市史編さん草子「市史で候」 二十六の巻 「鳥瞰清瀬 第1回 旭が丘団地」

ページ番号1001969  更新日 2020年9月28日

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市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」 市史爺(ししじい) 清瀬市は、昭和45(1970)年10月1日誕生。市制施行50周年を視野に入れ、現在、清瀬の歴史をまとめる事業を展開中です。当ブログでは事業の経過報告のほか、清瀬の歴史や文化、自然を楽しくご紹介しています。

二十六の巻:「鳥瞰清瀬 第1回 旭が丘団地」【平成28年5月31日更新】

地図:旭が丘団地

今、清瀬の団地が熱い!!

5月21日から公開された映画「海よりもまだ深く」。
清瀬の旭が丘団地で育った是枝監督が、旭が丘団地で撮影

その撮影風景をご覧になったり、噂に聞いたという方も多いのでは。
或いは、すでに映画自体をご覧になったでしょうか。

今回は、監督が育ち、映画を生んだ「旭が丘団地」、更にその空からの風景に焦点を当てました。
題して「鳥瞰清瀬」!

旭が丘団地は清瀬の北部、新座市との境に沿って建っています。
地図の☆の辺りです。


平成25(2013)年2月に空から見た写真がこちらです。

写真:平成25年の旭が丘団地周辺の空中写真

写真の中央から右にかけて同じ形の建物がずらりと並んでいるのが、今回のテーマ「旭が丘団地」。
団地は関越自動車道を挟んで東西に広がっています。
左に写っているのは台田団地です。
写真の左上には武蔵野線も写っています。

では、団地ができる前はどんな様子だったのでしょう?

写真:昭和30年の旭が丘団地周辺の空中写真


それがこちら。
1枚目とほぼ同じ場所の昭和30(1955)年の写真です。
畑と雑木林が広がっています。
左下から右上へ抜けているはっきりとした白い線が、柳瀬川通りです。

続いて、こちら。

写真:昭和41年の旭が丘団地周辺の空中写真


昭和41(1966)年、団地の入居が始まる前の年の写真です。
団地が建設される場所が整地され、畑も雑木林も無くなっています。
ハシゴのように整地されているのは、関越自動車道が通る場所。

そして、団地が建った後がこの写真です。

写真:昭和43年の旭が丘団地周辺の空中写真


写真:昭和43年の旭が丘団地周辺の空中写真に五小・三中の位置を示した写真

昭和43(1968)年。
団地の中央のすぐ北には、第五小学校(現在の清明小学校)が、写真左下には第三中学校が写っています(右は印をつけた写真)。
いずれも旭が丘団地の入居にあわせてできた学校です。

最初の写真と大分近くなりましたが、旭が丘団地の方がお兄さんなので、台田団地はまだありませんし、武蔵野線も通っていなければ、関越自動車道も完成していません。
旭が丘団地右下の、新座市の商店街や住宅街も、今まさに整備が進められている真っ最中です。

周囲は更に開発され、道も整備され、今の姿に変わっていきます。
今回は、そんな時の移ろいを鳥の眼で眺めてみました。
 


使用した空中写真について

使用した写真は全て国土地理院のホームページで公開されているものを、サイズ・明るさ調整などの加工を行なったものです。
整理番号は上から順に「CKT20127-C19-5」、「USA-M1194-101」、「MKT666X-C2-5」、「MKT684X-C2-16」


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