中清戸(なかきよと)

ページ番号1002310  更新日 2020年8月30日

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中清戸ぶらり

地図:中清戸


都市近郊農業が行われており、にんじん・大根・ほうれん草など、野菜を中心とした作物が作られています。特に中清戸を1・3・5丁目と2・4丁目に南北に分ける志木街道(都道)の両側に立ち並ぶけやき並木は、例年春から夏にかけて緑のトンネルをつくり、自然の安らぎを与えてくれ、その美しさから新東京百景に選ばれています。

清戸獅子

毎年7月15日近くの日曜日に、清瀬市無形民俗文化財にも指定されている「清戸の獅子舞」が、五穀豊穣、無病息災を願い、保存会の人達によって奉納されます。

獅子頭は、北条氏の出城である「滝の城」にあったもので、落城のときに持ち出され、中清戸に伝えられたといういわれのあるものです。雄、中、雌の三獅子に神が加わり、演舞する技は訪れる人々を魅了し、毎年沢山の見物客で賑わいます。

水天宮

明治時代に村人の安産守護等を願って勧請されました。

現在の拝殿は、昭和56年に建て替えられたものです。毎月5日が、月次縁日で近郷近在から参詣者が集まります。

ひいらぎの伝説と日枝神社

ひいらぎの伝説

日枝神社の境内にひいらぎの老木があったそうです。景行天皇の御代、日本武尊が東征の折、ひいらぎの根本でお休みになって「清き土なり」といわれました。
それからこの地は「清土」とよばれ、やがて清戸と書かれるようになりました。

日枝神社

上・中・下三清戸および元町・松山・梅園・竹丘の総鎮守として、天正7年(1579年=安土桃山時代)中嶋筑後守信尚によって社祠造営がなされました。江戸時代は、山王権現と称していましたが、明治維新に際し神仏分離により、日枝神社と改められました。本殿・三猿の石燈籠一対・不動明王立像はそれぞれ清瀬市有形文化財に指定されており、また境内には樹齢410年と推定されている天然記念物のスギの巨木が茂っています。

気象衛星センター

写真:気象衛星センター

気象衛星センターは、ひまわり通り沿いに位置し、とても閑静なたたずまいです。気象衛星ひまわりから送信されてきたデータを解析し、NHKの天気予報などでおなじみの雲の画像を作り出したり、気象庁の予報データを作成しています。また、作り出した写真を再びひまわりに送信し、世界150局以上の受信所に画像を送り出しています。

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