市史編さん草子「市史で候」 四十の巻 「中里の夜空を焦がす」

ページ番号1001953  更新日 2020年9月28日

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市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」 市史爺(ししじい) 清瀬市は、昭和45(1970)年10月1日誕生。市制施行50周年を視野に入れ、現在、清瀬の歴史をまとめる事業を展開中です。当ブログでは事業の経過報告のほか、清瀬の歴史や文化、自然を楽しくご紹介しています。

四十の巻:「中里の夜空を焦がす」【平成29年8月26日更新】

写真:燃え上がる大松明と「中組」と書かれた提灯

暗闇に燃え上がる炎の柱。

何の写真かお分かりになるでしょうか。

そう、東京都の無形民俗文化財「中里の火の花祭」です。
火の花祭は毎年9月1日、やはり東京都の有形民俗文化財に指定されている「中里の富士塚」で行なわれています。


写真:中里の富士塚

富士山は古くから信仰の山でした。
しかし、車や電車のない時代、富士山まで行って登るのはなかなか大変です。
そのため、富士山を模した富士塚がつくられるようになりました。
清瀬市内には中里と竹丘(東久留米地域の人々が利用)の二か所に富士塚があります。

その富士塚で、富士山の吉田の火祭りにならって始められたと考えられているのが、中里の火の花祭です。
このお祭りは丸嘉講武州田無組中里講社の講員の方々によって執り行われています。


写真:ロウソクの灯った中里の富士塚を講員が下山している様子

お祭りの当日、9月1日。
夕方6時頃、講員の方々は富士塚の頂上の御本社前で、お伝え(経本に記されている富士講独特の言葉)や祝詞(のりと)を奏上する神事を行います。
そして、午後8時45分頃になると、富士塚に立てられたロウソクに火が灯され、富士塚の頂上から提灯を持った講員の方が「南無浅間大菩薩(ナムセンゲンダイボサツ)」と念仏を唱えながら下山していきます。
下山後、お祓いや四方固めが行なわれ、ついに富士塚の麓にある大松明(麦わらを積み上げたもの)に点火されます。
それがお焚き上げです。


写真:大松明に火が付けられる様子

闇夜の中、ロウソクが灯された富士塚と、煌々と燃え上がる大松明。
お祭りを執り行う講員の方々と、それを何重にも輪になって見守る人々。

お焚き上げは熱気にあふれ、ものすごい迫力です。

やがて大松明が崩れ落ちると、参加者はその灰を各々かき集めます。
この灰は、家の入口に置けば火災除けや魔除けに、畑にまけば豊作になるといわれているそうです。
そして、講員の方々は「六根清浄(ロッコンショウジョウ)」と唱えながら、再度富士塚に登り、頂上の御本社前で一礼して、お祭りは幕を閉じます。


写真:盆踊り

ここまで書いておきながらなんですが、やはり中里の火の花祭の熱気と迫力を文字でお伝えするのは難しい。

火の花祭は9月1日(雨天順延)、神事は午後6時頃から。
富士塚近くの会場では、盆踊りや夜店もあります。
そして、盆踊りが終わる8時45分頃、ロウソクに火が灯り下山が始まります。

皆さん、是非、足を運びご自身の目で耳で、そして肌で感じてみてください。

※会場には駐車場がありませんので、公共交通機関や自転車を御利用ください。

 

清瀬駅発の西武バスの場合

  • 志木駅南口行き(市役所・旭が丘経由) 「けやき通り」下車 徒歩10分
  • 旭が丘団地行き(けやき通り経由) 同上
  • 台田団地行き(中里経由) 「中里四丁目」下車 徒歩5分

参考文献

 清瀬市郷土博物館『清瀬の民俗行事と民俗芸能』 2014年


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