下清戸(しもきよと)

ページ番号1002305  更新日 2020年8月30日

印刷大きな文字で印刷

下清戸ぶらり

地図:下清戸


下清戸地域は、都市近郊農業を営むまちとしての一面をもった地域で、中清戸の東隣りに位置し、新座市と境を接しています。

広さは市域の約8分の1の1.23平方キロメートルでその半分が農地で市内全農地の21%をしめています。そこに3000人以上の方々が生活しており、約390世帯余りが農業にかかわっています。特に人参は、都の野菜供給確保対策事業の出荷予定量1千トンのうちの約80%を占めており、”きよせ人参”として、その品質も高く評価されています。

またこの地域には、浄土宗の長命寺があり、明治5年清瀬で初めて公立小学校「清明学舎」が開かれたところとして有名です。

超省エネビル「大林組技術研究所本館」

この大林組の技術研究所本館(鉄筋コンクリート造り、地下1階、地上3階)は、建物の向きや配置から太陽熱利用の冷暖房システムまで98にのぼり省エネルギー手法が建物全体に施された超省エネルギービルとして有名で、国内はもちろん、世界の各方面から注目を集めています。

長命寺

日枝神社から約1キロ程行くと堂々たる山門の長命寺があります。北条早雲の家臣で川越城主であった、大道寺駿河守の甥にあたる浄土宗の名僧・感誉上人が開山した寺です。創建は天文18年(1549年)と推定されます。北条氏と同じ三鱗の定紋が使われていて、北条氏とのゆかりを今に伝えています。

八雲神社

志木街道を東に進み、下清戸の信号を過ぎてほどなく、道に面して北側にあります。コンクリートの土留めの上に建てられた覆屋の中には、全体にみごとな彫刻を施した祠があります。

文政2年(1819年江戸時代後期)の創立と伝えられています。

最近、例祭は9月初めの日曜日になり神輿も復活しました。祭神は素戔鳴尊です。下清戸村に悪疫が流行した際に、その退散を祈願して建てられたと伝えられています。

清戸(地名のおこり)

むかしは清戸のつく4か村、上清戸・中清戸・下清戸・清戸下宿の全部を総称して清戸と呼んでいました。

中清戸の日枝神社のいわれの中に、むかし日本武尊が東征の際に清瀬の地に立ち寄り、日枝神社の境内にあった柊の根元で休息をとった折、この根元を「清き土なり」といったところから「清土」とこの地を呼ぶようになり、いつしか「清戸」と書かれるようになったと言われています。

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)
このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

郷土博物館
〒204-0013
東京都清瀬市上清戸2-6-41
電話番号(直通):042-493-8585
電話番号(代表):042-493-8585
ファクス番号:042-493-8808
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。