市史編さん草子「市史で候」 四十五の巻 「いざ、中世を訪ねる時空の旅へ 市史講演会第2回開催」

ページ番号1001948  更新日 2020年9月24日

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市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」 市史爺(ししじい) 清瀬市は、昭和45(1970)年10月1日誕生。市制施行50周年を視野に入れ、現在、清瀬の歴史をまとめる事業を展開中です。当ブログでは事業の経過報告のほか、清瀬の歴史や文化、自然を楽しくご紹介しています。

四十五の巻:「いざ、中世を訪ねる時空の旅へ 市史講演会第2回開催」【平成30年1月15日更新】

チラシ:市史講演会第2回「中世の清瀬市域」

この講演会は、平成30年2月4日好評のうち終了しました

市史講演会、今年も開催します。
今回のテーマは「中世の清瀬市域 ゆかりの人物と文書を追って」。

きよせし?いき?
きよせ しいき?
きよせ、じゃなくて?

「清瀬」という地名が生まれたのは、明治22年に、清戸下宿、下清戸、中清戸、上清戸、中里、野塩の6つの村がまとまって「清瀬村」が誕生したときのこと。

それよりはるか昔の中世には「清瀬」とは言わなかった。
知りたいのは、今の「清瀬」にあたるところが、その時代どうだったか、なんだけど…。
というわけで「清瀬市域」と表現しています。

つまり、「この辺りの中世って、どんな感じだったのだろう」 これが今年の市史講演会のテーマです。


ところで、「中世」って、日本史ではどの辺りの時代を指すの?

大まかに言うと、武士が台頭してきてから、戦国の世がおさまるまで。
数字の目安で言うと、12世紀の末から16世紀の終わりまで。

え? 今から400年以上も前?!

ええ。今年平成30年は、明治維新から数えて150年。
明治の前が江戸時代。家康が江戸に幕府を開いてから、江戸城が明治政府軍に明け渡されるまで265年間。
「中世」は、そのまた前を指すのですから。

そのころ、この土地はどんな様子だったのでしょう。
ゆかりの人物や文書から、その姿に迫ります。

数百年前の文書でも、残っていれば読み解くことができますが、今の清瀬市にあたる地域に関する中世の古文書は、実は多くはありません。

そこで、市域の中世を知るには、ゆかりの人物の動きを追い、全国に散在する関連文書を追う必要がある、というわけなのです。

平成31年度、新たな清瀬市史の1冊目として資料編を出す古代・中世部会では、こうした調査を着々と進めています。
今回の講演会では、その成果から見えてきた中世の清瀬市域の姿が語られます。

早春の日曜日、
古文書写真が巻頭を飾る『市史研究 きよせ』第2号を手に、清瀬市域の中世を訪ねる時空の旅へ、みなさま、いざ、まいりましょうぞ。


市史講演会第2回 『市史研究 きよせ』を読む
中世の清瀬市域 ゆかりの人物と文書を追って

講師
浅倉直美(清瀬市史編さん委員会 古代・中世部会長)
日時
平成30年2月4日(日曜日)午前10時~正午
場所
清瀬市生涯学習センター 講座室1
(清瀬市元町1-2-11 アミュービル6階)
定員
50名(先着順 事前申し込み不要)
参照資料
『市史研究 きよせ』第2号
『市史研究 きよせ』は、市役所1階受付、郷土博物館にて販売中。
1冊300円。講演会当日、会場でも販売します。

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