市史編さん草子「市史で候」 四十九の巻 「清瀬市内における石仏石碑等調査報告」
四十九の巻:「清瀬市内における石仏石碑等調査報告」【平成30年6月28日更新】
清瀬市内のいろいろな場所に石仏や石碑があります。
では、いったい、どれぐらいの数あるのでしょうか。
よし、調べてみよう!
ということで、市史編さん室では、平成28年度から平成29年度にかけて、市内の石仏・石碑などの実踏調査を行ないました。
その途中経過をご報告いたします。
調査は、これまでに刊行されている本などから、石仏や石碑の場所の目星をつけることから始めました。
それを基に現地へ行き、目星をつけたものが実際にあるか、他のものも周辺にないかを確認していきました。
お地蔵さんや記念碑はもちろん、鳥居や手水石(ちょうずいし)など、石でできたものを基本的な調査対象としました。
調査対象の基準は、将来、例えば数十年後の未来にも、そこに残っているだろうもの(ただし個人宅内や個人墓地等は、今回の調査の対象としなかった)。
調査の結果、その総数はなんと463!
どんなものがあったのかについては、ページ下部の関連リンク「石仏や石碑などの調査報告」をご覧いただくとして、「市史で候」では、どの時代のものがどれくらいあったか、に焦点をあててご紹介します。
それがこちら。
※石灯篭のように対や複数のまとまりで建立されているものは、
いずれかに年が記載されていれば他も同じ年だと判断した。
また、六地蔵は「6」、対の狛犬は「2」のように、総数を報告している。
この表をご覧になって、どのような感想を持たれたでしょうか。
「昭和や平成のものが意外に多い」と思った方もいらっしゃるのでは。
建立年が刻まれている中で一番古いものは江戸時代で、数も多く、4分の1が江戸時代のものです。
次が「昭和」で、そして3番目に多いのは、なんと「平成」のものでした。
平成30年3月の調査までの数ですから、単純計算で、平成に入ってから1年に2つ以上の石仏や石碑などが、新たに建立されていることになります。
また、一見、大正の数が少ないように見えますが、大正は15年までと短かったので、実は1年当たりの建立数にすると、明治や昭和よりも多く建立されています。
そして、明治や昭和も、単純計算すれば1年に1つ以上が新たに建立されていることになります。
もちろん、建立年が記載されていないものもあるので、一概には言えませんが。
調査の中で、分かったのは、二十九の巻「稲荷のかいだん」でご紹介した石段のように、何気なく日常の風景に溶け込んでいるものでも、実は長い歴史を経たものがあること。
そして、「石仏・石碑=古いもの」というわけではなく、今なお、新たに生み出されているということです。
どんなものも最初は、「新しいもの」でした。
それが時を経ることで、歴史を背負っていきます。
しかし、一度失われてしまえば、背負っていた歴史を知ることは難しくなってしまいます。
実際に、調査の中で、周辺の道についての情報が刻まれているにもかかわらず場所が動いてしまっているものもあることが分かりました。
現在ばかりではなく過去の情報を集める必要もあることが、今後の課題として見えてきました。
おっと、少しばかり固いお話になってしまいましたね、石だけに。
なにはともあれ、
石仏・石碑の情報、特に、昔はここにあった等ということをご存じの方は、市史編さん室まで是非ご一報ください。
市史編さん事業の途中経過をご報告するために刊行している『市史研究 きよせ』の第3号では、「石碑・石仏探訪」というコーナーを新設しました!
初回は「清瀬病院ここにありき」の碑と「野塩の庚申塔」について、市史編さん委員がご紹介しています。
『市史研究 きよせ』第3号は、市役所受付や郷土博物館で絶賛販売中!
是非、こちらもご覧ください。
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