〔昭和39年清瀬町刊〕より)
療養作家とゆかりの作品
清瀬の病院街では、数々の作家たちも療養の日々を過ごしました。清瀬と結核にゆかりのある作品などをご紹介します。
(写真:石田波郷句碑〔中央公園〕)
日本の「リハビリ」専門教育発祥の地 きよせ
「リハビリ」は、もうすっかりおなじみの言葉ですが、リハビリテーション rehabilitation の手法が日本の医療に導入されたのは戦後のことで、そのスタートを担った専門家たちを養成したのは清瀬の東京病院付属リハビリテーション学院でした。
(写真:『リハビリテーション学院閉校記念誌』〔国立病院機構東京病院付属リハビリテーション学院 平成20年刊〕より)
「安眠ゾーン」が見てきたもの
交通事故や排気ガス公害をなくそうと、スクールゾーンの設定が始まり、ノーカーデーが呼びかけられた昭和47年、清瀬の病院街は全国で初めて「安眠ゾーン」の指定を受けました。そのころの病院街では、結核入院患者の減少に伴って大きな変化が起こっていました。
(写真:結核研究所付属療養所(現・複十字病院)の旧病棟と周辺の様子 結核予防会提供)
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