市史編さん草子「市史で候」 三十の巻(1) 「下宿囃子 成り立ちから今日まで」
三十の巻之一「下宿囃子~成り立ちから今日まで」【平成28年9月29日更新】
きよせ市民まつりでもおなじみ「下宿囃子(したじゅくばやし)」。
にぎやかなお囃子にのせて、お面をつけた踊りが披露されているのをご覧になった方も多いことでしょう。
ところで、踊りにはどんな登場人物がいたか覚えていらっしゃいますか?
最初の写真から、
オカメ、ヒョットコ、キツネ!
そのお隣は?
…うーん、山男? 豪傑?
これは、山にひとりで住んでいる力持ちのゲドウ(外道)といいます。
それから、獅子!
そして、踊りを支えているのはお囃子の鳴り物たち。
大太鼓、小太鼓、笛、カネ(鉦)、拍子木という編成です。
奏でる曲は、
静かな「カマクラ(鎌倉)」
少しにぎやかな「シチョウメ(仕丁目)」
とてもにぎやかな「ニンバ(仁羽)」
の3つ。
下宿囃子はこれらのお囃子と踊りによる通例25~30分の上演で、およその構成が決まっています。
まず、獅子が場を清め、次にゲドウが力自慢をし、最後にオカメやヒョットコのお面をつけた村人が出てきて、にぎやかに踊ります。
お話の紹介は次回ゆっくりするとして、まずは下宿囃子の成り立ちから今に至るまでをお話しましょう。
「下宿囃子」は下宿の祭囃子で、江戸は神田の流れをくんでいます。
時は明治のはじめ。世の中が大きく変わり世相が乱れていたとき、村の大人は思案しました。
若者たちがなんとかおちついてくれないものか、何か一生懸命になれるものはないだろうか。何が良いだろうか。
この話をききつけたのは、下宿のとある家に逗留(とうりゅう)して近隣に飴を売り歩いていた浅草の飴屋。
祭囃子をやってはどうだろう。
それは、良い。
飴屋は神田の流れをくむお囃子のたしなみがあるというので、村の人が教えてもらったのが下宿囃子の始まりです。
以来、春と秋の下宿八幡神社の祭礼に奉納されるなどして今に続いています。
もともとの担い手は下宿の男性だけでしたが、昭和52(1977)年に清瀬市の無形文化財に指定されたのを機に、下宿以外の人や女性にも参加をよびかけたところ、担い手の幅が広がりました。
また、平成17(2005)年に清瀬市児童センター「ころぽっくる」ができたとき、開館記念に子供が出演する下宿囃子を上演してほしいという当時の星野繁市長からの要請を受け、子どもの参加が始まりました。
さらに清明小学校では、平成24(2012)年にユネスコスクールに認定されてから、4年生の総合学習の授業で下宿囃子を地域の伝統文化として学ぶようになりました。学習の成果は毎年1月の公開授業で披露されます。やってみたら楽しくて学校の授業だけでは物足りない!という子は、八幡神社でけいこを重ね、4月の春の祭礼までにはすっかり上達して地域の大人と一緒にお囃子を奉納しています。

案内役
若い担い手がつながっていくのは頼もしいことですね。
お面のいくつかは、使い込まれた古い桐のお面です。
新しい担い手が時代を経たお面をつけて踊る下宿囃子。
もともとは狭い山車の上での少人数の踊りだったものが、ホールでの上演など舞台が広がるに伴ってスケールも大きく参加人数も大勢でより華やかな踊りになりました。お話の筋も、上演時間などに応じて台本を用意します。そこには、下宿囃子保存会の皆さんの創意工夫があります。
世代をつないで地域に息づくお囃子の音は、あたたかく響いています。



上演の写真は平成26年下宿八幡神社秋の祭礼で撮影したもの
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