野塩(のしお)
野塩ぶらり
西武池袋線の秋津駅を表玄関とする野塩は、市内を流れる空堀川と柳瀬川の最上流部にあたり、東村山市・所沢市と境を接しています。
住宅地としては柳瀬川沿いの田園地帯に都営野塩団地があり、この団地は昭和38年に建設されました。
その他、このあたりは野塩西原遺跡や野塩前原遺跡などがあり、縄文時代から平安時代にかけての住居跡や土器が出土したことから、かつての居住地域であったことがうかがわれます。
円福寺
円福寺は、寛永年間に創建されたと伝えられ、境内の薬師堂に安置されている十二神将立像、薬師如来座像、日光、月光菩薩立像はそれぞれ清瀬市の有形文化財に指定されています。
この薬師堂は、江戸時代の初めから元禄時代まで、旧野塩村を所領していた旗本匂坂(さきさか)氏と定紋が同じことから、匂坂氏が創建したものと言われています。この薬師さまは江戸時代から厚い信仰を得、現在も薬師講が続いています。
びわかけの松
円福寺境内にあった一本の老松にまつわる伝説です。野塩の薬師堂の前に一本の松があったそうです。
昔ある琵琶法師(目の不自由な人でした)が薬師堂にこもり、熱心に祈願したところ、満願の日に目が開いたので、持ってきた琵琶を松にかけたまま立ち去りました。人々は薬師さまの霊験をたたえて、その松を「びわかけの松」といい伝えました。
梅坂と梅坂橋
この空堀川には悲しい伝説が伝えられています。第四中学校の脇の急な坂道を梅坂といい、坂を下りきったところに流れる空堀川に架かる橋を梅坂橋と呼んでいますが、その昔、お梅さんという娘が気のすすまぬお嫁入りのときに、この橋から身を投げて死んでしまったという話があり、それ以来土地の人々は、お嫁入りはもちろんのこと、婚礼に関する相談ごとで出かけるときは、どんな遠回りしても梅坂と梅坂橋を通らなくなったのだそうです。
野塩(地名のおこり)
むかし村人が土を掘っていると塩がたくさん掘り出されました。調べてみたら山から出てくる岩塩と違って、海でつくられた塩でした。村人たちは、きっとこの地に住んでいた人達が貯蔵していたのではないかと考えました。野から塩が出たというのでこの地を「野塩」と呼ぶようになったと語り伝えられました。
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