市史編さん草子「市史で候」 五の巻(3) 「病院街の歴史紹介シリーズ第3回 文学編」
五の巻之三「病院街の歴史紹介シリーズ第3回 文学編」【平成26年9月11日更新分】
病院街の歴史紹介シリーズ第1回、第2回では、昭和39(1964)年の病院マップをもとに、清瀬の病院街の変遷についてご紹介しました。
今回は、「文学編」と題して、清瀬と結核ゆかりの文学作品などについてご紹介したいと思います。
清瀬の病院街では、数多くの方が療養生活を送りましたが、そのなかには現代俳句を代表する俳人や、小説家もいました。
石田波郷、福永武彦、吉行淳之介らがそうです。
舞台は昭和20年代の病院街。
彼らが入院していたのは「国立東京病院」(正式名「国立療養所東京病院」)に統合される前の二つの病院です。
「国立東京療養所」(以後、<東京療養所>と表記)と、「国立療養所清瀬病院」(以後、<清瀬病院>と表記)。
マップにある「国立東京病院東療病棟」が<東京療養所>、「国立東京病院清瀬病棟」が<清瀬病院>でした。
統合後もそれぞれの病棟で医療行為が続いていた時代があって、マップの病棟名はその反映です。
(詳しくはシリーズ第1回をごらんください。)
俳人の石田波郷(はきょう)は、<東京療養所>に入院していました。
療養の日々、句を詠み、入院中にまとめたのが、句集『惜命(しゃくみょう)』です。
昭和25(1950)年に銀座の作品社から出された初版本は、14センチ四方ほどの枡型、茶色い表紙のしゃれた装幀です。
波郷は、江東区砂町に妻子を置いての入院でした。
3回の手術で肋骨を切除し、合成樹脂球を埋め込み、療養所の四季の移ろいに目をむけつつ、生と死を見つめて療養に努めました。
波郷にはまた、『清瀬村』という随筆集もあります。
こちらには、句をおりまぜながら療養中のことが細やかに記されています。
入院していた6人部屋「東京療養所南七寮六番室」の日々、療養所や周辺の自然、外泊許可を得て砂町に帰るときに目にした清瀬や池袋の様子もうかがえて、読むうちに昭和20年代の映像が浮かびあがってくるかのようです。
清瀬では、波郷を偲び、「石田波郷俳句大会」が平成21(2009)年から毎年開かれています。
句碑は<清瀬病院>跡地の中央公園にあるのですが、波郷が入院していたのは<東京療養所>でした。
作家の福永武彦も<東京療養所>で療養生活を送りました。
小説「草の花」は、「東京郊外K村」のサナトリウムが舞台となって始まります。
「寿康館」と呼ばれる講堂があるK村のサナトリウム!
それはまさしく清瀬村の<東京療養所>。
物語は入院中の「私」によって語られます。
療養所の日常、同室の「汐見茂思」ら患者の人間模様。
作者の入院生活の日々が反映されていると推測されます。
話が飛ぶようですが、ゴジラのハリウッド版が話題ですね。
ゴジラ、ラドンと並ぶモスラを覚えていらっしゃいますか?
映画『モスラ』の原作を書いたのは、福永武彦、中村真一郎、堀田善衛の3人でした。
(「発光妖精とモスラ」)
主人公の新聞記者「福田善一郎」の名前には、原作者3人の名前が見えます。
一方、<清瀬病院>で手術を受け、療養生活を送ったのが、作家の吉行淳之介です。
昭和29(1954)年、「驟雨(しゅうう)」で芥川賞を受賞したのは、<清瀬病院>入院中のことでした。
伝えに来た看護婦は、さて、なんと言ったでしょう?
『私の文学放浪』にありますので、ぜひ読んでみてください。
名だたる俳人や小説家も、清瀬でひととき過ごし、竹丘の空を、梅園の雑木林を見上げていたのですね。
清瀬で療養生活を送った作家ではありませんが、幸田文にも結核をテーマにした作品があります。
「おとうと」という小説では、結核になった弟「碧郎」を世話する姉の「げん」を描いています。
闘病の様子や、家族の姿など、当時の結核療養の様相がうかがわれます。
幸田文は、また、「闘(とう)」という作品でも結核を描きました。
舞台は療養所です。
このあたりで清瀬とのつながりが出てきます。
清瀬の結核研究所元所長、青木正和医師の『結核の歴史』をひもといてみましょう。
青木元所長は「義母」幸田文の「闘」にふれて、結核所付属療養所を何回か訪れて取材していたことを紹介。
作品には昭和35(1960)年ごろの療養所の患者の生活や心理、向きあう医師や看護婦の姿が描かれているとしています。
結核は若い人に多い病気でした。
文学作品のなかには結核の主人公をめぐる若者の物語も見うけられます。
たとえば「椿姫」「風立ちぬ」などなど。
すらりとした色白の美人、美男が登場するロマンチシズムは、洋の東西を問わないようです。
実際の療養生活はつらく、厳しいものだったといいます。
それなのに、なぜ、ともすると物語のなかで結核は美化されてしまうのでしょうか。
身近な病気でありながら、富裕層も、インテリも、突然、結核になる。
当時、結核といえば不治の病。
病状が改善したかと思うとまた急に悪化して若い男女が、1,2年で死んでいく。
始まりも、展開も、あまりに劇的。
悲劇のヒロインと涙する青年といった設定を生みやすい要素があったのかもしれません。
美化された物語を読むことで、いくらか癒される心理もあったでしょうか。
実際の結核患者にも、やせ形の、几帳面でまじめな人が多かったとか。
子規も、賢治も、一葉も、太宰も、カフカも、ブロンテ姉妹も、文学からは離れますがショパンも結核でした。阿久悠も。
あなたはどう分析しますか。
文中に出ている次の作品は、市内の図書館にあります
石田波郷作品
- 『惜命』(『石田波郷全集 俳句2』) 中央:清瀬の作家コーナー、駅前:石田波郷コーナー
- 『清瀬村』 中央:清瀬市の作家コーナー
福永武彦作品
- 『草の花』 駅前:(大活字版は中央図書館)
- 『発光妖精とモスラ』(共著) 中央:書庫
吉行淳之介作品
- 「驟雨」(『原色の街・驟雨』に収録) 中央:清瀬市の作家コーナー
- 『私の文学放浪』 中央:開架
幸田文作品
- 「おとうと」(『幸田文全集 第7巻』) 中央:書庫
- 「闘」(『幸田文全集 第16巻』) 中央:書庫
- 「闘」(『新潮日本文学38 幸田文集』) 下宿:開架 ほか
その他
「風立ちぬ」は、文庫版、大活字版から全集まで、何らかの形で市内の各図書館で読むことができます。
デュマの『椿姫』は、中央、野塩、竹丘の各図書館にあります。
グレタ・ガルボとロバート・テーラーの映画『椿姫』DVDも駅前図書館にあります。
図書館の資料は、リクエストすれば他館の資料も最寄りの図書館で受け取ることができます。
「清瀬村」「驟雨」「私の文学放浪」「闘」は、作品名で蔵書検索すると、上記以外にも全集に含まれたもの等が見つかります。
『結核の歴史』は、市内には蔵書がないのですが、図書館にリクエストすると都立図書館からの貸し出しを市内図書館で受け取って読むことができます。
病院街の歴史に思いを馳せながら、読書の秋に向けて、どれか1冊読んでみませんか?
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