市史編さん草子「市史で候」 五十六の巻 「明治151年 清瀬の近代を考えた。」

ページ番号1001934  更新日 2020年9月24日

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市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」 市史爺(ししじい) 清瀬市は、昭和45(1970)年10月1日誕生。市制施行50周年を視野に入れ、現在、清瀬の歴史をまとめる事業を展開中です。当ブログでは事業の経過報告のほか、清瀬の歴史や文化、自然を楽しくご紹介しています。

五十六の巻:「明治151年 清瀬の近代を考えた」【平成31年2月28日更新】

チラシ:市史講演会第3回「明治151年 清瀬の近代を考える」

年に1回開催している「市史講演会」。
第3回となる今回は「明治151年 清瀬の近代を考える」と題し、市史編さん委員会の現代部会長、黒川徳男先生にお話しいただきました。

近代を考えるのに、講師は現代部会長?
はい。
講演でも先生いわく、どこかの時代を見ようとするとき、その時代だけを見るのでは不足。
その前がどうだったのかを知ってこそ、つながりの上に時代が見えてくる。

明治151年となる平成31年の2月24日、清瀬村誕生の時代である近代をふり返りながら、それがいかに現代につながってきたのか、お話しいただきました。

市史講演会の会場は、清瀬駅北口にある生涯学習センターの講座室1。
事前申込不要、当日の先着で定員は50名。
講演は午後2時からです。
さあ、お客さんはどのくらい来てくださるでしょうか。

写真:講演会準備中


1時過ぎ、黒川先生到着。
「先生、今日はよろしくお願いします。」

プロジェクタの設定も、再確認。
配布資料は机の上に置きました。

 

 

 

写真:開場5分前

 

 


受付では『市史研究 きよせ』第3号販売の用意も整えました。

お客さんは続々と集まり、ほどよく満席となりました。


 

「去年は明治150年にあたるというので、各地でいろいろな催しがありましたが、年が改まったことでもあり、正直に、と言いますか、ひねりを入れてと言いますか、今日のタイトルは、明治151年 清瀬の近代を考えるとしました」

写真:講演会の様子

写真:講師は現代部会長 黒川先生

まず、江戸幕府が把握した清瀬、明治陸軍が把握した清瀬はどのようだったかについてお話したいと思います。

お手元の資料をごらんください。
幕府が編さんした『新編武蔵風土記稿』の中で、清瀬はどう書かれているでしょうか。

野塩村、中里村、清戸下宿、下清戸村、中清戸村、上清戸村、それぞれに由緒、支配関係、寺社について述べられています。

一方、陸軍の偵察録では、地方からの軍勢に対して東京をいかに防衛するか、という観点から書かれています。
読み比べてみると違いがよくわかるのではないでしょうか。

偵察録には、集落の形についても書かれています。
野塩村、中里村では、田んぼの中に家はない。台地の上の集落に住み、低地の田んぼで稲作を行っている。
清戸下宿も、田んぼと集落。
水車場についても記載があります。中里村に水車場2、清戸下宿に3。水路とともに地図に示されています。
一方、下清戸、中清戸、上清戸では、志木街道沿いにのみ集落があると書かれています。


休憩をはさんで後半は、現代日本人の思考と歴史について。

主語が明確な作為=「する」という西洋思想に対して、ある行為をきっかけとし結果としてもたらされる変化=「なる」という思考様式を特徴とするのが日本人ですね。

「どうする」ではなく、「どうなる」。
論理ではなく、連想。
「なる」という思考は、「古事記」にも見られます。
神様の誕生が「なる」と表されている。

図:思考と歴史 「今日はついてる」は古代と神道、精神論的思考は中世と仏教、先輩後輩関係は近世と儒教、人権や平等の考え方は近代と西洋思想


思考と歴史ということで考えてみましょう。

野球少年の一日に例えてお話すると、日中は学校で授業を受けています。社会科の授業では人権や平等といった近代の西洋思想を学んでいる。これが表層文化です。

放課後、部活の練習に行くと、先輩後輩の長幼の序を重んじる空気の中にいる。これは近世の儒教の思想ですね。

千本ノックだとか練習中には水を飲むな、昔はそう言われたものですが、こういう精神論的練習、言ってみれば修行、苦行。これは中世の仏教僧の修行に通じるもの。

そして、これらのベースには何があるかと言うと、今日は茶柱が立ったから、ついている。だからバットを振ると全部当る、というような「憑き」の思想。これは古代の神道思想に通じるものですね。基層文化としてこれがあります。

思考は歴史の上に重ねられてきているのです。

 

村を守る行事について考えてみましょう。

民俗行事のムラは近世の村が単位です。
近世村(江戸時代の村)は、明治22年、明治の大合併によって近代の村になりますが、近世村の名前はそのとき大字(おおあざ)として残りました。
野塩、中里、清戸下宿、下清戸、中清戸、上清戸という元の村の名前は、一緒になって「清瀬村」ができたとき、大字として残されています。

行政上の境とは別に、祭や石仏を置くときに意識する意識上の境界があります。
この境界で行われる民俗行事は疫病(疫病神)から村を守るためのものです。

また、民俗行事には豊作祈願のために行われるものもあります。

これらの民俗行事にあるのは、論理ではなく、連想です。
例えば、村に疫病を入れないために、検疫検査が有効だというのは論理、ふせぎの大蛇を掲げて祈るのが連想です。

村の無事を祈る時、神か仏かは意識されていません。
明治の神仏分離令で山王社が日枝神社になったり、天王社が八雲神社になったりと影響もありましたが、村を守ってくれるという意味において神仏の別は意識されていないのです。

例えば下宿のふせぎ、日枝神社のへび、上清戸の神輿、清戸の獅子舞、八雲神社の神輿は、村を守るための行事ですね。
清瀬の民俗行事にも、こうした思考を見てとることができます。

写真:講演会の様子
たくさんの方にご来場いただきました

以上、2時間の講演を概略版でお伝えしました。
もちろん、ここではお伝えしきれない興味深い話題も盛りだくさんでした。


イラスト:ドアから顔をのぞかせる市史爺

アンケートに寄せられたご意見を一部ご紹介しましょう。

  • 説明がわかりやすく、たいへんよかった。
  • 村史、宗教、祭など、盛りだくさんの内容でたいへん興味深かった。
  • 講演会は今後も続けてください。
  • 大勢の参加者で関心の高さを感じました。

などなど

もっと清瀬のことを知りたいとのお声も。
衣類の歴史、遺跡のこと、下宿と滝ノ城の関わり、病院街の歴史など。

今後の企画に反映していきたいと考えています。


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