第1回 ちょっと昔の清瀬のはなし(令和7年1月1日号)


令和7年10月1日、清瀬市は市制施行55周年を迎えます。「清瀬市」になるまで、清瀬という地域はどのような歴史をたどったのでしょうか。
江戸時代、清瀬という地名はなく、独立した6つの村(上清戸・中清戸・下清戸・清戸下宿・中里・野塩)でした。人々は畑の作物を江戸で売って収入を得ていました。明治22年に村制の施行によって6つの村が1つになり「清瀬村」が誕生します。この頃も村民の大半が農業を営んでおり、大正10年には人口約3千人のうち、約8割の家が農家であったとされます。
昭和初期には村の南西部の雑木林が切り開かれ、結核療養所が次々につくられ、いわゆる病院街が形成されました。しかし、戦後になっても村の大半は畑であり、村民の多くが農業に従事していました。昭和29年、町制が施行され「清瀬町」が誕生すると、第2・3次産業が発達しはじめます。昭和30年代以降の集合住宅の造成により人口は増加し、市制施行直前の人口は約5万人に達しました。この時期、商工業などの都市的な職業に従事する人口は約94%を占めています。人口や施設的な要件を満たした結果、昭和45年10月1日に市制が施行され「清瀬市」が誕生しました。こうして、都市近郊農村であった清瀬の姿は移り変わり、現在では都心部のベッドタウンや医療のまちとして発展しています。
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