市史編さん草子「市史で候」 十四の巻 「地名の由来あれこれ」

ページ番号1001982  更新日 2020年9月28日

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市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」 市史爺(ししじい) 清瀬市は、昭和45(1970)年10月1日誕生。市制施行50周年を視野に入れ、現在、清瀬の歴史をまとめる事業を展開中です。当ブログでは事業の経過報告のほか、清瀬の歴史や文化、自然を楽しくご紹介しています。

十四の巻「地名の由来あれこれ」【平成27年5月29日】

清瀬市内の地名の由来を皆さんはご存じでしょうか?
市役所のホームページに掲載されているものをご紹介してみましょう。

まずは、下宿にあった「舞台」という地名。
昔、下宿のあたりにあった大きな沼に大蛇が住んでいました。
その大蛇を退治するため、沼の周辺の小高いところに舞台を作り、踊りを踊って蛇を誘いだしたのです。
大蛇は弓矢によって頭をもぎとられ、舞台をつくったところを「舞台」と呼ぶようになったそうです。

舞台の民話は以下のページをご覧ください。

写真:現在の梅坂橋

野塩にある「梅坂橋」。
この名前は、お梅さんという娘さんが、嫁入りを嫌がって身を投げて死んでしまったことからつけられたといわれています。
そのため、土地の人はお嫁入りや婚礼に関わることでは、「梅坂橋」を避けるようになったそうです。

梅坂橋の民話は以下のページをご覧ください。


「清瀬」という地名はどうでしょう。

これは以前にもご紹介したことがあります。
一説によると、「清戸」の「清」と、柳瀬川の「瀬」を合わせて「清瀬」となったそうです。
では「清戸」はどこから来たかというと、これは「舞台」や「梅坂橋」のように伝説から生まれた地名です。

清き土なり

伝説の主役は、『古事記』や『日本書紀』で活躍するヤマトタケル。
『古事記』によれば、ヤマトタケルは景行天皇の息子でしたが、父親に疎まれ天皇に従わない者たちの征伐をさせられます。
最初は西へ。
女装してクマソタケルを討ち、相手に木刀を使わせることでイズモタケルを討ち、手柄をたてて帰っても父親には愛されません。
西の次は東へと征伐に向かいます。
そして東でも戦い続け多くの敵や神を服従させますが、最後には力尽き、白鳥となって空の彼方へ飛び去っていきました。

そんなヤマトタケルは、東国への遠征中、今の日枝神社の境内にあたる場所に生えていたヒイラギの根元で休み「清き土なり」といったそうです。
そこから「清土」と呼ばれるようになり、やがて字が変化して「清戸」となったのです。


イラスト:火

各地に伝説を残したヤマトタケルは、清瀬の他にもいろいろな地名の由来となっています。

例えば静岡県の「焼津」。

敵に野原で火をかけられたヤマトタケルは、剣で草をなぎ払ってこちらからも火をかけ火の勢いを押し返し、危機を脱して敵を討ちます。
その火をかけた場所を「焼津」と呼ぶようになったそうです。


イラスト:涙する市史爺

梅坂橋」のように悲しい伝説からの地名もあります。

ヤマトタケルがやはり東国遠征中、海を船で渡ろうとしました。
ところが神様の怒りに触れて海が荒れてしまいます。
そこで、ヤマトタケルと一緒に船に乗っていた妻のオトタチバナヒメは、神様の怒りを鎮めようと海に身を投げてしまいました。
妻を失うことによって無事に海を渡ることができたヤマトタケル。
亡き妻を思って「君さらず 袖しが浦に 立つ波の その面影を 見るぞ悲しき」と歌を詠みました。
その「君(きみ)さらず」が変化し、現在の「木更津」になったといわれています。
また、海に身を投げたオトタチバナヒメの袖が流れ着いたといわれている場所は、今の「袖ヶ浦」と呼ばれています。

 

今回ご紹介したのは、「清戸」の由来と、同じようにヤマトタケルにまつわる日本の地名ですが、日本の地名はもちろん清瀬市内の地名の由来も様々です。
身の回りの地名や、旅行先の地名など、ちょっと気にしてみると面白いかもしれません。
驚きの由来があったり、意外な地名のつながりが見つかるかも。

※名前の表記をここでは「ヤマトタケル」に統一しました。
また、ヤマトタケルの話は『古事記』を元にし、地名の由来に関しては各市のホームページを元にしています。

 

参考

角川書店編『古事記』角川書店 2002年
千葉県木更津市ホームページ
千葉県袖ケ浦市ホームページ
静岡県焼津市ホームページ

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