市史編さん草子「市史で候」 三十八の巻 「広報紙でみる60年」

ページ番号1001955  更新日 2020年9月28日

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市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」 市史爺(ししじい) 清瀬市は、昭和45(1970)年10月1日誕生。市制施行50周年を視野に入れ、現在、清瀬の歴史をまとめる事業を展開中です。当ブログでは事業の経過報告のほか、清瀬の歴史や文化、自然を楽しくご紹介しています。

三十八の巻:「広報紙でみる60年」【平成29年6月29日更新】

清瀬の古い広報紙を読んでみたい。
そう思った時に便利なのが、『市報きよせ 縮刷版』。
「市報」の名がついていますが、実は「町」の時代からの広報紙が収録されています。
掲載されている中で一番古いものは昭和31(1956)年4月25日号の「町報きよせ」。
およそ60年前……広報誌って還暦を過ぎていたんですね。

今回は、そんな広報紙の夏の記事を中心に、10年毎に、60年前までさかのぼっていきましょう。

 

10年前/平成19(2007)年

  • 清瀬の出来事:清瀬東高校閉校
  • 日本レコード大賞:コブクロ「蕾」
  • アカデミー作品賞:「ノーカントリー」

写真:2007年7月1日号1面に掲載された椅子のあるまちづくりの記事

7月1日号のトップを飾るのは4つの記事。
「市民課土曜窓口開放」、「進めています椅子のあるまちづくり」、「中清戸地域市民センターが7月15日にオープン」、「7月2日に清瀬市障害者就労支援センターがオープン」。

このうち「椅子のあるまちづくり」は、景観が美しく多くの人々が訪れる市内の場所に、寄付金で椅子を設置する事業です。

市内に59基の椅子を設置したことを報告するこの広報紙は、同時に、「個人の場合は、誕生祝や卒業祝い、結婚記念日や定年、還暦など様々な記念を形にする方法として、ぜひこの事業にご参加ください」と呼び掛けています。

現在では、けやき通りなどに63基の椅子が、この事業で設置されています。


20年前/平成9(1997)年

  • 清瀬の出来事:消費生活センターオープン
  • 日本レコード大賞:安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」
  • アカデミー作品賞:「タイタニック」

写真:1997年5月15日号1面に掲載された立科山荘着工の記事

5月15日号の1面の見出しは、「市民保養施設着工」。

市民保養施設とは、長野県北佐久郡立科町に建てられた「清瀬市立立科山荘」のことです。

元々は昭和46(1971)年に「立科林間学園」を建設。
しかし老朽化等から平成9年に建替えが始まり、翌10年に「清瀬市立立科山荘」としてリニューアルオープンしました。

立科町とは「立科林間学園」の設置から交流が始まり、現在では友好都市協定を締結するに至っています。


30年前/昭和62(1987年)

  • 清瀬の出来事:駅前ハイツができる
  • 日本レコード大賞:近藤真彦「愚か者」
  • アカデミー作品賞:「ラストエンペラー」

写真:1987年8月15日号1面に掲載された清瀬駅北口再開発の記事

「生まれかわる市の玄関口」
8月15日号の堂々たる見出しの下には、「清瀬駅北口地区再開発事業が都市計画決定」という副題が記されています。

再開発事業は昭和58(1983)年から本格化し、平成7(1995)年に完成しました。
この事業によって、駅前の大きなロータリー、地下駐輪場、駅前図書館の入っているクレアビルや、男女共同参画センターなどが入っているアミュービルができました。

清瀬駅北口の再開発前、そして開発中の様子は『市史研究 きよせ』第2号の巻頭カラー頁でご紹介していますので、是非ご覧ください。


40年前/昭和52(1977)年

  • 清瀬の出来事:気象衛星センター開設
  • 日本レコード大賞:沢田研二「勝手にしやがれ」
  • アカデミー作品賞:「アニー・ホール」

写真:1977年8月1日号2・3面された下宿地域市民センター完成の記事

8月1日号の2面・3面を通して報告されているのは、市民体育館・下宿地域市民センターの完成です。

市内初めての本格的な体育施設としての市民体育館、地域社会活動の拠点としての下宿地域市民センター。

この記事を読んでいくと意外なことに、その建設には、同じく下宿にある清瀬水再生センターが関係したことが分かります。

清瀬水再生センターは清瀬市を始めとした都下10市の公共下水道化を推進する計画に基づき建設されました。
この施設の建設は重要な事業である一方、そのために移転を余儀なくされる方々が出てしまいます。
そうした方々のためにも生活環境の整備が必要である、という中でオープンしたのが、市民体育館・下宿地域市民センターだったのです。


50年前/昭和42(1967)年

  • 清瀬の出来事:旭が丘団地ができる
  • 日本レコード大賞:ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」
  • アカデミー作品賞:「夜の大捜査線」

写真:1967年7月15日号1面に掲載された清瀬駅南口工事の始まりを知らせる記事

50年前の、昭和42年6月には清瀬駅の南口工事が始まりました。

清瀬駅が出来た時、改札は北側にしかなく、南側へは踏切を渡っていくしかありませんでした。
しかしそれでは不便ということで、清瀬駅に陸橋ができ南口広場がつくられたのです。

この7月15日号の記事によれば、陸橋は将来、橋上駅にすることを考えた上で幅4mにつくられたそうです。

工事完了は、同年11月。
そして、昭和45(1970)年、清瀬駅は現在と同じ橋上駅となりました。


60年前/昭和32(1957年)

  • 清瀬の出来事:清瀬中学校校歌制定(作詞は石田波郷)
  • 日本レコード大賞:―(創設前)
  • アカデミー作品賞:「戦場にかける橋」

写真:1958年4月1日号1面に掲載された清瀬中学校卒業後の進路状況調べ

この年の広報紙の発行は、2回だけ。
記事も少なく選び出すのが難しかったため、ちょっとズルをして、昭和32年度に関する記事をご紹介します。

昭和33年4月1日号に、昭和32年度の清瀬中学校の卒業後進路状況調べの結果が掲載されています。

卒業生は、男子が92名、女子が66名の計158名。
このうち、就職・自業は97名で、進学は61名。
働き始めた人が約6割でした。

ただし、就職・自業と答えた人の中でも、31名は定時制に通っています。
進学・定時制を合わせれば92名。
約6割が学び続けることを選んだ、という言い方もできるのではないでしょうか。


以上、10年単位で清瀬の出来事を振り返ってみましたが、いかがだったでしょうか。
その時代ならではの出来事や雰囲気というものが広報紙には溢れています。
「市史で候」ではこれからも、気になる記事を見つけてはご紹介していきたいと思いますので、是非ご覧ください!

 

  • ※縮刷版に掲載されている一番古い広報紙には「10号」と書かれているので、実際は昭和31年よりも前からあったのと思われます。
  • ※『市報きよせ 縮刷版』は市内各図書館で読むことができます。
  • ※縮刷版に掲載されているのは平成元年までですが、中央図書館ならばそれ以降も現物で読むことができます。

 

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