第2回 開業時の駅になる予定だった清瀬駅(令和5年10月1日号)
前回のコラムでは、清瀬駅は武蔵野鉄道の開業時の駅の1つになる予定であったことを紹介しました。今回はその経緯を紹介していきたいと思います。
まず、清瀬駅の名称が記載された最初のころの資料として、大正2年5月に作成された武蔵野鉄道池袋駅~飯能駅の計画路線図があげられます。そのなかに「清瀬停車場(清瀬駅)」の予定地が示されており、現在の中央公園付近になっています。このことからすでに清瀬駅を作る計画があったことがわかります。
その後、しばらく清瀬駅の名称は資料のなかに見えませんが、大正4年3月の資料である「武蔵野鉄道停車場新設並位置名称変更ノ件」に再び清瀬駅の名称が出てきます。これには、清瀬駅は現在の秋津駅付近へ移動するとともに「地元民ノ反対」があると記されています。具体的な理由は不明ですが、清瀬駅の移動に際して住民の反対があったようです。この住民の反対は開業直前まで続いていたようで、4月10日「池袋、飯能間路線敷設工事竣工監査報告」に、清瀬駅部分は「未着手」とあり、清瀬駅の設置は武蔵野鉄道線の開業には間に合いませんでした。もし、開業に間に合えば、清瀬駅が大正6年開業の秋津駅よりも古い駅になるはずでした。
その後、大正13年に清瀬駅はいよいよ開業することになります。次回は、清瀬駅の開業のころの様子を紹介します。
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