第8回 3代目清瀬駅誕生、橋上駅へ(令和6年5月1日号)
昭和42(1967)年に清瀬駅に南口が開設された後、昭和45(1970)年に清瀬町が清瀬市になりました。市内には旭が丘団地に加えて、台田団地が誕生し、人口が増加しました。
そのため、駅付近の混雑が顕著になりました。南口が開設された当初、駅周辺の交通量及び利用者の大幅な混雑緩和が期待されましたが、清瀬駅の改札口は北口のため、混雑の根本的な解消にはなりませんでした。当時の写真には、人道橋を通って改札口へ向かう通勤客の様子や、改札口からホームへ向かう通勤客の様子が数多く撮影されています。それほど、当時の清瀬駅では混雑が毎日見られていたことになります。
このことから清瀬駅の混雑緩和を目的に橋上駅計画が進み、昭和46(1971)年1月に橋上駅になりました。ここに3代目清瀬駅が誕生しました。
この3代目清瀬駅は、人道橋を生かした状態で駅舎を建造されたといわれています。また、ホームも島式ホーム1面2線でしたが、橋上駅により島式ホーム2面4線の構造に変化しました。
この橋上駅が完成した結果、今度は駅周辺の整備が必要になり、開業以来、大きな変化のない北口周辺一帯の再開発への機運が高まりました。
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