第4回 清瀬駅周辺の大規模分譲地開発(令和6年1月1日号)

ページ番号1013346  更新日 2024年1月10日

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画像:清瀬駅周辺の清瀬経営地(中央区画部分)(『郷土概観』より転載)
清瀬駅周辺の清瀬経営地(中央区画部分)(『郷土概観』より転載)

 第一次世界大戦による国内の好景気によって都心部に人口が集中し、さらには大正12年に起こった関東大震災の影響により、都心部の住宅地事情が大きく変わったことから、東京近郊に住宅地を建築する動きが活発になりました。武蔵野鉄道沿線でも、昭和初期にかけて練馬区大泉学園都市の宅地開発がおこなわれています。
 実は清瀬にも、大正13年頃に清瀬駅の南西部分の土地で、東京土地住宅株式会社による宅地開発が行われていました。この宅地開発は、現在の松山二・三丁目、梅園一丁目、そして元町二丁目の一部で行われ、通称「清瀬経営地」の名前がついていました。
 この経営地は、当時雑木林であった土地を造成し、12万坪の住宅地の販売を開始しました。最終的には14万坪の住宅地が配置されています。
 当時の経営地の図面を見ると、駅の近くに商業施設が存在し、数多くの方形の区画割のなかに住宅を配置することが想定されていました。しかし、実際にどの程度、住宅が売買されたか、その実態は確認できていません。ただし、当時の清瀬駅周辺の地図にも区画が記載されていることから、実際に宅地開発が行われていたことは間違いないようです。この会社の区画は、その後の清瀬駅周辺の都市計画に大きく影響を与えており、その痕跡は現在も地図や住宅の配置などから見ることができます。

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