市史編さん草子「市史で候」 十八の巻 「町名変更の歴史」

ページ番号1001978  更新日 2020年9月28日

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市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」 市史爺(ししじい) 清瀬市は、昭和45(1970)年10月1日誕生。市制施行50周年を視野に入れ、現在、清瀬の歴史をまとめる事業を展開中です。当ブログでは事業の経過報告のほか、清瀬の歴史や文化、自然を楽しくご紹介しています。

十八の巻 「町名変更の歴史」【平成27年9月28日更新】

今回は、清瀬の地名についてお話しましょう。

明治22(1889)年、村になった清瀬は、清戸下宿、中里、下清戸、中清戸、上清戸、野塩の6つの村と下里村飛地から成っていました(『清瀬市史』 昭和48(1973)年刊)。
これらの村を示す大字(おおあざ)の下に、70を超える小字(こあざ)がありました。

例えば、現在の市役所の所在地は、「中清戸本郷道東842」と表されていました。
「中清戸」が大字、「本郷道東」が小字です。

それが今のような住居表示に変わったのは、いつごろのことだったのでしょうか。
町名変更の歴史を振り返ってみましょう。
 

写真:「町報きよせ」に掲載された「芝山地区の町名と丁目がきまる」の記事
 「町報きよせ」昭和39年2月15日号より

清瀬の「区域及び名称の変更」いわゆる町名変更は、町の時代に議会にかけられ、昭和39(1964)年から昭和45(1970)年までの間に4回にわたって行われました。


最初の町名変更は、前回東京オリンピックの年、昭和39(1964)年のこと。4月1日施行
線路の南側の区域で、新しい地名「松山」「竹丘」「梅園」が誕生しました。

昭和6年の府立清瀬病院開設を皮切りに結核療養所が数多く立ち並んだこの地域は、もともとは雑木林が広がっていた一帯で「芝山地区」と呼ばれており、地名も上清戸芝山野塩境、中清戸芝山、下清戸芝山といった小字名が「いりみだれて」いました。

上清戸、中清戸、下清戸の地名は、現在と同じ場所も指していました。
同じ地名が、線路の北側にも南側にもあるのはまぎらわしい。
地番もわかりにくく、人を訪ねていくにも住所を探し出すのがたいへん。
郵便物や電報の誤配の心配もある。

こうした問題を解決するためにも整理しよう、という動議が町議会に出されたのが昭和35(1960)年。

翌昭和36(1961)年には「呼称地番整理委員会」(翌年には「住居表示審議会」)ができ、検討を重ねました。

全国的にも、昭和37(1962)年に住居表示法が施行され、モデル都市で住居表示の実験が行われていた時期でもありました。
清瀬の町名変更は、こうした動きを見つつ準備が進められ、昭和39(1964)年、まず芝山地区で実施されます。

道路と線路を境としてすっきりと区切られた松山、竹丘、梅園の地域は、町名、住居表示も新たに、町制施行10周年のこの年、新しい歩みを始めたのでした。


写真:「町報きよせ」に掲載された「上清戸地区の住居表示を整理」の記事
 「町報きよせ」昭和40年10月15日号より


次の町名変更は、翌昭和40(1965)年11月1日施行

清瀬駅北側の区域について行われ、もともとの上清戸と、中清戸、下清戸、中里野火止の一部を含む清瀬駅北側の一帯が「元町」「上清戸」に整理されました。

「元町」は、このとき誕生した新しい町名です。

区域と町名の変更にあたって、住居表示審議会は、地元とも話し合いました。
そして、古くからの地名を残したいという声を受けての「上清戸」と、新しい名前としての「元町」の、それぞれ一丁目、二丁目が誕生しました。



写真:「町報きよせ」に掲載された「下宿地区の半分住所表示を整理」の記事
 「町報きよせ」昭和42年7月15日号より

3回目の町名変更で、昭和42(1967)年、団地の名前にもなっている「旭が丘」という町名が誕生します。
施行は9月1日でした。

清戸下宿地区のうちの約半分、柳瀬川通りの南東側、台田原、岡、屼(ハケ)、松原、清水と呼ばれていた地域が、旭が丘一丁目~六丁目となります。
(台田原に隣接する下清戸下宿前の一部も、このとき旭が丘となりました。)

旭が丘のうち、新しくできた団地のある二丁目と五丁目は、住居表示整理対象区域となり、住所は、例えば「旭が丘二丁目○番○号」のように表されることになりました。
一方、団地にあたらない一丁目、三丁目、六丁目では、もともとの地番が生かされる形で「旭が丘一丁目○○○番地」のようになりました。


写真:野塩・中里地区など町名、区域を変更
町報きよせ昭和45年4月15日号より

4回目の町名変更は、それまでの3回に該当しなかった区域について行われました。
昭和45(1970)年7月1日施行

このとき、「清戸下宿」「下宿」に変更、「野火止」は中里と統合されます。
中清戸、下清戸、中里、下宿、野塩については、名前と番地はそれまでどおりにして、丁目を使うことになりました。

ところがその中には一部、地番によって旧大字とは異なる町名になった区画もあります。
例えば、中清戸本郷道東の836の1から846の6までは、中清戸ではなく中里五丁目になりました。

役所の所在地が「中里五丁目842番地」と表記されるのはこのときからです。


こうして清瀬の全域で新しい町名と住居表示が整い、この年、昭和45(1970)年10月1日、清瀬は市制施行の日を迎えたのでした。



イラスト:市史爺

小字の名前については、読み方も含め、詳細を調査中です。
情報がまとまりましたら、改めて「市史で候」で取り上げたいと思っています。


「町報きよせ」の 町名変更に関連する記事は下記のとおりです

  • 昭和35年:5月1日号、9月1日号
  • 昭和36年:4月25日号、6月15日号
  • 昭和37年:7月15日号
  • 昭和38年:4月15日号、6月15日号、7月15日号、9月15日号、12月15日号
  • 昭和39年:1月1日号、2月15日号、9月15日号、12月8日号(住居表示特集号)、12月15日号
  • 昭和40年:2月15日号、3月15日号、10月15日号
  • 昭和41年:1月1日号
  • 昭和42年:4月15日号、7月15日号
  • 昭和43年:10月15日号
  • 昭和45年:4月15日号

すべて『市報きよせ縮刷版』の第1巻に納められています。市内各図書館でご覧いただけます。


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