第7回 人道橋、清瀬駅南口誕生(令和6年4月1日号)

ページ番号1013687  更新日 2024年4月8日

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画像:昭和45年ごろ(北口)
昭和45年ごろ(北口)

 昭和28年に2代目清瀬駅が誕生した後、病院への見舞客や都心への通勤客の増加に伴い、1日の乗降客数が昭和30年に13,900人、昭和35年に12,856人と昭和25年よりも増加しました。さらに、昭和42年には旭が丘団地が誕生、団地への入居が始まったことで、更に人口が増加しました。
 そのため、昭和30年代後半は駅周辺の整備および団地までの交通網の整備が重要な課題となっていました。そこで、当時は農地で現在のような商業施設などが存在してなかった現在の南口付近を整備し、新しい出入口である南口を作ることが最も有効な解決方法として考えられていました。
 昭和41年には、清瀬駅周辺整備委員会の協議によって清瀬駅南口周辺の整備計画が出されました。そこには南口に新しい道路、駅前広場の新設、そしてバスターミナルを設置することが記されていました。
 それらを踏まえて、昭和42年11月に南口が誕生しました。この南口には北口と繋がる人道橋が建築されたことにより、駅の利用者は人道橋を通って駅の改札口へ向かうことになりました。また、新しくできた南口は、現在の商店がある訳でもなく道路とバスターミナルと畑地が広がっていました。しかし、この後に南口付近は急激に発達し、昭和40年後半には現在の商店街が広がる光景が出来上がりました。

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