市史編さん草子「市史で候」 三十四の巻 「鳥瞰清瀬 第4回 桜を語ると思いきや」

ページ番号1001960  更新日 2020年9月28日

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市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」 市史爺(ししじい) 清瀬市は、昭和45(1970)年10月1日誕生。市制施行50周年を視野に入れ、現在、清瀬の歴史をまとめる事業を展開中です。当ブログでは事業の経過報告のほか、清瀬の歴史や文化、自然を楽しくご紹介しています。

三十四の巻:「鳥瞰清瀬 第4回 桜を語ると思いきや」【平成29年2月27日更新】

未だ寒さは続きながらも梅の花が咲き、春がもうすぐそこまで来ているのを感じる今日この頃。
2年前の「市史で候」十一の巻では、清瀬の春を代表する柳瀬川沿いの桜並木がいつ、どのようにできたのかをご紹介しました。

ではあらためて、柳瀬川沿いの桜並木が出来た頃と、現在の様子とを空から見比べてみましょう。

写真:昭和50年の柳瀬川沿いの空中写真
昭和50年
写真:平成19年の柳瀬川沿いの空中写真
平成19年
写真:平成19年の空中写真に県境を記した写真
赤い点線は都と県のおおよその境
線より下が清瀬市

上の空中写真が、桜が植えられて間もない昭和50(1975)年
季節が11月ということもありますが、まだまだ桜は成長しておらず、ひらけた川沿いになっています。
不規則に並ぶ長方形は台田団地です。

下の空中写真は、平成19(2007)年の4月の様子。
4月の終わりに撮られたため、残念ながら葉桜ですが、空中写真からもその茂り具合が伺えます。

ところで、この二つの空中写真の間に大きく変わったところがあると思いませんか?
それは桜並木と川を挟んだ反対側。
先の写真の左半分にご注目

そう、平成になってからの写真には大きな池が二つ、黒っぽい水面を見せていますが、昭和50年の写真には影も形もありません。

この二つの池は、皆さんもご存知、金山緑地公園の池と、金山調節池です。
では、この二つはいつできたのでしょうか?

金山緑地公園がオープンしたのは、昭和61(1986)年。
1万8千平方メートルの広さに「武蔵野の風と光」をテーマとして造られました。
住宅都市にふさわしい優れた企画・設計等がほどこされた公園として、昭和63(1988)年には日本公園緑地協会が主催する第4回都市公園等コンクールで「建設事務次官賞」を受賞しています。

一方、金山調節池は昭和を過ぎて、平成6(1994)年に完成。
金山調節池は河川改修工事の一環として、洪水対策を目的として造られました。
柳瀬川と調節池の間は一部が低くなった護岸で仕切られ、柳瀬川が増水すると自然に水が調節池に入るようになっています。
しかし洪水対策のためだけではなく、平時にも役立つよう、池には小さな島があり、島や池の周りには様々な樹木が植えられており、擬木(ぎぼく)で作られた通路は絶好の散歩道となっています。

写真:清瀬金山緑地公園

写真:金山調節池




使用した空中写真について

使用した空中写真は国土地理院のホームページで公開されているものに、サイズ・明るさ・角度調整などの加工を行なったものです。
整理番号は昭和50年が「CKT7415-C19A-8」、平成19年が「CKT20071-C31-42」


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昭和59年12月1日号・昭和61年5月1日号・昭和63年11月1日号・平成6年6月1日号


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