第2回 55年で大きく変わった柳瀬川(令和7年2月1日号)


第1回のコラムでは清瀬市が誕生した歴史を紹介しました。今回は、55 年の間に大きく変化した市民の憩いの場として知られる柳瀬川について紹介します。
柳瀬川は、東京都と埼玉県の境を流れる河川で古くから生活用水として利用されていました。かつて、蛇行していた川沿いには土手が広がり、その周辺には水田があるのどかな風景が存在していました。しかし、市制施行前後から、水田は団地に変わり風景が大きく変化しました。特に下宿地域では関越自動車道の開通、武蔵野線の開業、そして台田団地の造成と柳瀬川周辺の風景が一気に近代化していきました。
柳瀬川は、洪水が頻繁に起こる川であったことから、平成6年に洪水対策の一環として金山調節池が作られ、新しい堤防を作る護岸工事が行われました。
これにより、それまで蛇行していた柳瀬川がほぼ直線に近い形になり、土手もほぼ姿を消し、その代わりにコンクリートなどで造成された、現在のような人工的な堤防が誕生しました。
しかし、柳瀬川や金山調節池には、数多くの動植物が残り、自然環境が豊かな状態は現在でも続いています。
台田団地造成時に植樹した桜の木が、春になると満開となり、今では数多くの人々が集まる憩いの場となっています。
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