市史編さん草子「市史で候」 五の巻(5) 「「安眠ゾーン」が見てきたもの」

ページ番号1001992  更新日 2020年8月30日

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市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」 市史爺(ししじい) 清瀬市は、昭和45(1970)年10月1日誕生。市制施行50周年を視野に入れ、現在、清瀬の歴史をまとめる事業を展開中です。当ブログでは事業の経過報告のほか、清瀬の歴史や文化、自然を楽しくご紹介しています。

五の巻之五 「病院街の歴史紹介シリーズ第5回「安眠ゾーン」が見てきたもの」【平成26年12月24日更新分】

「安眠ゾーン」って何のことかわかりますか?
え? 枕の話?
いえいえ。道路の話です。

つい今年、平成26(2014)年の8月まで、「安眠ゾーン」の入り口、梅園駐在所前の交差点に、夜間自動車通行禁止の標識が立っていました。
21時から6時まで車両通行禁止(路線バス、原付を除く)。
標識が掲げられたのは、昭和47(1972)年7月のこと。
清瀬の病院街は、全国に先駆けて「安眠ゾーン」が指定された地域でした。

指定ゾーンを示す市報の記事を見てみましょう。
「市報きよせ」昭和47(1972)年7月15日号の1面に掲載された記事です。

写真:安眠ゾーン市報記事

松山、梅園、竹丘地域は、ご存じの通り、結核療養所として始まった病院が建ち並ぶ一帯。
一方、清瀬で最初に信号ができたのが昭和41(1966)年のことで、自動車の増加とともに、排気ガスによる公害や騒音、事故への注意が呼び掛けられ始めていました。

昭和47(1972)年の市報には、「月に一日 車のない生活を考えよう」という「ノーカーデー」呼びかけの記事。毎月第3日曜日、車のない生活を考えて、交通事故や排気ガスの公害をなくそうという運動です。
交通安全のため全国で「スクールゾーン」の設定が始まったのもこの年でした。

安全、安心な市民生活と自動車利用との上手な兼ね合いを考えるなかで、都から騒音規制法にもとづく特別地域(昼間45ホン、夜間35ホン以下)に指定されていた病院街で、夜間の車両通行を禁止する「安眠ゾーン」が指定されたのは、もっともなことだったといえるでしょう。

それでは、当時の病院街の様子を見てみましょう。
この写真、どこだか、わかりますか?

写真:結研付属療養所木造病棟

右上に清瀬第三小学校、病棟の奥、写真の上に清瀬第七小学校、左上に昭和48(1973)年開校の都立清瀬高校が見えます。中央に写っているのは緑に囲まれた結核研究所付属療養所(現・複十字病院)の旧病棟です。

病院街も変化の時代を迎えます。
木造の療養病棟は次第に鉄筋病棟に姿を変え、昭和37(1962)年の国立療養所東京病院統合以降、それぞれの結核療養施設は一般病院へ、新たな道を歩み始めます。
写真の木造病棟も、ほどなく鉄筋病棟にかわっていきます。
病院街も、療養所や病院ばかりの一角ではなくなり、一般住宅の数も増えました。

自動車の排気ガス制御や静音性の性能も進化、「安眠ゾーン」は役割を終え、病院街の変化を見届けて平成26(2014)年2月12日規制廃止。梅園駐在所前交差点の規制標識も、その後撤去されました。

冬の一日、病院街を歩いて「安眠ゾーン」が見てきたものに思いを馳せてみませんか?
長く病院街を見てきた松山緑地保全地区の大きな樹が、何か教えてくれるかもしれません。

  • 写真は結核予防会提供。許可を得て掲載しています。
  • *各病院の周年誌、警察白書等の資料を参考にしました。
  • *「安眠ゾーン」の市報記事は、市報きよせ縮刷版第1巻に載っています。中央、駅前、下宿、野塩、竹丘の各図書館でご覧いただけます。

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